タグ: 日本

善意

 東京オリンピックをめぐって様々な善意の報道がある。選手同士あるいは選手とスタッフ、周辺の人との交流など様々だ。

 オリンピックは日本のおもてなしの方法を体験していただき、世界に拡散する機会だった。それがきわめて限定的なものになってしまったのは残念としか言いようがない。

 私は日本人が道徳的に優れているなどとは思っていない。ただ、原理原則よりもその場にある人を大切にしようとする心の傾きがあることは事実であり、それこそが現代社会に求められている何かの一つではあると確信する。

 国単位に考えることは間違いかもしれないが日本の文化が培ってきたことを世界に説明する意義は大きいと考えている。

台風が接近中

 東京は朝から曇天である。風はないがかなり湿度が高い。南海上を台風が通過するらしい。

 オリンピック開催中は台風の通過は少ないと考えられていた。最近の気象は過去のデータがあてにならない。これまでそうだったとしてもこれからも同じかどうかまったく分からない。

 海外からこのサイトをご覧いただいている方もいらっしゃるらしい。少なくともデータ上は世界の各地からのアクセスがある。だから、念のために書いておくが、日本の台風は結構恐ろしい。あまりに頻繁にある現象なのでそれなりの対策はあり、滅多に被害はないがそれでも毎年災害が発生し、犠牲者も出る。オリンピック選手はまず安心だろう。

 日本はいろいろな場所に人が生活し多様な生活をしている。それが日本の文化を豊かにしている要因の一つだ。台風や地震にも負けることがない、健気な民族の暮らす場所なのだ。

開催国の誇り

 東京オリンピックは無観客が前提となっているため、テレビやネットを通してしか見ることができない。これならば他所の都市、他の国の開催と変わることはない。海外の方々が東京オリンピックにどれくらい関心を持っているのか分からないが、東京にいても大会が見られないことの悔しさだけはお伝えしておきたいと思う。

 開催国として日本の選手が好成績を挙げていることは喜ばしいが、他の日の記事に書いたように私はこの大会にナショナリズムを持ち込みたくはないという立場である。同じ言葉を話す選手が活躍するのはうれしいが、あくまでそれは個人の努力によるものであることは忘れてはならない。

 開催国としての誇りを持てるとしたら、様々な記録を東京大会で更新することができるということにある。世界新記録が生まれると、選手の努力に報いることができたという事実に開催国の国民として誇りを感じる。また、東京で史上初のメダルを取った国があれば、それも誇りだ。できれば日本の選手に栄冠を取ってほしいが、そうでなくてもいい。競技するための最高の環境を提供できたことを誇りとしたい。

芸術の目

 情報技術の発展により、知識やスキルはあっという間に共有され、結果として便利だがつまらない世の中を作っている。こういう状況に今の日本は対応できておらず、イノベーションも起こせない。だから、敗北感と閉塞感が募りる。考えてみよう。日本文化で世界的な評価を得ているものは独創性に富んだものであり、多くはそれ以前の伝統に根ざしていえる。アニメが江戸時代以前の日本の絵画と地続きなことは例えば浮世絵を見れば想像がつく。

 ゲームの世界の背景にある漫画やアニメの世界は、組織的なくびきから逃れてきたアウトロー的な存在であり、その中には反社会的なものやエログロ、ナンセンスも許容されてきた。その寛容性から新しいものが生まれたのだ。こういう風土は作ろうと思って作れるものではない。管理しようとすればますますつまらないものになる。多様性の中に可能性を見出すことをしていかなくてはならない。多くの駄作の中に光るものが出てくるのだ。駄作に分類したものも実はそうではない可能性もある。

 情報技術は芸術の世界にもさまざまな利益をもたらしているが、逆に大切な要素を削ぎ落としつつある。作品はこうあるべきだという価値観を共有することは、逆に言えばそれ以外の可能性を見えなくしてしまうのだ。そのためには芸術活動をしている皆さんには自分の創作を信じていただきたい。また多くの人が芸術家を、それができなくても創作活動を目指すべきだ。芸術の目をもつことが今後の世界を救う方法だと確信している。

