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石斛

 石斛(セッコク)は蘭科の植物で木の幹などに見られる。着生植物というそうで、樹木には張り付いているだけでそこから養分を取っているのではないらしい。寄生植物とは異なるというのだ。だから岩に張り付くこともある。

 先日、ある植物園で石斛を見つけた。ヤドリギかと思ったが、前述した通り着生しているだけの生態である。おそらく意図的につけられたものだったのだろう。ちなみに寄生植物にも自ら光合成をする半寄生植物と、葉緑素を持たない寄生植物とがあるという。

 石斛は蘭科だけあって花が派手である。確認できなかったが芳香もあるという。私の見たのは近縁種のデンドロビウムかそのれとの交配種である可能性が高い。植物というのは園芸種として幾通りにも改良され、樹上着生という性質さえ忘れられてしまうものもある。

 石斛は長生蘭とも呼ばれ江戸時代には愛好家が多数いてその僅かな違いを競うものにもなっている。薬効もあるという。俳句の夏の季語でもある。

シャクナゲ

 近隣の人家の軒先にシャクナゲが咲いている。ツツジ科の花らしくそのような形の花をつけるが、固まって天を向いて咲く様は一層華やかさを感じさせる。ちょうど今頃が見頃だ。

 「夏の思い出」という歌曲の中で黄昏の形容として使われているのは有名であり、私も花の名を聞くとまずこの歌の歌詞が思い浮かぶ。シャクナゲにもいろいろな色があるが、尾瀬を彩ったのはどんな色だったのだろう。

 調べてみるとシャクナゲには害毒成分があるらしく見た目とは違う。あやまって体内に取り込むと命に関わることもあるらしい。園芸種などでも毒性は消えていないそうだから気をつけたい。美しいものには棘がある。本当の棘はないが毒というトゲがあるということである。

楠葉

 公園を歩いていたら紅葉した楠の葉がたくさん落ちていた。夏に向かう今の季節に紅葉があるのは驚きだ。楠は常緑樹だが、初夏に若葉が出る。そのとき古い葉は落ちるのだが、これが紅葉するのだ。

 つややかな葉が赤く色づくさまは美しい。葉によって色づき方が様々であるのもいい。一葉持って帰って保存したいと思うのだが、一枚選ぶとなると決めきらずいつもそう思うだけになる。

 このところ暖かい陽気が続いているので楠葉の世代交代は一層進むのだろう。落葉の方に思い入れをしてしまうのはなぜだろう。

まもなくハナミズキの季節

 実家に向かう道を夜歩いていたら、桜の花が散り急いでいるのを見つけた。路面のアスファルトに多くの花びらがはりついていた。桜の季節は終焉に向かっている。そして街路樹を見上げるとハナミズキが少しずつ花芽を大きくし、一部は開き始めていた。

 その通りは数キロにわたってハナミズキが街路樹として植えられ、もう少し経つと一斉に開花して美しい風景になる。あちらこちらに似たようなところがありここだけではないのだが、個人的にはなかなかの名所ではないかと考えている。

 満開になるのにはまだ間がある。楽しみにしていたい。

こぶし

 実家の近くの街路樹のこぶしが見頃であった。

こぶし

 春の花として有名だが、まず花だけ咲くので白が際立つ。足元にはもうとうが立ってしまった多くの土筆が並んでいた。季節の息吹を感じることは大切だと再認識した。

 今年の桜は開花がここ数年と比べると遅かった。その分、ここに来て一気に咲いたために美しさが増している。咲き方にもいろいろある。

 このあとは桜吹雪の季節になる。これもまたそれぞれだ。散り際に注目する美意識は引継がれていると思う。どう次の季節に繋いでいくのか。今年も桜に学ぶことにする。

桜開花予想

 実家の最寄り駅前の桜が咲いていた。早咲きの品種である。東京のソメイヨシノの開花は気象関係機関や企業の予報では3月20日〜24日ごろであり、あと数日後のことである。

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 桜が咲くには気温と日照時間のみならず、冬季の寒さも必要らしい。気温の変化によって休眠期間がおわり、開花が促されるそうだ。今年のように暖冬傾向が長々と続くとこの切り替えが顕著ではなく、開花が遅れることになるのだという。

 とはいえ、大方の開花予想日は平年よりは早く、満開になるのも28日ごろらしい。東京の標準木は靖国神社境内にある。都心の気温は高めで、周囲に比べて早く花期が経過する。それにしても入学式のころには散り急ぐ花を見ることになるのだろう。

 かつては農業の指針であり、伝統的な美意識の対象ともなったこの花は、現代では人間の生活に翻弄され生態を変えつつある。いつまでも桜花爛漫を寿ぐ文化が続いてほしいと願う。

梅の花

梅花

 実家から散歩をすることにした。田園の中を歩くと時々梅花に出会う。恐らく地主の趣味なのであろう。通りすがりの私にとっては嬉しい偶然である。

万葉時代は梅花は舶来の花という感覚が強く、海外の植物という感覚があったようだ。令和の元号の由来となった大宰府の梅花の宴の歌のようにどこか構えた作品が作られたのが当時の梅に対する思いなのだろう。

 現代人は梅をむしろ和風のシンボルのように考えている。梅花を愛する気持ちは恐らく世界一ではないかとも思う。梅鉢の模様は天満宮のみならず、日本人の多くを説得できるものとなっている。

 いま田舎道を歩いて気づいたことがある。私はいかに知識の上だけでものごとを見ているかということである。実際の風景は変化にとんでおり、理想とはかけ離れている。それをありのままに認めることで、つぎの発見があるのだ。最近の私の生活に欠けていることに実体験というものがある。体験を通して知識が得られることを理想とするのなら、今の生活は極めて低調なものだ。経験より知識が先行している。

 私の日常がいかに記号化され、実体験から遠ざかっているか。今日の散歩はそれを痛感させてくれた。

花見は早まりそう

 気象関係者によればこれから高温傾向となり、梅や桜の見頃が早まりそうだということだ。花粉の飛散も始まりそうである。

 最近はマスクをせずに外出しているがそろそろ花粉症対策を始めなくてはなるまい。対策薬も服用を検討しよう。

 東京は雪のが日陰ではわずかに解け残っているが、もう次の季節だ。これから体調を崩さないようにしたい。

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紅葉から思うこと

 紅葉が進んでいる。これまでに何度か取り上げたショッピングモールの植樹であるムサシノケヤキが色づき始めた。

 猛暑から激変した季節に間に合わせるかのように紅葉する速度も非常に速い。日々様子が変わっている。すぐに落葉してしまいそうで切なく感じる。衰退を感じるからだろう。

紅葉の季節

 しかし、落葉樹が葉を落とすのは決して死に向うためではない。むしろ厳しい季節を生き抜くための手段である。落とした葉は自らの養分として再利用するし、そこに至るまで分解者たちの命の糧となるものだ。

 紅葉とその後の落葉は逞しくもしたたかな命の営みの風景の一つであることを思い出しておきたい。