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水無月尽

 2024年も半分終わることになる。私にとっては下降傾向の期間で辛いことが多かった。自分の衰えを痛感することは痛恨の極みであった。

 それとともにデクレッシェンドの中で何ができるのかを学んだ期間でもあった。老兵の戦い方を少しだけ理解できた。

 ただ現実はそれほど甘くはない。この厳しい現実の中で自分の最適化を図ることは不可欠だ。次のステップをいま必死に模索しなくてはならない。

 自分を安売りしたくはないが、他者からどう見えるのかに目配せもいる。今年の下半期は自分を冷静に評価し、次のステップに進むために使いたい。

頑張れる時間

 無理をしてでも何かをやり遂げるためにはそれなりの覚悟がいる。効率とか能率とかそういう評論家の先生が言いそうなことを振りきってやり続ける努力が必要だ。

 若い頃はそれができることもあった。数日ほとんど寝なくても目標が決まれば敢行できた。いまはそれが難しい。残念ながらあっさりと寝落ちしてしまう。耐えられても翌日が悲惨な状況になる。加齢を実感するのは容姿容貌ではない。この方面の粘りが効くのかという問題だ。

 他のことを忘れて一つのことに熱中できることを仮に「熱中力」と呼ぶとすればこれには体力の裏打ちが不可欠だ。体力を失いつつある私にとっては、とにかくやるしかないという耐力の方に期待するしかない。

 頑張れる時間をどれだけ持てるのかはこれからの基本テーマとなる。それを悪あがきとも痩せ我慢ともいう。醜態を晒すことは前提条件にしなくてはなるまい。

趣味のうち

 利益にはならないがやりたいことはある。これを能率主義者は無駄という。でも、果たして無駄なのだろうか。効率を重視して己を捨てることよりも遥かに有益なのではないか。

 趣味の追求は大抵の場合、他人からは無駄にうつる。そんなことをして何になるのだと。なんにもならない。ただ楽しいだけなのだ。その楽しみが時々他人のためになることがある。それでいいのではないか。

 生産性の高い理想的なXさんになるより、駄目だが生きることが楽しい私になる方が遥かに幸せであり、世の中のために成るのではないか。最近よく聞く生産性第一主義の論者の大半が不幸そうなのは恐らくここに帰結するように思えてならない。

集中する時間

 自分の特性というものを実はよく掴んでいない。ただ、一つ言えるのは同時に何種類かの仕事をそつなくこなすというのには向いていないということだ。同僚や知人の中にはそれが見事にできる人がいるが、私はそれができない。

 昔、図書館にこもって一つのことをし続けていたことを考えると、私には何か決まったことをそのまま続けていくことが向いていると思っている。でも、そうかと言って飽きっぽいところがあるので極めることができないでいた。これがいわゆる天才との違いだ。

 今の仕事で全く調子がでないのは、マルチタスクそのものだからだ。同時にある程度の水準を維持しながら仕事をこなさなくてはならない。しかも自分で仕事の内容は選べず、状況に柔軟に対応しなければならない。こういうコンピテンシーは私には欠けている。

 それを補うために最近は色々な工夫をし始めているが、その一つが全てを満たすことを諦めることだ。これは自分の主義として認められないことだったが、最近は仕方がないと割り切れるようになっている。

 その代わり、満たされない思いを仕事以外の方面に活かしたいと思うようになってきた。それが恐らく次のステップに繋がることなのだろう。やりたいことを効率とか利益を考えずにやることをここ数年の目的にしてみたいと考えている。

若葉のグラデーション

 絵心は皆無だが是非描きたいと思うのがいまごろの木々の若葉である。実に繊細で複雑だ。すべてが異なりながら、どれも同じような形をしている。

木の絵を描きたい

 水彩でも油彩でも入門書を立ち読みすると、こうした木々の描き方の指南がある。その通りに真似てみるとなるほどそれらしい絵になりそうだ。ただ、これは木を描いたのではない。木を見て森を見ず、という言葉があるが木さえ見ないで木を描くということになる。

 しかし、本当に見たままの木を描くことはかなり大変なことだ。一つ一つ違う葉の有様をどのように描こう。描きながら刻々と変わる自分の感情をどう制御すればいいのだろうか。

 それでもいつかは自分の目で木を描くことを夢見ている。恐らく、他人が見たら何の絵か分からないものになるかもしれない。ただ、ゴッホの糸杉のように、それがどうであったかより、どう見えたのかの方が大切なのだろう。

 若葉のグラデーションを描くことを目標に加えることにしたい。

5月

 連休の谷間ではっきりとしないが今日から年度の2つ目の月が始まる。今朝は入り込んだ寒気のせいで肌寒く、午後は暖かくなるかわりに雷雨になりやすいという。

 5月といえばやるべきことが少しずつ軌道に乗り始める頃だ。また、うまく行かないことは何かが見え始めるときでもある。これが過剰に感知されると気持ちがくじけやすくなる。

 うまくいく方が奇跡であり、大体は成功も失敗も同時に起こるものと考える方が当たっている。ついていると思うときは、その裏にある多くの不運に気づいていない。逆もまた真なのである。

 行き詰まったときは木々の新緑を見よう。5月はそれには最適な季節だ。植物の生命力を感じて自分の糧にしてみよう。

逆張り

 株式投資などで値下がり局面で敢えて購入し、値上がりしてから売却するという手法がある。まさにピンチをチャンスに変えてしまうたくましい手段だ。

 この方法の大前提として、値下がりしたものは将来必ず値を上げるという期待がある。下降したまま消滅することはないという了解だ。これは資本主義社会に対する信頼が容易には崩れないことを経験的に知っているからだ。

 現今の社会情勢は極めて厳しい下げの局面にある。そして、相当の恐怖感を伴って迫っている。同時にこのまま社会が消滅すると考えている人はいない。必ず上昇局面に転じると信じている。だから、いまは慌てずに次の局面で何をするのかを学ぶべきなのだろう。それが許される状況にあることを喜ぶべきだ。

目標設定

 今年やるべきことの一つが目標設定からは始めるということです。いままでは降りかかってきた状況に対処することばかりをしていました。今年こそは目標を決めてから実行するという習慣をつけていこうと考えています。

 もちろんすべてを目標志向型にするつもりはありません。やっているうちに形を成してくることもたくさんあります。とくに創造的なことに関しては目標はない方がうまくいきます。ただ、私の仕事の大半は目標を実現していくことの方にある単純な仕事なのです。この方面には目標達成を意識できる方がいい。そのためにも業務の単純化をすすめたいと考えています。

 まずは授業をするためのノートづくりを変えていきます。これまでは教える内容を中心にしていましたが、これからは教える手段、方法を中心にメモしていきます。それが実際の授業では役に立つのですから。授業の目的は教えることではなく生徒に考えさせることだという目標を設定するとノートづくりも変わってくるのです。

 次に会議資料作成の方法も目的を明示したものにしていこうと思います。何をやるかを決める前に何を目標にするのかを提示すれば方向性も早く決まります。方向性が決まらずに迷走するよりも時間の効率が上がります。

 他にもいろいろとやるべきことがありますが、まずは身近なところから始めてみたいと思います。