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外国人観光客に見てほしい

Welcome

 コロナウイルスシフトが弾力的になってきて少しずつかつての日常が戻りつつある。海外の人のために申し添えると日本ではまだほぼ全員がマスクをつけている。政府は距離が保てれば外しても構わないと言っているのにも関わらず。

 海外の観光客もこれから増えていくはずだ。大量のお土産を買って帰る姿は復活するのだろうか。円安が進む中で狙い時であることは確かだ。

 韓国は前政権が日本との対立によつてアイデンティティを確立していた構造上、民間レベルでも不買運動などがあったという。日本はどうか。一部の人の理不尽なヘイトはあるが、実はかなり少数である。大半は韓国の文化に寛容であり、羨望すら抱いている。年齢層ごとに対象は異なるが、韓国文化に日本人は日常的に接している。日本のテレビ番組表を調べてほしい。韓国ドラマがまったく放送されない日を見つけるのは困難だ。中高生に好きなアイドルを聞いてほしい。きっと韓国人の名前が出てくる。

 異文化に対する寛容さと受容と消化は日本の文化的特質だ。差別という考えも他国に比べると少ないのではないだろうか。もっともこれは数や程度の問題ではない。どのような段階でも人権が蹂躙される機会は注意深く取り除く必要がある。

 その上で、海外の人に日本を知っていただき、一人でも理解者を増やすのは得策だ。海外の人々には日本旅行を検討してほしい。買い物も良いがぜひ真実の日本人の姿をご覧いただきたい。あなたの国で言われているほど好戦的な国民ではない。むしろ穏やかであり、国際感覚には欠けているが悪意はない人たちばかりだ。

 隣国の大韓民国を始め、心の距離が遠くなってしまった国や地域の皆さんが来日して真実の姿を知っていただくことが何にもまさる友好の手段ではないと考えているのである。

ガチャ

 格差社会を表す言葉の中でも特に悲しい表現に親ガチャというのがある。子にとって親は選べない。誰の子として産まれるかで人生に大きな差が出るということだ。

 これを運命論として片付けてはならないだろう。その家に生まれたのが定めであり、神の思し召しでもある。それを受け入れた上で分に応じて生きるしかない。これは近代が克服した社会観であったはずだ。

 ところがどうも最近の風潮では運の悪さという結論に持っていこうとする風潮があるように思えてならない。諦めがそこには溢れている。苦境にある子どもがそれを言うのならば同情の余地がある。しかし、そうでない人はこの考えはいちはやく捨てなくてはならない。格差は多くは社会システムの問題で起きている。それを放置している政治家と、彼らを選んだ国民を問題にしなくてはなるまい。

 格差を自分の問題と認識できなくなったとき、その禍は必ず自らに至る。相対的貧困率の高いと言われる現実に向き合わなくてはならないだろう。

フィンランドに学ぶ

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 フィンランドの社会制度や教育制度に関する紹介をした新書を読んだ。フィンランドの教育には以前から注目が集まっており、私もいくつかの本を読んでいた。しかし、どうしてあのような高福祉国家なのに(つまり恐ろしく税金が高いということになる)国民の幸福感が高いのかについては今一つ理解できていなかった。今回の読書で少しそれが分かった気がする。

 その一つはフィンランド人のものの考え方にある。北欧の小国という自覚が強く、ロシアに接する地勢上の問題もあって、きわめて現実主義であるという点である。国家として存在できれば個人の利益は譲ってもいいという考え方がある。これは極めて大切な観点だ。一定の緊張感のもと利他的な精神が保たれていることになる。

 今の日本人が学ぶことといえばまずはこのことであろう。アジアの辺境に位置する日本が国家として体をなすためには種々の苦難が伴う。そのことを忘れているのではないか。苦難を乗り越えるためには大同団結できるはずなのに、今の日本人にはその自覚が欠けている。アジアの先進国という自負が真実の姿を認識できなくしていると言える。

 フィンランドが理想の国かといえばそうでもなさそうだ。高福祉国家の宿命であるといえるサービスの平準化がある。最低限の質は保たれるがそれ以上は望めない。平等を重んじるあまり、特異な才能は見逃してしまう。伝統的な絆に関しては崩壊の可能性を常にはらむ。そういった危険性を持っている文化である。

 それでもフィンランドに学ぶことは大きい。私はもう少し学びたいと思った。サンナ・マリン首相が有能な若い女性であることが象徴するように、日本にはないなにかを学び取れることができれば、ダウンサイジングする日本にとっては有益な道しるべとなるはずだ。

アジャイル

アジャイルとは素早さという意味があるらしい
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 アジャイル(agile)とは機を見て策を変える手法のようである。ソフトウェア開発で使われていたことばが経営学的にも援用されている。刻々と変わる価値観にいかに適応させていくかを重視する方法であって、不確実性の高い現在の社会状況にまさに適応するために生まれた。

 少し前ならばこういう考え方は低く見られがちだった。一貫したポリシーがないかのように見られがちだったのだ。あるいは弱者が生き残るための必死の策と考えられ、余裕のあるものはとるべきではないと考えらえていた感がある。

