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大雨

戻り梅雨

 今日帰国した人がいたら日本は梅雨の末期であると考えるはずだ。例年この時期は豪雨になりやすい。その意味ではもとの季節に戻ったのだろうか。

 記録的短時間大雨情報というのが出されるようになった。警戒レベルのメモリが変わり避難勧告の上のレベルができたという。そのくらい最近の雨の降り方はおかしいということだろう。

 旅をすると河川の周囲にはさまざまな集落があり、豊かで美しい佇まいを見せている。しかし、これが増水時にはどうなるのだろう。今まで見た風景の全てが無事であることを祈る。

 自然災害は避けられないが、せめて被害が少ないことを祈る。

体調管理

太陽とうまく付き合いたい

 昨夜、突然めまいがして体調が崩れた。いろいろ調べてみると熱中症らしい。自室にいたのにも関わらずなんとも情けない。

 自室にはエアコンはないが隣室から涼風は届いており、サーキュレーターも回していた。この季節は日中に壁が吸収した熱が放射されるようで室温が下がりにくい。連日の猛暑で体力が落ちていること、年齢的な問題なども影響しているのかもしれない。

 この季節は例年以上に体調管理が難しい。何とか切り抜けなくては。

蝉しぐれはまだ

 約一か月早く来た猛暑の日々だが、ここまでのところ何かが違うと感じていた。それはあの騒がしい蝉の声が聞こえないということだ。数日前の新聞でも報じられていたが、同じような違和感を持っている人は多いはずだ。

 セミが鳴かない理由は簡単に言うと季節の進行の速さについていけていないということらしい。蝉が成長する前に気温が上がってしまったというわけである。昨日の朝、私の住まい近くでは多くの羽蟻が発生した。ようやく昆虫の世界が季節に対応し始めたのかもしれない。

 セミのいない夏が終わり、まもなくセミの鳴く夏が来る。まだ暑い日が続くのかもしれない。いろいろな意味で調子を外しそうだ。変な季節を楽しむしかあるまい。

七夕の願い

星に願いを

 七夕が願い事を短冊に書くようになった歴史はさほど古くはない。古典文学にそのような場面はないのは、この習慣がせいぜい江戸時代くらいまでしか遡れないことによる。もとは御祓の日であり、インプットへの願望はなかったようだ。

 この時期に願い事の行事があるのは実に面白い。結果的にいいタイミングで新しい習俗ができたと言える。半年終わって一度気持ちを改めて、新たな目標を設定してそれを目指すのは七夕の時期をおいて他にない。その意味で七夕は絶妙な時期にある。

 七夕の願いを何にするのか、考えてみると結構難しい。大切なのはそれが何であれ言語化することだ。しかも短冊に書けるくらいに縮約することだ。それができた時点でかなり願いの達成に近づいているのかもしれない。

熱風

 朝から蒸し暑い風が吹いている。ここ数日の酷暑からすると気温的には低いが、昨日が少し控えめな気温だったことに加えて湿度が高い風が体感の不快度を増している。九州に上陸したという台風のせいかもしれない。

 空を見上げると雲は多彩で複雑な状態になっていることが察せられる。大荒れにならないことを祈る。

 この暑さのせいで寝苦しく、何度も目が冷めた。目覚まし代わりにしているスマートフォンの液晶を光らせては時間を確認し、夜明けまでまだかなり時間があることを確認し続けた。今日はデスクワーク中心なので睡魔との戦いに明け暮れそうだ。

気象痛

台風接近

 気圧の急激な変化が原因で体調が悪くなることがある。気象痛とか天気痛というそうだ。頭痛や耳鳴りが多いという。自分にもその気があるのではないかと感じている。

 台風が西南諸島を北上している。気圧や最大風速は並程度であるが、進路が本州にかかる時間が長そうなのが心配だ。渇水気味の地域には恵みの雨をもたらすかもしれない。これも限度を越えないことが大切である。

