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融合

 横浜には様々な日本初があります。多くは近代の文明開化によるものです。

 日本初と称するものの多くは海外のものやことを移植したものです。しかも単なるコピーではなく、無意識の和風化が起きている。取り入れたものを見よう見まねで作り出した結果、オリジナルとは似て非なるものができたのです。はじめはまがい物扱いだったものが、時を経て価値のあるものに変わってきたのです。

 進取の精神は忘れてはならない我が国の徳の一つ。最近それを少なくとも私は忘れかけているようで自省していますが

詳細にこだわらず関係性を説く

 自分の思っていることを相手に伝えようとするとき、そのほとんどが伝わらないという経験をしばしばしています。それは私の話し方に問題があるのでしょう。それではどうすればいいのか。自分なりに修正を試みます。

 自分では論理を立てて説明しているつもりでも、初めてそれを聞く人にとっては非常に分かりにくいことがあります。自分にとっては一度通った道でも、始めてきた人にとってはどこに連れていかれるのかわからない探検のような雰囲気になります。分かりやすくするためには適度な道案内と、ゴールが見えているようにする可視性が必要なのでしょう。そのためには結論先出、説明後付けの方法がいいのでしょう。

 板書をするときなどは論理の筋道を文字化、図式化することを心がけます。細かい情報に拘ると全体像が見えなくなりますので、全体を見通せるようにします。最初にその地に立った人は、自分の立地点のことばかりを考えてしまいますが、あとになって考えるとその位置はあまり重要でなかったということもあります。大切なのはその地点ではなく、他の事象との相対関係であることが多いものです。まずはそのことを説明するべきです。

 個々の物事を説明するのではなく、互いの関係性をできる限り俯瞰して見せること。それがうまい説明につながるのでしょう。

出発点

 このブログの個人アイコンにしている星のような、あるいは花のような形の図形は東京駅の新幹線のホームにあります。

 この幾何学的な模様は東京駅の新幹線ホームに置かれており、気をつけてみると0Kmと彫られています。新幹線の走行距離の起算点のシンボルのようです。私はこれを勝手に出発点を表すものとしてアイコンにさせていただくことにしました。

 実際の生活は2次元では表せず、3次元でも説明できない。様々な要因が同時多発的に関わって出来上がっています。ただそれでも何か目安がほしいときがある。そのようなときは出発点に戻ってやり直したいと考えるのです。

東京駅新幹線ホームにある0kmポイント

組み合わせ

 新しいものを作り出すことは容易ではありません。ゼロから作ったという表現には明らかな誇張があります。創造神でもない限り無から有を生み出すことは不可能です。

 私たちが新しいものと感じているのは大抵の場合、既存のものの組み合わせです。今までにない取り合わせ、意外な連係が新しいものとして現れるのでしょう。私たちはもっとミックスとかブレンドとかに興味を持つべきなのです。

 これは有形物のみならず、無形の概念、社会の仕組みなどにも共通します。新しい何かを考えるときには現状の分析と大胆な組み合わせとが肝要なのです。

パターン認識

 老眼が進んで視力が低下していることによるのでしょうか。道行く人を知り合いではないかと思うことがしばしばあります。近づいてみると別人であることが分かって自分の識別能力の低さに苦笑いします。

 私は個人認証する場合、いくつかのパターンを使っていると自覚しています。身長や体格の他に、顔の形、頭髪の状態などの他に特徴的な要素をいくつか取り出して過去の記憶と照合しています。その方法が近ごろ簡略化している気がします。

 細かい観察ができるのは才能の一つなのかもしれません。得られた情報を細部まで検証することは時には非常に重要です。この点において私は劣っているし、開発する努力を怠っています。逆にいえばピントを甘くして複雑怪奇な現実を大まかに捉えて心的負担を減らしているとも言えるのかもしれない。

 大雑把な把握によって誤った判断をしないようにと願うばかりです。

鳥の目

 この時代に何が求められているのかと問われたならばやはり俯瞰力と答えるべきでしょう。大局を見渡すことは永遠の課題であり、容易ではありません。だからこそ必要なのです。