 アジャイルのような考え方が主流派に加わりつつあるのは、やはり予測不能の時代への対処を何とかしたいと思っているからだろう。特にわが国には前例踏襲の伝統があるといわれ、それが発展を阻害していると言われている。私はこれには反論がある。

 日本文化は中長期的には常にアジャイルで進んできている。伝統を守ると言いながら常に新しい要素に寛容であった。よく考えてみればこの日本語自体が時代とともに様々な外来のものを取り入れて変化しているではないか。

 昨今の時代変化はこれまでとは異なり速度や影響力が多大である。それに対応するには日本列島に住んできた人たちが土着的に身に着けてきた臨機応変性を思い出すのが一番だと思う。神道的なものから仏教や儒教といった宗教的なフレームを受け入れベースにしながら、次は資本主義や西洋科学の概念を模倣し文化に取り入れた。情報化社会となった現在も海外からさまざまな考え方や物品が来ているがこれを貪欲に取り入れ、和風化し、その都度取捨選択して形を変えていく。日本式アジャイルはここにある。

 完成品ばかりを理想としてそれにランクをつけるという考え方も実は歴史は浅い。なければ自分で作ればいい。そう考えてきた。そうして次々に自分の身の丈に合ったものに変えてきたこの国の歴史的土壌に自信を持っていいのではないか。日本文化が他国のそれと比較して特に優れているとは考えていないが、先祖たちが築き上げ、いまの日本人にも受け継がれていることは確かに尊いものがある。

文語調

天下の険

 中学唱歌の「箱根八里」は私の好きな歌の一つだ。箱根を天下の険と言い放つ潔さは爽快だが、この歌を支えているのは七五調の文語詩である。

 古典文には源氏物語のような優雅な文体と、平家物語のような和漢混淆文も持つ歯切れのよい文体とがある。後者は現代日本語の礎となっており、読んでいて共感しやすいのはそのせいかもしれない。

 箱根八里の最初のフレーズでは険、函谷関などカ行の音が印象的だ。つぎの部分では万丈、千尋などザ行、聳え、支ふ、などのサ行音が際立つ。漢文由来の難解な語も一度その意味を知れば代えがたく感じる。

 文語調の歌曲を歌う機会は子どもたちの世界から急速に消えつつある。箱根八里はかつての子どもたちにも難解だったはずだ。卒業式の定番、仰げば尊しや蛍の光もその意味を説明できる高校生がどのくらいいるのだろうか。

 時代遅れと排除するのは容易だ。ただ、それによって古人の叡智を切り捨て、日本語の可能性を狭めていることに気づかなくてはなるまい。

Japan is worth visiting

Tokyo Skytree is waiting for you.
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 Although the coronavirus has caused a period of self-restraint, the threat is gradually subsiding. Meanwhile, the yen remains at record lows, a difficult situation for resource-poor Japan.
 But for foreign travelers, it is an opportune time to visit Japan. They should be able to take advantage of the yen’s depreciation and enjoy a bargain trip. Japan has always been deflationary, and prices are low. The low cost of food and drink will surely surprise you. Japanese citizens do not benefit so much from the low salaries. If you are a traveler from overseas, you will be happy to know that you can enjoy your trip.
 In order to enter Japan, you must have a positive test certificate from your home country within three days prior to departure, and you must also be tested and positive at the time of entry. In the unlikely event that you test negative at the airport in Japan, you will be required to stay in accommodation for at least three days. If a person who visits Russia, South Korea, Egypt, Pakistan, Bulgaria, South Africa, or Laos within 14 days of entering Japan tests negative, he or she will be placed in a designated lodging facility and will be required to wait until he or she tests positive. These are government rules for quarantine. A bit cumbersome. If you can put up with this, your trip to Japan will be an enjoyable one.
 The expensive services for foreigners should, of course, satisfy you. However, if you want to know what Japan is really like, please take the plunge and talk to a Japanese person. They will surely introduce you to better places and stores. Japanese people are not good at foreign languages, but they can manage to communicate in English. And if you look really puzzled and ask, they will introduce you to a Japanese person who can speak English. Many Japanese are friendly to travelers.

Translated with http://www.DeepL.com/Translator (free version)

かなり、英語になっていると思う。機械翻訳もなかなか。

昭和は遠く

昭和は歴史の中に

 昭和64年1月7日に昭和が終わった。1989年であった。今年はそれから33年も経過している。その日に生まれた人はすでに若者とは呼ばれない年齢層だ。

 私にとって昭和の終わりはまだ学生であった。いろいろなことがこれから始まるという予感はあったが何も予測はできなかった。そもそも自分が生まれた元号と同じ時代に戦争があり、敗戦して復興し先進国と自称している国であることが理解できていなかった。どの時代の誰でも同じだが、自分の人生を俯瞰することは難しい。

 小渕官房長官の掲げた「平成」の元号に違和感を感じ、いかなる時代になるかと思い始めたころ、日本の経済的な停滞が本格化した。この平成年間にはアメリカの同時多発テロ、日本国内での阪神淡路大地震、東日本大震災、オウム真理教信者によるさまざまな社会不安など様々なことが次々に発生したため、その実質的な期間以上に長く感じる。その分昭和が遠ざかってしまったともいえる。

