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重陽節

 新暦の重陽の節句は秋の気分はまったくない。まして今年の場合は残暑というより猛暑そのもので風情も何もない。古代中国では奇数を陽の数としており、一つの数字な奇数の中では最大の9が重なるこの日は逆にあまりに陽が強すぎて不吉と考えられたらしい。その邪気をはらうための行事がこの節句の由来という。

 今年の場合、旧暦9月9日は10月10日になる。その頃になればおそらく秋色深まり空気も変わっているはずだ。この節句に欠かせないのが菊の花である。菊に薬効があるのかは分からないが、重陽の節句に菊の花は浮かべた酒、もしくはそれを浸して作った酒を飲むとよいとされていた。

 何を信じてよいか分かりにくい世の中だが、伝統的な行事は科学的根拠はなくても何か別の意味で大切なものがあることを考えさせる。

クリスマスデコレーション

 あちこちでクリスマスデコレーションが施されている。心なしか近年と比べて派手さが抑えられている気がする。私としてはそれでいいと思う。宗教的な意味でクリスマスを迎える人はさほど多くはない。多神教の発想としては季節の神様の一つだ。ただ、そうとは言ってもおごそかな空気を作ることは忘れてはならない。クリスマスの雰囲気を作るデコレーションであってほしい。

七夕伝説

 新暦の七夕は梅雨のただなかで雲に覆われて何も見えない。子どもころはそういう風に言われてきた。しかし、今年の天気では今日も猛暑であり、天の川を見ることもできるかもしれない。ただし、七夕の星が見やすくなるのは少し夜更けて後である。旧暦の七夕は今年は8月10日らしい。1か月後には牽牛織女星はかなり高い位置になり見えやすくなる。

 よく言われるように七夕は古代中国の伝説に乞巧奠という習慣が融合し、さらに日本にわたって神に捧げる衣を織る聖なる機織りの女(これを「棚機たなばた」といった)ものが融合して今の形になったといわれている。日本の神の衣を織る女の姿は古事記の中にすでに見える。スサノヲとアマテラスがウケヒによる争いをしたあと、スサノヲが行った暴挙で機織りが陰部をついて死んだという伝説があるが、神の近くにそういう女性が使えていたことの反映かもしれない。「たな」は水辺に設けられた舞台のようなものであったという説を聞いたことがある。神を迎える神聖な場所だったのだろう。

かささぎ

 笹に短冊をつけて飾る習慣は江戸時代に広まったとされる。主に字の上達を願うことが多かったようだ。笹は使用後に河川などに流された。他の節句行事と同様に本来は禊祓の意味が強かったらしい。今日では願い事を書くという行事となっているが、むしろうまくいかない何かを笹に託して流し去ることの意味を故人は感じていたのかもしれない。

 さて現代の七夕は短冊という小さな面積の紙片に願い事を書くということに主眼が置かれている。七夕の伝説を正確に言える人は少ないし、空を見上げてどれがベガでアルタイルなのかを示せる人も少ない。中国の伝説では白鳥ではなくカササギであることを知る人も少ないし、カササギがどんな鳥なのか、実は日本にもいる鳥なのだということもあまり知られていない。

 まさに大陸と日本の伝説が融合した行事の典型である七夕をもっと大切にしていいのかもしれない。韓国では칠석、台湾では情人節、ベトナムではLễ Hội Thất Tịchというそうで(旧暦で行うが)、いわゆる漢字文化圏で共有される行事としてもっと尊重していいのではないか。

黒字の金曜日

 この時期になるとブラックフライデーという言葉をよく耳にする。ブラックというとネガティブなイメージが先行するが、このブラックは黒字の意味で商売する人にはいい言葉らしい。

 アメリカで感謝祭の商品の売れ残りを値下げ販売する商業習慣が他国でも取り入れられたらしく、日本もその恩恵に預かろうという商魂のなせるわざである。ハロウィンとクリスマスの間を埋めようということだ。

 日本ではまだこの効果は限定的だ。ブラックフライデーの知名度は低いし、数々あるディスカウントセールとの差別化もついていない。感謝祭の習慣がないのだから、そのおこぼれと言っても説得力がないのだ。

 何でも和風にしてしまう国民性の力が発揮されるときが来れば、日の目を見る事態になることもあるかもしれない。そのときはやはりブラックの名は変わっているかもしれない。

七五三

 子どもが着物を来て寺社参りをする七五三の行事は、江戸時代の武家の行事が広まったものという。11月15日をその日とするのも、由来があるとする説が普及している。恐らくこれは後づけであり、旧来の行事を分かりやすく整理し、呉服販売の促進のために関係業者が宣伝のために広めたというのが事実なのではないか。

 髪置き、袴着、紐解きといった子どもの成長過程に応じた年齢通過儀礼は、今より子どもの死亡例が高かった時代においては、祝福というより祈願の方が上位にあったはずだ。その意味が忘れられても、子どもの成長を祝うことは、本人よりも保護者たちの覚悟を確認するための機能を果たしている。

 先週末、神社に男の子を連れて行く家族に出会った。両親に祖父母が着物を着た男の子を囲んでいる。早速、どこかを汚したことを怒られていた。彼はこの先多くの保護者たち、さらには別の先輩たちの世話をすることになる。頑張ってほしい。

