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逆戻り

3歩進んで2歩さがる

 暑さ寒さも彼岸までというが、中日も過ぎたのに今日は寒さが戻ってきた。最高気温が10℃に達するか否かということらしい。最近、温かい日が続いていただけに体感気温はもっと低い。

 東京電力によると今日の電力供給には不安があるという。先の東北地方の地震で停止している発電所があるのが要因だという。電気がなくては成り立たないデジタル時代のまさにアキレス腱だ。

 原子力発電に傾注できない国情ゆえに、自然エネルギーの技術開発が急務だ。さらに省電力装置の普及もやるべきだろう。我が家でできることは待機電力のカットくらいしかない。微かというよりほとんど無に等しいが使わない家電のコンセントを外すことから始めよう。

 

春分

Photo by Edouard Chassaigne on Pexels.com

 春分の日である。日本にとっての春分点通過が3月21日0時33分だったので、21日になったということだ。昼夜の時間がほぼ等しくなり、これからは昼の方が長くなっていく。この天体現象に古人はさまざまな思いを託してきたようだ。

 彼岸の中日としても知られている。彼岸は仏教的には悟りを得た後にたどり着く境地のようなものを指すらしく、いわゆる涅槃のことを指すと考えられる。このあたり諸説あるらしく、様々な説明がなされている。

 日本ではこの彼岸の考えを春分や秋分に太陽が真西に沈むことと重ね合わせる伝統があった。太陽信仰は古事記における天岩戸伝説にもほの見えるし、様々な古代の伝承に太陽神の伝統が見えるという(洪聖牧「太陽神論」)。さらにはこの時期には祖先との精神的連携が可能になるなるとして墓参りの習慣などがある。彼岸が祖先とのつながりを持つ過程にも様々な考察がある。(「中村牧子「祖先崇拝と天皇信仰」)。

 太陽が真西に沈むとことが西方浄土の信仰とつながったことが彼岸信仰の始めといわれる。もしかしたら仏教伝来以前から素朴に持ち続けてきた日の出、日の入りの場所が年間を通して周期的に移動する不思議さがその下地にあったのではないか。

 さて私たちは太陽や月、星をどれほど見ているのだろうか。天文学や気象関係者が周期的にメディアに発信する記号、数字としてしか知覚していないのではないだろうか。春分の意味を考えることは、人と自然とのつながりの希薄化を見直すことにつながる気がする。

夏日間際

梅も見頃に

 今朝はかなり気温が高く、今年になって初めてコートを着ずに出勤した。電車の同乗者も同様だ。予報によると関東南部は夏日近くまで気温が上がるかもしれないとのこと。極端に振れる一日となりそうだ。

花粉飛散

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最高気温が20度を超えるらしい。花粉飛散が本格的になりそうだ。私は対策薬を飲んでいるが、それでも今日は覚悟しなくてはならないかもしれない。

花粉症の知識がまだ世間に周知されていなかった頃、アレルギー性鼻炎は不治の病としてもう少し深刻に考えられていたような気がする。多くの人が耳鼻科に通い、点鼻薬を吸入した。私もその経験を持つが苦い思い出だ。

不治の病といえるがどうかわからないが、この歳になっても根本的な解決はできていない。ただ、予防の知識や抗アレルギー薬が発達したことで以前のような問題はなくなった。それでも薬を飲むと軽い頭痛に悩まされたり、喉が渇きすぎたりするのは厄介だ。

スギ花粉の量が多いのは林業による植林の偏りが影響しているとされている。昭和期に加工がしやすい杉を大量に植林したことが日本の植生を変えてしまった。それで高度成長期以降に花粉症が問題になったという。林野庁は花粉飛散の少ない品種への切り替えを計画的に行っているというが、更新にはかなりの年月が必要なのだそうだ。

風が吹けば桶屋が儲かるそうだが、こればかりは困る。儲けはほかのことで得るのが良いと思う。

激しい気温差

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気圧配や置が冬型に戻ったせいで今朝は気温が下がり強い風が吹いている。問題なのは昨日との気温の差だ。絶対的な温度以上に今日は寒さを感じる。

この季節は季節が進退を繰り返す。低気圧の位置により、南からの風が吹き込む時間がすぎると、今度は強烈な北風が入り込む。そこに激しい気温差が生じるのだ。東京では脊梁山脈の存在のために雪は降らないが、日本海側には時に激しい風雪が起きる。今日もそのような現象のようだ。

