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タイヤ交換の思い出

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 雪国に住んでいたころ、11月の終わりにスタッドレスタイヤへの交換をした。ある年は暖冬といわれていたのに甘えて、12月までそのままにしていたところ、急にまとまった降雪の予報があり慌てて換えたこともある。現在の私の生活の中にはないものだ。

 雪国の方は知っているが、スタッドレスタイヤの交換自体は誰でもできる。タイヤを止めているねじを少し緩めてから、ジャッキで上げて、ねじを完全に回してタイヤを外し、新しいタイヤをはめてねじを仮止め、ジャッキを下げて着地したら、またねじをしっかり締める。これを4回繰り返す。最初にやったときはおそらく2時間近くかかったが、数年後には30分程度でできるようになった。ただとても面倒だ。寒い中での単純作業でやる気が湧かない。

 ガソリンスタンドなどに持ち込めば4本で5000円~8000円くらいで取り換えてくれていたようだ。私は利用したことがないが、ものすごく早くできるらしい。なにしろ車体ごともちあげて4本のタイヤを同時に交換する。ねじを回すのも、てこの原理でようやく回すようなちゃちなものではなく、電動であっという間に回しきるらしい。このことを聞いて私も頼もうと何度か思ったが、浮いた金でおいしいものでもと思って結局自分でやっていた。これを冬前と春前に行う。10000円以上の節約だと思って、かえって余計に買い物をしてしまった気もする。

 東京に来てタイヤを交換することはなくなった。ウォッシャー液を足すときくらいしかボンネットを開けることもない。雪国の生活はいろいろ困難もあったが、付属する思い出のなかには生活感のしみついた懐かしいものが多い。

ギアチェンジ

 今朝の天気は明らかに冬の様相だ。重い曇天に町が覆われている。マイナーの音楽が流れそうな雰囲気だ。季節がここで大きくギアチェンジしたことが感じられる。体調が思わしくない。倦怠感などはないが、多少気になる。今日は大人しく過ごして切り抜けよう。

気圧の関係

 気圧が急低下しているせいなのか。軽い頭痛に悩まされている。コロナ禍のあとはちょっとした熱にも神経質になりやすい。今のところ熱はなく、形容し難い不快感以外には症状はない。しばらくは無理をしないで過ごそう。いわゆる気象痛ならば少し待てばいい。焦りは禁物だ。

霜月尽

 今日で11月が終わる。行事が少なくやるべきことを地道にこなす月と考えていたが実際はそうたやすくはない。いつものように要領悪く、毎日を慌ただしく過ごしてしまった。

 比較的暖かい日が多かった。郊外の散歩にも何度か行った。いくつかの美術館を見学した。その都度感動し、これを明日に活かそうと考えた。いかせているのかは分からない。成果は速効か遅効かは後にならないと決められない。

 健康状態は維持できた。周囲にウイルス罹患者が少しずつ出ている。しかし、今のところ何とか切り抜けられているのは幸運というしかない。流行病はいつかは罹る。被害を最小限にすることを考えるべきだ。

 明日からは年末。やるべきことはさらに増える。状況対応型の自分に喝を入れなくてはなるまい。

木枯らし

 昼過ぎからかなり強い風が吹き始めた。雨も降り冬の訪れを予感するような天候になった。夜になっても風はやまず。むしろ強くなっている。紅葉した葉を吹き飛ばす北風になるのはまもなくだ。

 今朝は通勤の道にカラスがたくさんいて餌を求めてかなり緊迫した様子がうかがえた。鳥には天候の異変がわかるのだろうか。これから食べ物を確保するのが難しくなることを見越しているかのような動きだった。やはり野生を生き抜く動物には特殊な能力が備わっているらしい。

 私といえば特にこれといった対策もない。少々ののどの痛みを感じるのを気にしながらも結局はよく寝ることくらいしか思いつかない。野生の勘が働かない以上、愚直に生きるしかあるまい。

秋の終わり

 今日も日中はかなり暖かった。上着一枚でコートはいらない。快適な一日だったと言える。でも、この快適さは長くは続かないらしい。

 師走に入ると気温が下がり、文字通りの冬になるという。息が白くなる季節だ。肌に差し込むような冷気、関東の場合はそれに乾燥も加わる。

 寒さのなかには懐かしい感覚もある。個人的には冬は嫌いではないが、それも限度がある。寒さの中の失敗は富山で嫌というほど積んできた。でもいい思い出もある。おそらくそのほうが多い。

 東京生活が長くなりすぎて冬の恐ろしさも楽しさも随分観念的になってしまった。光太郎の詩でも口づさんで冬に備えよう。楽しみでもあり、恐ろしくもある。

買い物かご

 幼いころ、買い物に行く人は自分の入れ物を持って行っていた。買い物かごと呼ばれた編み籠はいまのプラスチック製のレジ籠とはずいぶん趣が違った。スーパーのような何でもそろった店ではなく、いくつもの小売店を歩きながら買うスタイルだった。買い物かごは形を変えていまエコバッグと呼ばれている。

