投稿者: Mitsuhiro

非効率のすすめ

 コスパとかタイパとか効率性を称賛するのはいかにも現代的だ。しかし、効率性を追求するのは場面と状況を選んだほうがいい。無駄を認めること、時間をかけることがその後の発展、現状打破に繋がることもあるからである。

 学ぶことに関してはなんとかパフォーマンスは選ばない方がよさそうだ。結局、自分で考えないことは身につかない。多くの無駄に思える時間を積み重ねていくうちに、あるとき突破口が見える。継続することの愚直さが実は何よりも大切なのだ。

 大器晩成という言葉は現代で第一の理想とはされない。むしろなかなか成果が出ない人への慰めの意味しかない。しかし、人工知能が何でもやってしまう時代においてはじっくりと考え続け、少々の失敗にへこたれない心性こそが求められているのではないだろうか。

 こうした感性は子どものうちから自分でものをなしとげる経験の蓄積から身につくはずだ。成果が出ないとすぐにやり方の変更を強制するのでは自主的な進展の道は開けない。親や教員がすぐに口出ししないことも大切なのだ。効率性偏重の考え方は今後上手くいかなくなりそうだ。地道に練習を重ねることの意味を理解している指導者を増やさなくてはならない。

マフラーをもう一度

 このところ寒さが戻り凍えていた。しばらく廃していたマフラーをつけ直してみると実に快適だ。こうして寒さをしのいでいたのだと思い出した。

 もうこれまで何度も書いてきたが、私たちの感性というものは決して絶対的なものではない。常に何らかとの比較をもとに形成され、何を比較の対象とするかで大きく印象が変わるのである。このところの冷え込みが厳しく感じるのは、途中にかなり暖かい日々を挟んだからだろう。もし厳冬の日々を重ねていたら、ここ数日の陽気に春の訪れを感じたかも知れない。現象と印象は別物なのである。

 感覚を相対的に感じることができるのは、人間のような知性を獲得した者の特権なのかもしれない。過去の記憶を基準に現在の感覚を調整するのは人間ならではの認知のあり方なのだろうと考えるのである。

 マフラーを巻くことは間もなく終わるであろう。でもその温もりを、快適さを覚えておかなくてはならない。

フイルム型の受光パネル

 日本の科学者が考案したというペロブスカイト太陽電池はまだ乗り越えなくてはならない問題はあるもののとても魅力的な技術である。メガソーラーのような、一歩間違えれば環境破壊に繋がる発電設備が、山間部ではなく町中に設置できるとあれば魅力は計り知れない。従来の発電設備は火力も水力も原子力も都市部に送る電気を地方が様々負担するという図式があった。これが覆るだけでも大きな進歩だ。

 フイルム型の受光パネルをビルなどの建造物に設置すれば、森や干潟を破壊する必要はなくなる。自動車や鉄道の表面に置けば少しはエネルギーの節約に繋がるかも知れない。例えば鉄道の駅と線路の敷地に発電装置が設置できればかなりエネルギー問題は変わった展開になるかもしれない。

 いまのところはそれほど容易い問題ではないようだ。この電池に含まれる鉛は健康被害があることが長年の経験で知られており、不用意な利用はできない。代替素材も検討されているが決定的なものはないという。また耐久性についても疑問視されており、鉛問題も含めて廃棄やリサイクルの問題も解決しなくてはならないだろう。

 ホルムズ海峡封鎖でエネルギー問題を痛感するいま、代替エネルギーの一部として太陽光発電は利用しなくてはならない。恐らくこれからのエネルギーはいままで以上にハイブリッドで、高次元にそれを管理するシステムが求められるだろう。フフィルム型太陽電池だけではなく、新たな技術革新を期待したい。

 それと同時にエネルギー消費の少ない機械の開発、それよりも省エネ生活習慣の一般化が急務なのかも知れない。価値観の大変革があらねばならない。ここまで述べてきたことのすべてが少しずつ進展していくことを願わずにはいられない。

フェイクニュースを作る心理は

 人工知能による画像加工が容易になった現在では、さまざまなフェイクニュースにその偽画像が登場する。動画でもかなり本物らしさは完成しており、かなり注意して観ないと真偽が判別できない。

 フェイクニュースを作るのは人間であることを思うと、なぜ彼らがわざわざそのような紛らわしい映像を作るのかを考えなくてはならない。YouTubeのような動画サイトでは再生回数が収入になるから、それが目的と考えられる。要するに金儲けの手段としてやっているということだ。それならば非難も可能だ。自分の利益のために多くの人々を混乱させることは許しがたい。

 面倒なのは、ニュースの当事者が絡む場合だ。状況上不利な立場にある側が、その抗議行動として意図的にセンセーショナルな報じ方をする。分かる人には見え見えの茶番だが、恐らくもっと深い根があるのだろう。その深みは大半の人には分からない。

 そこにある個人的な感情を少しだけ知りたいような気持ちになることがある。怨嗟か羨望か屈折した賞賛なのか。よく分からないが、それなりに強い感情が、燃え盛った末のことなのだろう。

 フェイクニュースを作る心理の寂しさに同情する必要はないが、人の性としての哀れみは捨てられない。恐らく世の中で注目されている人のかなりの割合で、この類のことが起きているようだ。人生は大抵の場合上手くいかない。それでも時々幸運が巡ってきてやり過ごせるのだが、それも長続きしない。不如意な人生を少しだけ変えたいと思うのは人情というべきのなのであろう。そこには幾分かの同情の余地がある。

