
仮に時間を往来できるものとして過去のある時点に突然移動したとしたらどう思うだろう。かなりの寝不足のまま乗り込んだ長距離移動の電車内で妄想を始めている。
面倒な想定を重ねることを避けるために、移動した時点で自分自身は移動することはできず、移動先の人やモノとの交渉はできないのものとする。そういう小説を読んだ気がするが、それとは違ってあくまで無作為にタイムスリップすることにする。
飛んでいった先の風景はどう見えるだろう。過去の世界はどうだろう。例えば昭和の高度成長期の街の風景はたくましくもかなり危ういものに映るはずだ。その先の展開を知っている者にとって過去の風景に飛び込むのは覚悟がいる。懐かしい風俗、流行の言葉、今はなき道具など心惹かれるものであふれているはずだが。携帯、スマホのない時代はもう一度見てみたい気もする。
未来に飛んだ場合はどうだろう。もしかしたら自分の死後の世界かも知れない。驚くべき光景が展開されている。手持ちの価値観では許されない行動、似ているが意味の違う言葉、不思議な人間関係など様々想像してしまう。未来は経験したことがないので、よいふうにも悪いふうにも妄想の幅が振れる。そしてきっと最後に思う。この世界に私はいないのだと。
未来はやめよう。行くなら過去だ。それも大昔がいい。世界史で学んだことを実見するのはどうだろう。そういうのは大抵乱暴だから、何もない日常に飛ぶのがいい。止めたいのは最近の過去だ。やり直したいのにやり直せない。こんな地獄はない。
くだらないことを考えていたら乗り換え駅だ。少し眠気も冷めた。車内の人は相変わらずスマホに操られている。私も駄文を書くのにスクリーンを擦り続けている。他の時代から来た人が混ざっていたら伺いたい。私たち変でしょう? と。
