私にとっては明日からが連休期間になる。感染者数が上がり続けていく中で旅行は取りやめることにした。残念だが仕方ない。
近隣の史跡や公園。博物館、美術館に行くのも精神的な旅と考えることにした。KOKUYOの野帳という小さなノートにその印象を書いておくことにしている。チケットなどを貼ると旅日記風になっていい。
このブログでも書いてはいるが、手書きの気安さと自由度は何ものにも代えがたい。誰にも見られないのもいい。みなさんにもおすすめしたい。
日々の思いを言葉にして
月: 2021年4月
私にとっては明日からが連休期間になる。感染者数が上がり続けていく中で旅行は取りやめることにした。残念だが仕方ない。
近隣の史跡や公園。博物館、美術館に行くのも精神的な旅と考えることにした。KOKUYOの野帳という小さなノートにその印象を書いておくことにしている。チケットなどを貼ると旅日記風になっていい。
このブログでも書いてはいるが、手書きの気安さと自由度は何ものにも代えがたい。誰にも見られないのもいい。みなさんにもおすすめしたい。
今日は行事が雨のため順延となってしまった。一日中雨、しかも時間を追うごとに雨脚が強くなっていった。
考えてみれば、雨ごときで左右されることが不思議だ。いろいろな自然を征服してきたというのに、降雨降雪などの天候についてはまったくお手上げである。まだ自然を完全には制していないことをこのようなときに確認するのだ。そしてそれはなぜか心地よい。
雨が人事を支配することをうれしく思うのは私だけだろうか。
道端に咲く4弁の可愛らしいピンクの花をほうぼうで見かける。園芸種のようだがなんの花だろうかと気になっていた。雑草にしては整っている。
試しに道端、ピンクの花と検索してみるとすでに同じ関心を持った人がいたようでそれはアカバナユウゲショウというのだと答える。写真もあるのでほぼまちがいない。
記事によれば北米からの帰化植物でマツヨイグサの仲間という。その名は午後になり咲くからだというが私の見る限り朝でも完全に開いている。日本で時差ボケしたのだろう。きれいな花なので雑草として繁殖しても積極的に駆除しようという気にはなれない。在来種の棲息地を奪っていることは確かだ。
よく歩く道の街路樹はハナミズキで足元にはこのピンクの花が並んでいる。人間がもたらした風景なのである。
いわゆるSDGsに関してはかなり周知されてきている。目標としては魅力的であり、多方面にわたる配慮は素晴らしい。ただ、やはり画餅の感は拭えない。
最近読んだ本にも開発、発展を前提とした考え方の危険性を訴えていた。真の意味で持続可能性を考えるならばまず開発を止めなくてはならないのだろう。
ただ、私たちは程度の差こそあれ何かを変えながら生きている。それを止めることは種の継続に関わる大問題だ。発展を限りなく緩やかにし、その都度現状を把握することが大事なのだろう。そんなことはできるのだろうか。大きな疑問符が脳裏を回転し続ける。
知らないうちに頬に引っ掻き傷を作ってしまった。心当たりが無いので寝ているうちに何かにこすったのか分からない。
顔を気にする歳でもないし、そもそも私の顔などさほど注意している人はいない。それに加えて始終マスクをつけているのでそもそも見えない。私が傷に気づいたのも恐らくできて数日後のようだ。
ずぼらな男の話として笑い飛ばしておけばいいことだが、少し視点を変えると、自他の顔への関心が下がり過ぎているということになる。これは少し恐ろしい。リアルな印象をもたらすはずのものが軽視されていることになるのだ。
もっとリアルに関心を持たねはと自分に言い聞かせる。

ふらりと近隣の市の城趾に来てみた。早朝ゆえ人影は少なく、ひっそりとした山城を訪ねた。急な階段を登って本丸跡と呼ばれる空間にたどり着くと山藤の見事な株があった。鮮やかなしかも派手すぎない色彩は少々敏感になっている心に染みた。
何度目か分からなくなった緊急事態宣言が出た。今朝の通勤電車はいつもと変わりはない。恐らく多くの国民にこの宣言の意味は理解できていない。私もそうだ。
外出を控えることが感染予防の必要条件であることは誰にでも理解できる。当初は歓楽街に行くことが感染の理由と言われ、感染者に無言の非難がなされた。しかし、現状はこれとは異なる。日常生活を営むだけでも感染することがあるし、はめを外した生活を送っても感染しない人もいる。
エビデンスを出せというのは昨今の人のいう無理な正論の一つだ。出せるものと出せないものがある。ただ闇雲に何かをするなと言われても反発を招くばかりだ。分からないことは分からないといい、分かっていることは繰り返し説明するしかあるまい。
我が国にはこういう面倒なことをする役回りがいない。現在進行形の社会状況を国民とともに考え、説明する信頼のおける人物を養成するべきだ。それがいないことが緊急事態だと言える。
隣接する市の自然公園に出かけてきた。山林の植物を中心に見せる方針の設計がなされていて園芸種のもつ華やかさはないが、日本の自然を想像するのにはいい公園だった。
公園の最後には見事な藤棚が作られていた。これは園芸種だ。藤の花は今が見頃で花房が見事に下がっていた。その下にはおそらくここを指定席のようにしている老父が文庫本を広げている。こういう生活がしたいものだと思いながら通り過ぎた。
実際の藤棚は蜂などの虫が集まり結構にぎやかだ。それでもそこに馴染んでしまうと静かな時間が得られる。花に囲まれていることの安心感はおそらく本能に関わるものなのだろう。
人から相談を受けたとき、適切な助言をすることは難しい。何を答えるべきか、話題にしてはならないことは何かを考えていると身動きが取れなくなる。
もっとも相談する相手ははじめから答えを求めてはいない可能性もある。いや、大半の場合回答の有無はどちらでもいいようだ。ならば、大切なことは答えることより聞くことにある。
傾聴はカウセリングの絶対条件だという。家族ではない他人が耳を傾けることで相談者は安心と僅かな満足を得るようだ。助言はその上のことで極論すればなくてもいいのかもしれない。あるとすれば相手の悩みを分かりやすく言葉に変える手伝いをすることかもしれない。言語化できれば対象化でき、解決に近づく。
牡丹臭木がまもなく開花するようだ。シソ科の花らしく独特の悪臭がある。ただそれなりに花はきれいなので園芸種にもなっている。これが咲き出すとまた季節が進んだことを感じる。