覚えていることの中には、いわゆる特別な記憶というものがある。その多くが自分の生き方に深く関与し、多大なる影響をもたらしている。
妙なものだが、若くして死んだ友の葬儀に立ち会い、焼き場にまで付き合ったことはいまでも深く心に刻まれている。棺桶が焼かれるところへ移動するときの扉を閉める音は、この世とあの世の境界として深層に刻印されている記憶だ。
他にも特別な記憶はいくつかあって、何かあるごとに想起される。随分昔のこともあるのに、そこに出来するのは常に瑞々しい記憶なのだ。
特別な記憶の多くは類型的な誇張がなされていて、真実そのものからは遠い。でも、その中で考えたことは虚偽ではなく、必ず一面の真理を踏まえている。そのような記憶が飛び交い、場合によってはその記憶で横溢されるのも意味のあることだと思う。私たちは新しいことを始めるのは苦手だ。だから、過去の記録をそのまま受け入れるのではなく、いまの生き方にあわせて過去を改変することも、残念ながらあるのである。