 はたして気圧だけが原因なのかわからない。ここ数日不調である。疲労感があるのに眠れない。気のせい(以前も使った洒落)に違いない。

星座アプリ

stars

 星座アプリの存在は前から気になっていたが七夕を間近にして関心が高まりダウンロードしてみた。アルタイルもベガも同定することができた。

 位置情報の技術を星座表に組み込むことでダイナミックな星座ガイドになっている。現実の夜空に向かって星座の位置を探すのであるから、一種の拡張現実が現れることになる。星座の絵まで表示されるのはプラネタリウムのようだ。

 昼間にこのアプリを空に向けると見えないはずの季節外れの星座が現れる。地面に向けると南半球でしか見えないはずの星座も見えてくる。本当はありえないものを見せてくれる。

 東京の空のような2等星くらいまでしか見えない夜空にこのアプリは楽しい時間を提供してくれる。しかし、見えないものを見えることにしてよいものなのだろうか。再びVRやARの問題を考え始めてしまう。

 

中元

中元の贈り物の定番は素麺、私も好きです。

 中元は仏教行事とされているが、さらにさかのぼると中国の土着信仰に期限を持つらしい。道教として整理されているものだ。旧暦7月15 日に行われるのがアジアの多数地域での例だ。ただし日本では旧暦を重んじないため、新暦の7 月15 日もしくはひと月遅らせた(月遅れという)8月15日をその日とする。東京では7月15日の方をとり、先祖祭りをする習慣がある。最近はかなり廃れているが。

 中元という意識はなくなっても「お中元」はサマーギフトとも考えられ、贈り物をする習慣は根強い。本来は先祖への供物であったが、江戸時代には商売関係や師匠へのお礼の品を贈る習慣があったようだ。現在はこれも虚礼として廃す傾向にある。教員を始めたころ、生徒の父兄から中元が来て戸惑ったことがある。いまは住所や電話番号自体を明かさないのでこの方面の恐縮は不要になった。

 無駄な虚礼はやめた方がいい。また、一歩間違えば贈収賄にもなりかねない。間違ったことはしたくない。ただ、この中元という習慣はそれなりに社会的な役割を果たしているのではないだろうか。親戚縁者に贈り物をすることにより、紐帯を確認しあうのは無駄なことではない。形式化するのは問題だが、遠く離れている相手に自分が心を向けているという事実を形で示すのは意味がある。

 この歳になると人からものをもらうのは何か気が引けるが、贈る方はやってみたい気になる。なぜだろう。決して優越感ではない。誰かのためになること、誰かが喜ぶことをしたいと思うようになることが歳を重ねるということなのかもしれない。ただ多くの場合、それができず逆に迷惑をかけてしまうものなのだけれど。

夏越

六月も終わり

 このところ暑さのことばかりを書いている。差し迫った今ここにある危機である以上仕方あるまい。今日は六月晦日であり、旧暦なら夏越の祓が行われた。

 旧暦の行事をそのまま新暦に移すといろいろ不一致が生じる。加えて今年の約一ヶ月早い梅雨明けとなってはその誤差というや多大なるものがある。夏越の祓は半年に一度の罪や穢れを祓い落とし、禊ぎをする行事という。罪悪が塵埃のように取り除くことができるのかという点においては現代人の感覚に合わないが、何らかのけじめをつけようとする精神は共通する。それが夏の終わりにあることに意味があったのかもしれない。それが今年は始まったばかりの感がある。

 どこかに消えてしまった梅雨は恵みの雨でもあったことは確かだ。その恵みがあまり期待できないことになった今夏は、禊ぎの水はどこから得れば良いのだろう。喉は乾いても心までは干からびないように注意するより他はない。

最高峰

暑い日が続いている。今日そのピークがあるというのだが、もはや何が頂上なのかも分かりにくい。

 職場にも節電要請がきたようで管理職が対応に追われている。曰く冷房は消せないので細かく照明を消すことという。どれほど効果があるのか分からないがやらないよりはましだろう。

 未曾有の長い猛暑に水不足も懸念される。節水も先行させた方がいいのではないだろうか。