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働きたい人には

 統計上では日本人は勤勉ではないという結果になるのだそうだ。かつては過労死が社会問題になるほどであり、強制的に労働を中断することが雇用者の義務となった。残業は悪とされ、仕事が速いことが褒め言葉として定着した。ただその結果、競争力は削がれ、独自の展開を目指す者も減ってしまった。

 よく言われる効率性という点でもランクダウンが続いている。仕事をする時間を削った分だけ、効率が上がったならば意味がある。しかし、実際はそうはならず、単なる縮小をもたらしたのだった。

 もっと働けとは思わないし、人に強要されたくはない。だが、自主的に働こうとする者には自由を与えてもよいのではないか。そしてこの成果についてはより高い報酬を支払うべきではないかと考えている。ワークホリックを一律に禁じることなく、十分な待遇を用意してもっと働いてもらうことも大事だと考える。これは強要ではない。あくまで働こうと思う意志をくじかないようにするべきなのだ。

 いわば第2勤務時間のようなものを設けて、それに対して正当な報酬を行うこと、それが今後の日本には大事だと考える。

非効率のすすめ

 コスパとかタイパとか効率性を称賛するのはいかにも現代的だ。しかし、効率性を追求するのは場面と状況を選んだほうがいい。無駄を認めること、時間をかけることがその後の発展、現状打破に繋がることもあるからである。

 学ぶことに関してはなんとかパフォーマンスは選ばない方がよさそうだ。結局、自分で考えないことは身につかない。多くの無駄に思える時間を積み重ねていくうちに、あるとき突破口が見える。継続することの愚直さが実は何よりも大切なのだ。

 大器晩成という言葉は現代で第一の理想とはされない。むしろなかなか成果が出ない人への慰めの意味しかない。しかし、人工知能が何でもやってしまう時代においてはじっくりと考え続け、少々の失敗にへこたれない心性こそが求められているのではないだろうか。

 こうした感性は子どものうちから自分でものをなしとげる経験の蓄積から身につくはずだ。成果が出ないとすぐにやり方の変更を強制するのでは自主的な進展の道は開けない。親や教員がすぐに口出ししないことも大切なのだ。効率性偏重の考え方は今後上手くいかなくなりそうだ。地道に練習を重ねることの意味を理解している指導者を増やさなくてはならない。