 人心を惑わす悪行は許せない。そのためにどれだけの悲劇が始まるのかを考えなければならない。ただ、同時にそのような行動に追い込まれた人たちの哀れを思いやることも大切だと考える。

民主主義の限界なのか

 ロシアのウクライナ侵攻は就任すればすぐに終結させると豪語していたトランプ大統領の言葉を記憶しているだろうか。ノーベル平和賞候補を自認していた(それに乗った某国の首相もいた)が、どうも実際は逆を進んでいる。イラン攻撃も即日解決と言っていたようだが、それが週単位となり、ついには言及しなくなった。首脳殺害はイスラエルのしたことと述べ、原油価格高騰の気配に後手を打つ。私の知る限り、絵に描いたような失敗続きだ。関税政策についても自国の裁判所に否定されても開き直るばかりだ。アメリカ国民は彼をどのように見ているのだろう。

 現在のアメリカの政権を見るに民主主義の限界なのかと落胆してしまう。個人の欲望の暴走を防ぐための制度であったはずなのに、それが効かない。イスラエルのネタニヤフ氏も選挙前のパフォーマンスをしているという報道がある。国民のためではなく、自政権の維持のために国民の目を海外の敵に向けさせるのは歴史上何度も繰り返されてきた。戦中の日本もまた敵国を鬼畜と見なすことで国民の戦意を創出していたという。こういうことを見抜く力を世界は学んできたのではないか。実際にはそんなに簡単ではないようだ。

 私は対岸の火事ではないと考えている。外交に関してはすでに平和外交路線を維持するしかない状況にあるのだから、重武装独立などという非現実的な論法をかざして一時的な支持を得る輩には気をつけなくてはならない。地政学的にも政治史的にも今の日本は国際協調の中心にいなくてはならない。今回、アメリカの同盟国でありながら、イランにも友好関係を維持してきた我が国の振る舞いが今後の国際情勢には極めて重要な役割を果たす。果たさなくてはならない。そういう立ち回りができるのか。それが日本のリーダーに求められている資質である。

難解さを越えて

 コンサートで12音技法の歌曲を聴いた。ウィーンに住んでいたユダヤ人のシェーンベルクとその影響を受けた人たちの楽曲だった。12音階を平等に使うという極めて理知的な作曲法で、慣れ親しんだメロディやハーモニーがなく、難解でかつ気味の悪さや後味のざらつきが感じられる曲だった。と同時にどこか日本の伝統音楽のような味わいもほの見える不思議な音楽だった。

 シェーンベルクはナチス・ドイツ時代に迫害を受ける。人種差別があったことは事実だが、ワーグナーのような分かり易い伝統的な調性音楽を破壊するものとして全否定されたのである。結果としてアメリカに亡命し、現代音楽の開拓者のような存在として評価されることになる。

 12音を繋ぎ合わせた音列を作り、それを基本として楽曲を作ってゆくという方法はまるで方程式のような方法であり、感性の芸術である音楽とは異なる気がする。しかし、調性音楽もまた一定の法則の下で作曲されていることを思えば、軸の違う同じ音楽とも言えるのだ。

 音楽とは何かを根本から問うのがこの手法であり、デジタル音楽ではさらに複雑な手法が生み出されつつある。難解さを越えて芸術とは何かを考えるきっかけになった。

単純作業なれども

 私の仕事の中には驚くべき単純作業も含まれている。それも短時間で仕上げなくてはならないものもあり、それをやることは体力とそれにも増して気力がいる。人工知能がかつて何時間もかかって行っていた作業を、分足らずで終えてしまうのをみると、こういう作業をする気持ちがわかなくなるのは確かだ。ただ、現段階ではどうしても機械に代替できない単純作業もある。

 単純作業と述べたが、実はそれを通して事態を俯瞰的に捉えるきっかけになっていることもある。細部に焦点を当てていると見逃してしまう全体の傾向とか、問題点といったものが見えることもあるのだ。だから、まったく無駄なことをしている訳ではない。

 問題はなかなか成果を実感できないことや、時間がかかり過ぎることだ。これが徒労感を生んでしまう。まずは始めと終わりの時間を決めてやること、途中再開が滞りなく行える工夫をすることだろう。さらに何らかの意味を確認することも大事だ。

 地道に何かを続けることが評価されにくい風潮にあるが、そんな時代であるからこそ、仕事を省略しないことの意味もあるはずなのだ。

花粉症

 このところ花粉症に悩んでいる。風が強い日々がそれを深刻にしている。対策薬が効かない時間帯があるのが悩みである。毎年のこととはいえ、実に困ったことである。

体感温度

 今日は気温とは違ってとても寒く感じる一日だった。ここ数日の高めの気温に身体が慣れてしまったことと、少し強めの風が強く体温を奪ったことがその印象を強くしたのだろう。体感温度なるものは極めて相対的なもので、絶対値で表される気温とはかけ離れていることが多い。

 体感というもっとも身近なものでさえ、私たちは他との関係で捉えているのである。真冬の中の小春日はかなり暖かく、猛暑の日々に少しだけ気温が下がる日があれば命救われるような涼風に感謝するに違いない。体感は実に相対的であり、自身の絶対的な基準は儚く消え去る。

 自分の感覚は大切にしなくてはならないが、それが極めて相対的であり、感覚もまた文脈に左右されるものであることを時々確認しなくてはならない。

雨の一日

 雨の一日だった。少し薄い上着に替えたことを後悔しつつ、それでも何とか乗り越えられる季節になったということなのだろう。毎日が慌ただしく過ぎていく中で、いろいろのことを見落としながら日々を過ごしている。