 複雑で変化の速度が速い今日の社会では毎日の生活を追うだけで終始してしまいがちです。その中で時代の潮流を見失ってしまうことがあります。どこに向かっているのか、何が必要なのかということを忘れてしまいがちです。

 鳥瞰することが困難なのは人間の宿命かもしれません。すでに飛行機や宇宙船まで開発しているというのに、思考の中に定着できません。具体的にどうすればいいのか分かりませんが、大局を読む力は何らかの方法で鍛えなくてはならないと感じます。特に若い世代の皆さんにこの能力の獲得に関心を持っていただきたい。私もまだ諦めてはいません。

いい人もそうではない人も

 一人の生活が続いているとわからなくなることがあるかもしれません。私たちの周りには相性がよい人もそうではない人もいます。そんな中で暮らしていく中で人としての生き方が醸成されるのであってすべてが自分を作る源なのです。

 自分で何でもできるという思い込みを現代社会はもたらす要素をいくつも持っています。確かに孤立がそのまま死に至るということはありません。ただ、どんなに技術革新が進んでも人間が集団生活で生存を続けてきた事実は変えることはできません。群れの中で生きることで他の生物にはできない様々な困難を乗り越えてきたのです。

 距離を置くことが強要されている現状ではその能力は大きな障害を受けています。でも惑わされてはいけない。私たちは人類であることを思い出すべきなのです。

生活の矯正

 密を避けるための方策としてラッシュアワーを避けることが提唱されてきました。そのため私は少し遅く出勤することにしていました。明日からは通常勤務になりますので、生活を矯正する必要があります。

 実はこの期間も朝の目覚ましは通常通りにかけていましたので、起きることはできていたのですが、実際に身体が始動するまでには時間がかかっていました。やる気が起きるまでの間合いが長すぎるのです。これを明日からは最低限にしていかなくてはなりません。

 そのためにはできるだけ前日に仕込みを終えていくことが必要です。テレワークで学んだ前日仕込み、予約投稿という方法を実生活でもしていく必要があります。恐らくはこれが当たり前になるまでには身体が悲鳴を上げることもあるでしょうが、船酔いは航海につきものと考えて乗り切っていこうと思います。

省略できること

 リモートワークが強いられた中で、奪われたことは数々ありましたが、逆に収穫もありました。その一つが仕事の整理がある程度できるようになったということです。これはこれからも変わらない生活習慣となるでしょう。

 リモートワークではできないことはやれないという割り切りが前提になりました。その中で本当はやった方がいいが省略もできるという項目が洗い出されることになりました。意図せず分かったことになります。この基準をアフターコロナの時代にも敷衍することは自然な成り行きです。

 仕事を絞ってできることに集中するという、当たり前だけれどもできなかったことができるやうになるきっかけを与えてくれたことはひどい神様の恩恵の一つと考えたいです。

人間の商品化

 人間の能力を数値化することで安心しようとする人がいます。そこには大きな落とし穴があります。

 組織にとって有益かどうかを測る人物評価の基準は様々あります。その中にはすべてを数値で表して座標軸上に人物を配置して比較対照の方法とするものもあります。この方法は一定の組織の中での限られた能力を測るには効果があるかもしれません。たとえば投手になるならばコントロールや球速、過去の戦績などが査定の際に参考になります。

 ただ、業務が多岐にわたる仕事の場合には使うべきデータが増え、その分評価の方法が複雑になります。また何を主軸に置くかでまったく違う結果になります。

 数値化された人物評価はそれがあたかも人間の能力の絶対値のようなふりをします。ロールプレイングゲームのキャラクターのレベルのように人間を階級化します。その値があくまである組織への適合性を測るだけのものであることを忘れてしまうのです。

 私たちは簡単には測れない人間関係の中で生きている。そしてそれは絶対値ではなく、周囲の環境との相関で起きる変動値なのだということを忘れてはならないのです。