夜の野生動物

 かなりの人口を抱える街でも意外な動物を見かけることがある。今年は蛇の脱走が話題になったが本来いないはずの動物が繁殖してしまう例は多いようだ。

 先日、近隣の街角で犬でも猫でもない動物が道路を渡るのを見た。ハクビシンではないかと思ったがよくはわからなかった。住宅地の中を平然と歩いていた。

 おそらく誰かに連れてこられた動物がこの列島で命をつないでいる。招かれざる客と思うなかれ。我々人類も同類も知れないのだ。

誇りある国

 国際問題に関して今の日本人は切羽詰まっている気がする。日本は東洋の辺境地帯で資源のない島国であるという現実をどこかに忘れてしまったのではないか。この国が繁栄するための最低限条件は他国、他地域との共生だ。それが近年の経済的成長でわからなくなってしまっているとしか言いようがない。

 日本が先進国に序せられるのは偶然の積み重ねに過ぎない。私達の先祖もそれを望んでいたわけではない。むしろ毎日を平穏に過ごすことだけを願っていたに過ぎないのであり、他国より有利に過ごそうなどという野望は持っていなかったはずだ。それが明治維新を経過し、戦争の勝利と敗北、経済的な成長ですっかり分からなくなっている。私達がはじめから優秀な国民であるかのようなプロパガンダをすんなりと受け入れてしまう思考停止が今の日本人の現状だ。

 私は国としての誇りを捨てることは好まない。しかし、誇りある国は他の国にも誇りがあることはわかるはずなのだ。それがどうも隣国を見下したり、無条件に自国が優れていると考えることが蔓延しているようで仕方がない。私はその意味で愛国心を育てることには意味があると考えている。それが自国優先主義にならないことを注意深く見守ることが必要であることは自覚している。

余震

 今日18時9分頃、宮城県沖でマグニチュード6.9の地震が発生し。最大震度5強を宮城県で観測した。気象庁によると2011年3月の東日本大震災の余震ということだ。10年経っても余震があるとは実に驚きである。

 先月も同規模の地震がありやはり余震とされていた。地震は収束に向かっているのか、それとも新たな大地震の予兆なのかは誰にもわからない。今回は津波注意報まで出た。東北の皆さんには心配であろう。察して余りある。もうそろそろ終わるかと思えばまたぶり返す。日本にとって地震との付き合いは止むことがないのだ。プレートに上に浮かぶ船のような日本列島に生きる以上、これは覚悟しなくてはならない。

 常に内心に危機を感じ、突然訪れるかもしれない終末を潜在意識のなかに持ち続ける。これが日本人の心性を形成している。

延長されて

 東京などの関東の緊急事態宣言は2週間延長されることになった。医療機関の負担を減らすためだという。一時感染者数が激増し、今も毎日増え続けていることを考えれば仕方ないともいえる。

 ただ、後世のために記せば東京の街は人出に溢れている。もちろんかつてのような超過密ではない。普通の過密状況はここ数ヶ月変わることがない。ほぼ全員がマスクを着用している写真は残しておく必要があるかもしれない。いやこのあとも状況は変わらないのだろうか。

 この延長を東京オリンピック開催の方便と考える人は多い。現状ではかなり危ういがやることはやっているというメッセージを世界に発信したいのだろう。そうなればいいが。

 いずれにせよ暫く忍耐だ。

節日

 3月3日はひな祭りとして日本では女子の成長を祝う日となっている。本来は古代中国の陰陽思想に基づくもので、奇数のぞろ目の日が節日として特別扱いされていたのに基づく。

 古代の宮廷では上巳の節句とも言われたようだ。曲水の宴なども行われ、風流な一面もある。旧暦のこの日は今より暖かく、様々な花が開く春の一日だったはずだ。その根源は禊や祓いをすることであったという。日本の宮廷には定期的にこうした行事がある。

 科学の進歩により簡単には穢れは消えないことがわかってきた。しかし、古人が年に何度も禊を繰り返したように、何かにすがって生きるのも一つの知恵なのかも知れない。

梅園

 近隣の公園にでかけてみた。梅園はまだ五分咲きくらいだった。品種によってかなり差がある。

 梅はもともと外国から植樹された樹木らしく、万葉集の時代にはかなり大陸が意識されていたようだ。令和の元号の由来ともいわれる大宰府の梅花の宴も、舶来の花を囲むところに意味があったのだろう。平安時代には庭木として定着し、時代が下るごとに梅にエキゾチズムを感じることはなくなった。むしろ和の象徴に感じる。

 梅の木を人々がどのように考えて来たのかをさぐることはこの国の歴史を知る一端だ。