体感というのはつくづく変化の実感であると思う。大きな変化があった時に私たちの感覚は鋭敏になる。変化がないと感じなくなっていく。その事実を最近は実感している。

曲水の庭

曲水の庭

 今年の旧暦3月3日は、4月3日だそうだ。それなら桃の花も頃合いだろう。ひな祭り以前にこの日は禊の呪術が行われた日であり、宮中では曲水の宴が開かれていた。

 平城京左京三条二坊宮跡庭園にはかなり前に訪れた。その頃は発掘したままの形であったが今は本当に水が流れているらしい。文字通りの曲った複雑な流路を見て深く感動したことを覚えている。家持もここで詠歌することがあったのではないかと。宴席歌と庭園の関係について関心をもったのはこれを見たからだった、

 曲水の宴は観光行事でしか行われなくなった。ただ、その原点である禊の考え方はどこかで続いている気がする。流し雛も環境問題に反するのでそのままの形ではできない。ならば現代文明の粋を集めて架空の川を作り、そこに穢れを流したい。流した穢れが別の誰かを穢すことがないよう。注意深く設計して。

 雛人形の抱える歴史をこの機会に思い返したい。

春眠

春眠暁を

 昨日は気温が上がったこともあり、疲れが出てしまい誠に眠い一日だった。睡眠時間がかなり長かったと思う。

 実はやらなくてはならないことが山ほどある。それをすべて放棄して眠りこけてしまった。情けない。

 いや、かつてなら臆病な私はこんなに上手い現実逃避はできなかった。うっかり寝たときはしばしばあったが、その後の焦燥たるや凄まじいものがあった。いまはなんとかなると割り切れる。これが年の功というものなのだろう。

 ものは考えようだ。怠惰になったとも言えるし、余裕が生まれたとも言える。すべては春の陽気のせいにしてしばしは身体を休めることとする。

チョコレート

 バレンタインが告白の日となった歴史はさほど古くはない。もともとキリスト教圏で行われていたバレンタインデーの習慣は性別にかかわらず、贈るものも特に限定されず愛を伝えるためにプレゼントをする習慣があったという。日本に導入するにあたって製菓業者が女子が男子に物を贈る習慣のない日本の新しい行事として宣伝したのが始まりだったという。いまは告白の目的でこの行事を過ごす人は少ないと思われるが、愛情の確認というよりはつながりの維持のための手段として定着している。

チョコレートには物語がある

 チョコレートの原料であるカカオ豆の生産国はアフリカと中南米、インドネシアなどである。生産者の報酬は少なく、甘味どころかかなり苦いものであると言われている。フェアトレードの運動はさまざまな方面でみられるがこのカカオについてもそれを考えなくてはならない。私たちが楽しんで食べているお菓子の歴史を考えなければならないのだ。

 カカオは特殊な環境に育つため、日本では生産できないとされてきた。それが小笠原諸島の母島で栽培に成功したらしい。現在は少数生産のためプレミアム扱いだが、日本でも生産が可能になれば新たな可能性が生まれるかもしれない。

 チョコレートをめぐる物語はまだいろいろありそうだ。

雪になる前

ほどよく降って

 これから雨が雪に変わるらしい。いまのことろは小雨だ。南岸低気圧による降雪は予報が難しいという。予報官には申し訳ないが外れてくれることを期待する。私のように出勤しなくてはならない方には帰りの道に気をつけようと申し上げたい。

大雪

大雪は大変だ

 日本海側で大雪になっているという。私は元住民であるが離れてかなりの歳月が過ぎて感覚を失いつつある。いま思うと大変だが心躍る一時でもあった。

 私が住んでいた期間にも何度か大雪となったことがある。もっとも困ったのは玄関が雪の重みで開かなくなったことだった。幸い悪戦苦闘の上比較的短い時間で脱出できた。その昔見た二階から出入りする事態になるまでの雪はなかった。そこまでの豪雪は経験していない。

 車庫から車が出せなかったり、除雪している間にまた積もったり、帰りが心配になったりという思い出はいま考えても当時の困惑が思い出される。

 雪国の皆さんにはくれぐれもお身体大事にしていただきたい。雪は恵みをもたらすものと昔から信じられていた。幸多からんことを。