政治家の話を聞いていると、かつては良かった日本が今は衰退している。だから、過去の輝きを取り戻すといった内容のメッセージが多い。過去の栄光と、今の体たらくを認めた上での論調だ。
私のような世代にはこれはある程度説得力がある。世界第二の経済大国とか、Japan as No. 1という言い回しに慣れた世代にとっては、現在の停滞とこれから予想される縮小再生産が許し難く、それでも認めざるを得ない事実は辛い事実だ。だから、過去を取り戻すという主張には惹かれてしまう。
でもよく考えれば過去を取り戻すという考えは現実的ではない。あの頃のような人口増加はないし、劣悪な労働環境に耐える心性もない。豊かな状態を知ってしまった人に、レベルダウンは耐えられない。できなければ効率化を目指すべきだということになり、それができないのは個々人の才能によるという自己責任論になる。
発展段階にある国家、組織は個々人が幸福の追求に貪欲で、多少の自己犠牲を厭わない傾向にある。当然競争や軋轢もある。それを避けているうちはブレークスルーは生まれにくい。
だから過去を取り戻すのではなく、新たな挑戦の時代に局面を移すというのが、指導者の言うべきものなのだろう。これには多数の敗者が発生する。過去の歴史では一度敗れると浮かび上がるのは大変だった。もし可能であれば、敗者復活のシステムを確立すべきなのだろう。
リーダーがこのことを言うのは難しい。挑戦しなさい。うまくいけば社会的成功があります。ただ、失敗することもあります。その可能性の方が多いのですが、それでも再挑戦するのです。いつか成功するまで続けるのです。そんなことを真面目に言えるリーダーが出ればまだこの国は何とかなるのかもしれない。そもそもこんなことを言うリーダーに支持が集まるとは思えないが。
学歴社会に生きてきた私にとって、過去の栄光は絶対的な財産であり、獲得すれば上に行き、しそこなえば浮上は不可能という思い込みがある。ただ、若い世代は違うだろう。過去の栄光がない代わりに危機感がある。そこに上昇志向が加わればいい。
年配者は後生に余計なことを言わず、個人の可能性を信じ引き出すことに意識を向けるべきだ。それが私たちのできる1つ目、そして、もう一つ、自分もまた挑戦する立場を捨てないことなのだろう。