今朝は気温が上がらず雨も降り続いている。はっきりと季節が変わったことを感じさせる。
昨日彼岸花のことを書いたがそういえば萩もいつの間にか開いていた。もう少しで咲きそろうのだろう。一気に進む季節には驚くばかりだ。

日々の思いを言葉にして
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駅のホームに続く土手に自然に草が生える場所がある。いわゆる雑草の植生が見られる場所だ。そこにかなり多くのホタルブクロが咲いているのを発見した。日本全国で見られる野草の一つだが、釣鐘状の花がきれいなので園芸に用いる人もいる。
ホタルブクロというのは子どもが花の中にホタルを入れて遊んだからという語源説が有力だ。いかにもファンタジックな名前である。もっともこの花はホタルの生態とは無関係であり、ホタルの生息地との関連もなさそうだ。
調べてみると食用にもなるようだが、食べたこともないし食べたという話を聞いたこともない。毒性がないということは確認できた。綺麗な花にはしばしば毒性があるものだ。
ホタルブクロを見ると小学生の時に読んだ児童文学を思い出す。古田足日の『大きい1年生と小さな2年生』だったはずだ。ホタルブクロがとても貴重な花のように思えてならなくなった。その後、意外にもどこにでもある花だと知ることになるが。
駅前の土手はやがて草刈りが始まるはずだ。ホタルブクロは残してほしいなどと勝手なことを考えている。
昨日はとても暑い一日だった。ただ、まだ湿度がそれほど高くはなかったので日陰に入ると涼しさを感じることができた。近隣の公園に行くと小さなテントを立てる家族が沢山いた。簡易に立てられるテントがあるらしく、登山の時のような専門的技能はいらないらしい。小さなテントで親子連れが横たわっているのは少し羨ましい。
私は木陰ができているところに行ってみた。すると木漏れ日が独特の影を落としている。しかもおそらく光の屈折かなにかの効果で独特の縁取りになっている。それが絶妙な半日陰を作り出していた。涼しさに加えて心地よさを感じさせるのは光彩の力なのかもしれない。

木漏れ日に落ち着きを感じるのは原始の記憶が呼び覚まされるからだろうか。そんな非科学的な妄想を次々に考えてしまう。森に抱かれていたころの人間は今のような生活には耐えられないと思う。
これからさらに暑い日々が訪れる。冷房に頼りすぎて引きこもってばかりはいられない。それでは精神が病んでしまう。大切なのは猛天下でも適度に外界と関係をもつことなのだ。そのときに木漏れ日の優しさを思い出したい。
石斛(セッコク)は蘭科の植物で木の幹などに見られる。着生植物というそうで、樹木には張り付いているだけでそこから養分を取っているのではないらしい。寄生植物とは異なるというのだ。だから岩に張り付くこともある。
先日、ある植物園で石斛を見つけた。ヤドリギかと思ったが、前述した通り着生しているだけの生態である。おそらく意図的につけられたものだったのだろう。ちなみに寄生植物にも自ら光合成をする半寄生植物と、葉緑素を持たない寄生植物とがあるという。
石斛は蘭科だけあって花が派手である。確認できなかったが芳香もあるという。私の見たのは近縁種のデンドロビウムかそのれとの交配種である可能性が高い。植物というのは園芸種として幾通りにも改良され、樹上着生という性質さえ忘れられてしまうものもある。
石斛は長生蘭とも呼ばれ江戸時代には愛好家が多数いてその僅かな違いを競うものにもなっている。薬効もあるという。俳句の夏の季語でもある。
近隣の人家の軒先にシャクナゲが咲いている。ツツジ科の花らしくそのような形の花をつけるが、固まって天を向いて咲く様は一層華やかさを感じさせる。ちょうど今頃が見頃だ。
「夏の思い出」という歌曲の中で黄昏の形容として使われているのは有名であり、私も花の名を聞くとまずこの歌の歌詞が思い浮かぶ。シャクナゲにもいろいろな色があるが、尾瀬を彩ったのはどんな色だったのだろう。
調べてみるとシャクナゲには害毒成分があるらしく見た目とは違う。あやまって体内に取り込むと命に関わることもあるらしい。園芸種などでも毒性は消えていないそうだから気をつけたい。美しいものには棘がある。本当の棘はないが毒というトゲがあるということである。