
芳香のする樹木として有名な金木犀は庭木としてもよく使われる。この写真は近隣の市の公園に植えられていたもので、かなりの群生になっていた。この花のことを知らない人がいい香りがすると呟くたびに、名前を教えたくなる。この楽しみも今の季節ならではだ。
日々の思いを言葉にして
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『万葉集』でもっとも多く詠み込まれている植物は桜ではない。桜は5番目であり、4番目は橘、3番目は松、2番目は梅、そして一番多いのは萩なのだ。もっとも万葉仮名では「芽子」などと表記され、これをハギと読むことにしている。
ちなみに日本では「萩」といえば写真のようなマメ科の植物を指すが、本来古代中国の「萩」はヨモギ科の植物を指すらしい。秋の植物といえばハギということで「萩」がハギと読まれるようになったのだろう。その意味で「国字」として使われているということになる。
萩が多く詠まれたのはこの植物がかなり古くから日本列島に自生していたことに加え、何らかの信仰的な要素があったからかもしれない。実りの秋に豊富な花をつけるこの植物に何らかの意味を感じたのかもしれない。やせた土地でも繁茂することに生命力を感じたのも知れない。
このように秋の植物の主人公であった萩だが、若い人に道端に咲くこの花を指さし、その名を訪ねても答えられる人は少ない。文化の基本は自然との関係である。もっと関心を持ってもらってもいいのではないか。

個人的な問題を書いておく。前回もそうだったが台風が接近するとどうも体調がおかしくなる。そして夜眠れなくなる現象がある。これはおそらく心身両面に何らかの影響があるからであると勝手に判断している。
実際の台風はまだ日本の南海上にあり、沖縄に近づきつつある。住まいからはかなり遠い。昨日は陽射がありかなり暑かったが、ときおり大きな雲が通り過ぎた。しかし、まだ悪天候といえるものではなかった。にもかかわらず、軽い頭痛と、抑えられていた秋花粉への反応などが起き、少々つらい一日だったのだ。
これがよく言う気象痛なのかは分からない。過去にもそういう事例を多く経験しているので、あるいはその例に当てはまるのかもしれない。気圧の変化などが関係しているという。ただそれにはまだ原因となる低気圧(台風)が遠すぎる気もしている。
もう一つはいつか前も使ったしゃれだが、「気のせい」が原因かもしれない。つまり精神的な要因で一種の思い込みだ。台風が来ると体調が崩れるという過去の経験が何度か続いたため、それが偶然の重なりであっても因果関係を考えるようになってしまったということである。おかしな話だが、こうした条件反射は存在するらしい。
さしあたって今日はほとんどよく眠れなかった夜を超えて一日をどう過ごすかだ。世の中は連休というが私は仕事がある。そして二連休に入る。今日やっておかなくてはならない仕事を伸ばすとよろしくない事態になる。台風などに負けてはいられない。あるいはこのプレッシャーが台風よりも強いのかもしれない。

今夜は中秋の名月なのだそうだ。旧暦8月15日であり、今年は月齢も満月に当たる。関東の天気予報では観月可能とのことだがいかがだろうか。
月を頼りに生活していた歴史のほうが遥かに長い。暦法が伝来してからも、月の満ち欠けのが頼りになっていたはずだ。閏月という誤差修整を認めていたのは、月齢こそが実感できるカレンダーであったからだ。
月の顔を見るのは避けるべきだという古典作品もあるので夜空を見ることには複雑な感情があったのだろう。星空を歌う古歌は少なく、月も秋季に類型的に詠まれる。少なくとも観察の対象ではなかったようだ。
名月には供物をする。収穫感謝祭だという説もあれば、先祖霊に対するものという人もいる。いずれにせよ自然科学的な関心ではないところに名月を感じる心の根があることは確かだ。