 明治は遠くなったと草田男は嘆いたが、その気持ちはいまの私の世代に共有されているのではないか。

建国

建国記念の日といっても現在の日本人にはその意味を考える人は少ない。革命で国家建設を勝ち取ったとか、新しい憲法が生まれた日とかではなく、多分に伝説的な初代天皇の即位日をむりやり太陽暦に当てはめた末の産物だからだ。

初代天皇の神武天皇は『日本書紀』によると辛酉年春正月、庚辰朔とあり、この旧暦元旦を紀元前660年2月11日と算定したということである。もちろん科学的根拠はなく、この年に古代国家が成立していた保証はない。おそらく日本という意識すらなかったかもしれない。

神武天皇は橿原の地で即位したと言われる

自然発生的な国家においてはいつがその始まりだとは言えないというのが事実だろう。前に述べたような明確な事実があり、それを区切りとするのならば記念日はある。日本にはそれがないのはむしろ長い歴史をもっていることの誇りでもあるのだ。だから、建国記念の日の意味は他国とは異なる。

グローバル化の中で、日本という国が自立できないことが明確になったいま、あえて国とは何かを考え直すことがこの祝日の意味の一つだろう。最近、没落国家と自国を言ってはばからない人が増えたが、その中で何をすべきなのだろうか。国のために命を落とした先人たちの思いと、国を捨てて自己の利益を優先する人との間にあるのは何なのか。何が正しく、間違っているのか。それを考える必要があると思う。

感染者差別

オミクロン株の流行が想定以上であるので医療機関はすでに対応が難しくなっている。いわゆる陽性判定にしても、検査をしなくても医師の判断で出せるようになったようだ。みなし陽性というそうだ。これにはいろいろな問題があるようだが現状を乗り切る手段として敢行されている。問題なのは陽性と判定された人々への周囲の心理的な問題にある。

パンデミック初期の頃、感染は対策をせず無節操な生活をしている者が罹ると報じられてきた。飲酒や深夜の会合などの関係者に感染者が出たからだ。しかし、よく考えてみるとそれは条件の一つに過ぎず、その頃でも原因は分からないが感染した人もいた。極端で分かりやすい例が抽出されて報じられたのだろう。

コロナ禍は人の心も蝕む

ただ、こうした見解はすぐに普及しやすい。不注意が感染を招く。感染した人は用心が足りない人だ。あるいはさらに進んで社会常識にかけたり、反社会的であったりするのだと。そういう人が含まれていたとしても、それが必要十分条件ではない。そうでない人も感染したのだ。

オミクロン株の感染に関してもそのときの誤解がまだ解けない。感染した人を悪し様にいったり、言わなくてもそのように考え、有形無形の差別をする人が少なからずいる。私たちの科学的認知の限界を見せつけられている。

逆もある。本当かどうかこれこそ怪しいが、報道によればコロナウイルス流行は何者かの陰謀であり、マスクをする必要などないと主張する団体があるのだという。デモ行進までしてマスクを取ることを訴えたとか。フェークニュースでないとすればこれも逆の意味で冷静な判断ができなくなっている例であり、差別の変化型である。

現実を整理し、冷静に判断する必要がありそうだ。また、影響力のある方々には繰り返し科学的な知見を説明してほしい。これは分かりやすいほうがいい。またその知見も解明が進むごとに更新されるものであることを訴えてほしい。おかしな差別を防ぐためにはまずはそれだろう。そして一人ひとりのリテラシーをあげるということを続けなくてはならない。

もっと簡単に

コンピュータを毎日使う日々が来ることは私が中学生の頃は想像できなかった。一部の科学者とか、特殊な職業の人だけが使うものであると考えていた。それが今は誰でも使う。おそらく一人一台では済まない。多くのコンピュータを使っている。

いわゆるパソコンというものはその中の代表だが、これに関してはいまだに操作が難しい。かつていちいちRUNなどと入力して始めていた頃に比べれば雲泥の差だが、それでもまだ難しいのだ。加えていま高齢者が使いこなせるパソコンがあるかといえばかなり難しい。自分が歳をとって分かったのだが、画面の文字の小ささだけでもう難しくなる。キーを叩くことも障害が出始めると難しくなる。音声認識もしわがれた声でどれほどできるのかが問題だ。

PC操作はいまはできても

コンピュータが人間の要求に答えられるようになるためには一段と開発が必要になるだろう。今はAIによる補完という考え方が主流になっている。衰えた認知力や記憶力、運動機能などをAIが予測して提供するというものだ。これにも様々な問題はあるが方向性としては間違っていない。杖か車椅子のような役割を果たすものを開発していく必要がある。

杖に例えたのは、あくまでも歩くのは人間であるということを言いたかったまでだ。車椅子の比喩もしかりである。あくまでも主体は人間でありそれを補助する道具としてコンピュータが活用されなくてはならない。