クリスマスへの切り替え

 ハロウィンが終わったその夜にすでにカボチャのオブジェは片付けられ、クリスマス仕様に置き換えられていた。商機は隙がない。

 つい先日まで夏日だったのでクリスマスの雰囲気は全くないが、すでにラッピングや音楽はクリスマスを意識したものになっている。これからの日暮れが早くなるとますますその気配が感じられるようになるのだろう。

 コンビニエンスストアでは年賀状が売られ始めた。季節感が狂いがちな昨今だが、人事の方は確実に推移していく。

化け物減りました

 ハロウィンの夜、渋谷を通る電車に乗った。去年までは大勢の化け物たちが乗り合わせたが、今夜はほとんど見かけない。渋谷区長の呼び掛けは奏功したようだ。

大騒ぎはだめよ

 アメリカでは仮装するのは本来子どもであり、大人が憂さ晴らしの乱痴気騒ぎをする行事ではないようだ。日本ではなぜかそれが大人の行事となり、渋谷のハチ公前交差点がその「聖地」となってしまった。さらに飲酒酩酊して暴徒化寸前にまでなった年もあった。間違った文化摂取が隣国にも伝わり、大事故を引き起こしている。

 渋谷区長の呼び掛けは、大勢に従う日本人の性格には効果を得たことになる。結果としてそれでも渋谷に集まる者は社会的規範の意識が薄い者とみなされ、非難の対象となった。化け物退治は成功したという訳だ。

 ハロウィンには祖霊へのまつりと収穫感謝の要素があるという。この方面に関しては注目していい。秋彼岸や名月鑑賞など、伝統的行事との関連も考え、大人の行事として作り直すことも必要だ。

クリスマスチャンネル

 海外のラジオ局にいわゆるクリスマスチャンネルというのがある。一年中クリスマス関連の曲をひたすら流し続けるのである。実は私は個人的に嫌いではなく、時々インターネットを通して聴いている。

 クリスマスソングは実に多様であり、讃美歌からポップスまで幅広く年中流していても尽きることがない。有名なメロディは当然何度も出てくるが世界中のミュージシャンが様々なアレンジで歌うからレパートリーは無尽蔵なのだ。

 日本で同じようなことはできるだろうか。お正月の歌は意外にも多くはない。ポップスでも正月をテーマにした曲は少ない。できそうなのは桜関連の曲だ。サクラを歌った曲は結構ある。ただ年間を通して放送するだけの数はあるだろうか。

 盆などもそれを題材にした楽曲は少ない。行事と音楽の結びつきは日本では顕著ではないのだ。逆にいえば、例えば正月は楽曲の題材として発展しうる余地を残しているということになる。

 クリスマスの伝統の深さを知るとともに文化とは何かを考えるのである。

渋谷に来ないで

 渋谷区長がハロウィンには渋谷に来ないでほしいとの会見をしたという。昨今の無秩序な行動に加え、ソウルの梨泰院での悲惨な事件をも踏まえた注意喚起である。経済効果よりも安全性を優先した英断であり評価したい。

 ハロウィンはもともとアメリカを中心とした子どもの行事であり、大人が異装をして酒を飲んで暴れるものではなかった。根本から間違っているのだ。まして、興奮のあまり暴徒化するのはおかしい。世間体を過度に気にして過激なことはしないのが日本人の特徴のはずなのになぜか箍が外れてしまうのだ。

 今年はいわゆるコロナ規制がなくなり、密集が許容されることに加え、海外から多くの観光客を迎えることになる。言葉の通じない一つ間違えれば本当に群衆事故が発生する。渋谷に来ないでというメッセージはかなり深刻な叫びだ。このことはもっと告知すべきだろう。

今日は旧暦の七夕

 今日は旧暦の七夕である。歴史上、旧暦で七夕の儀礼が行われてきたほうがはるかに長い。今朝は雨だが、夜に牽牛と織女の星は見られるだろうか。

 七夕というと今では新暦の7月7日に行われるか、月遅れの8月7日のどちらかである。7月7日では梅雨の只中であるので、分かりやすいひと月遅れの8月7日の行事が生まれのだろう。しかし、実際の太陽太陰暦は年によって対応関係が変化し、今年の場合は8月下旬になった。

 七夕の星と言われるヴェガとアルタイルを含む夏の大三角形は今のほうが遥かに見やすい。東京ではよほど条件が揃わないと難しいが、天の川もこれらの星を頼りにして見つけることができる。

 七夕は他の節句と同じように元は中国の行事に遠因を持つ。それを日本の宮廷が行事化したものがさらに民間行事へと変化したものと考えられる。日本の場合は古事記や万葉集などに見られる棚機津女(たなばたつめ)との関係もあるとする説もある。もとは神を迎える巫女が関与する行事だった可能性もあるというのだ。さらに、禊の要素も含まれ、天の川を禊の川と考える地域もあるようだ。笹の葉を飾り、時期が終わればそれを捨てるという行いももともとはこれに由来するという。どの行事にもいえることだが、歴史ともに意味や位置づけが重層化していくのだ。

 短冊に願いを書く習慣は江戸時代から始まったと言われ、本来、詩歌や裁縫といった芸能や技能の上達を祈るものであったようだ。最近は学業の向上だけではなく、恋愛成就や平和祈願、果ては推しに会えますようになど牽牛織女の専門外の願い事まで書かれる。このスターフェスティバルとなった七夕はこれからも変化していくのだろう。今日はその本来の日であることを記しておく。