 昭和のスタイルでは籠に入れる商品は新聞紙などにくるんで入れることが多かった。肉や魚はさすがにビニール袋が使われたが、それも今より透明度の低いものだった。その他は新聞紙か紙製の袋であった。我が家ではその袋をごみ袋などに転用して使っていたことを思い出す。

 スーパーマーケットができて、レジ袋というビニール袋が普及するともう買い物かごを持ち歩くことがなくなった。手ぶらで買い物に行けるのは便利だ。専業主婦が少なくなって、職場の帰りに買い物をする機会も増えたこともあり、買い物かごはほぼ絶滅した。コンビニエンスストアができるようになると、自宅から袋を持っていくことはむしろおかしなこととなり、疑いの対象にすらなった。

 それが環境問題でレジ袋の削減が提唱されると、再び家庭から袋を持参する形が復活した。最初は従来のレジ袋を再利用していたが、使っていくうちに劣化して破れ始めると、少し強めのいわゆるエコバッグを使う人が増えてきた。折りたたむことができるので会社帰りにも使える。私もカバンにいつも一つは入れている。

 ところがこうしたバッグの多くは底にあたる部分の面積が小さく、弁当などを入れると地面に垂直に入らない。歩くうちに傾いてしまう。こぼれることもあって不快だ。そこで最近はもう少し大きく丈夫な袋を持参することが増えている。こうなるともう昭和の買い物かごに近づいている気がする。生活のスタイルはもしかしたら形を変えながら繰り返されていくのかもしれない。

自己暗示

 色々な本に書かれていたり、スポーツの選手やコーチが言う言葉に自己暗示の大切さがある。苦しいときこそ笑顔を作れ、作り笑いが本当の幸せをもたらすことがあるというのだ。

 最近はこれを精神論ではなく脳科学の観点から説明する人もいる。ポジティブな行動をすると脳が活性化し、上手くいくことが多いのだという。かつては歯を食いしばって頑張れと言っていた野球の監督が、いまは無理にでも笑えという。事実優勝するチームの多くはチームに明るい雰囲気がある。

 自己暗示とは自分を意図的に騙すことに他ならない。そしてどうも人間は騙されやすいらしい。自己暗示は効果的に使うべきだ。また教育おいてはほどよい自己暗示の方法を教えるべきなのだろう。

睡眠儀式

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 最近は疲労度が大きいのに眠れないときが多い。いびきをかいてしまうなどの眠りの質も問題だ。ここ数か月、私が心がけている睡眠儀式が「眠れる音楽」を聴くことである。

 YouTubeには睡眠導入の音楽と称するものがたくさんある。何分で眠れるという題名のものもあって面白い。ただ、ほとんどが数時間の尺をもっており、中には12時間近い長さのものもある。これは一晩中流していてもいいということなのだろう。

 私の場合はこうしたチャンネルから適当な音楽を流し、パソコンの蓋を閉じてイヤホンで聴く。横になってイヤホンから流れている単調な音楽を聴いているうちに眠れるというわけである。寝た後は耳からイヤホンが自然にはずれるので音楽に起こされる心配はない。

 これが私の睡眠儀式である。かつては飲酒などで無理やり寝たが、浅い眠りになり疲労回復にはならない。音楽療法(?)の方が私には向いている。今日もまもなく睡眠の時間だ。イヤホンの音量を微弱にして聴き入ることにしよう。

 

感謝

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 明日は勤労感謝の日だ。起源的には新嘗祭が関係する。その年にとれた作物に対する収穫感謝の祭日が、天皇制と結びついて発展して宮廷行事となったものである。天神地祇にまつる行事というが、実際には穀物を育てた人々の営みに対する賞賛と感謝の日であった。

 今日では勤労は多様化していろいろなことが仕事になっている。ここ数年でまたいろいろな仕事が生まれた。その一方で消えてなくなる仕事もある。やがてなくなるであろう仕事もあると感じている。コンピュータの驚異的な発展により、人間の仕事は軽減し、さらになくなっていくものもある。かつては教員はなにがあってもなくならない仕事だと言われていたが、最近はそれを言う人は少ない。

 仕事ができることにまず感謝しなくてはならない。働いて給料をもらえること、家族の生活を支えることができるという事実はなによりも幸福だ。働かずに楽をしていきたいという人もいるが、私は働ける限り働きたい。それが誰かのためになっていると実感できるならなおよい。

 先に述べたように仕事をコンピュータに奪われる可能性がある。その前に国際的な競争に敗れて職を失う可能性も大きい。それらがクリアされても、自分自身の能力が足りなかったり、加齢による限界も見えてくる。いろいろあるなかで働けることにまずは感謝したい。