スポーツの不思議

 私たちはスポーツをしたり、見たりするときに不思議な気持ちになっている。それは、自分が置かれている現実のかなりの要素を無視して直前の現実にのみ集中できているということかもしれない。

 草野球でもなんでもいい、バットを持ったときはただ打つことだけに集中する。そしてヒットを打てば単純に喜び、掠りもしなかったときは悔しがったり、相手の投球の凄さに感心する。そういう素直な反応はスポーツという枠組みの中においては素直に行える。

 それが社会生活ではどうだろう。様々利害関係の中で、自分の行動が如何に評価されるかということをいろいろな方向から考えてしまう。様々な言い訳と、その後の対策について考える。失敗が許されず、失敗した人に手を差し伸べることもしない。それが現実社会だ。

 オリンピックのような高度な競技レベルでなくても、私たちはもっとスポーツをするような気持ちを持つべきなのかもしれない。勝つこともあれば負けることもある。負けてもまだ次がある。そういう考え方ができれば救われることがいくつもあるのかもしれない。

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