急に涼しくなったせいか昨日は一時体調が急落した。少し目眩がし、貧血気味になった。暮らし方を変えなくてはならないのに、油断してしまったのである。
身体が冷えていたことに気づき上着を着ると少しおさまった。そう言えばあまり食べていないことを思い出しいつもより多めの間食を取るとさらに回復した。なんとか立て直した。
これからは風邪をひかないように、また太り過ぎないようにバランスがいる。
日々の思いを言葉にして
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異常な高温が続き体調が悪化している。少し前なら耐熱ジョギングをしていたがいまはさすがにその勇気はない。冷房の調節を誤るとたちまち風邪現象に陥る。残念ながら今その気配が濃厚だ。
冷房を過信せずに身を守るにはやはり防寒しかあるまい。猛暑酷暑だが寝るときは防寒保温の備えを怠ってはならない。これは意識的に断行せねばならぬ鉄則である。暑くても最低限の服を着、布団を掛ける。その覚悟が欠かせない。実におかしな話である。
体感は相対的であり、周囲の動向に左右される。しかし、己の体調に合わせて振る舞い、悔いなきものにすること。それがいまの私に課されているものである。酷暑の毎日だが夜の冷房は強すぎる。ならば自主防衛する他にあるまい。夜になって別の季節の生き物になる覚悟をせねばなるまい。
自動温度調節の機器はいくらでもあるがそれを使えるのか、使えこなせるのかという点においては思うままにはならない。せめてこの猛暑を乗り切る知恵をなんとかできたら、と考えるのである。
今夏も暑くなることが予想されている。かつては部活動の間に水を飲むこと自体が難しい雰囲気があった。日射病は身体が弱かったり、精神力欠如が問題だと言われたこともあった。今から考えると恐ろしい誤解だ。
そういう論理が通ったのも、今ほど気温が上がる日が少なかったからなのだろう。いわゆる真夏日やその上の猛暑日はここ数年で格段に増えている。東京の猛暑日は1990年代から増え始め、2000年代以降は毎年かなり多くの猛暑日がある。昨年は22日もあった。根性では乗り切れないのだ。
今夏も猛暑の予報が出ている。ラニーニャ現象で海水温が高くなりがちであるのが要因だという。すでに4月の平均気温が高く、このままの傾向が継続すれば史上最も暑い夏になる可能性もある。
各所で聞く暑熱順化もさることながら、公的機関が休憩室を用意したり、木陰の多いまちづくりをするなど様々な取り組みが必要なのだろう。再び根性論が目覚めないようにしなくてはならず、インフルエンサーによる注意喚起もあった方がいい。
結構な近視に老眼をかけ合わせた面倒な目を持っている。最近、それでも眼鏡を外して歩くことが増えた。細かいものは殆ど見えない。男女の区別は出来ても、表情は読み取れない。
そういう視力で世界を見るとかえっていろいろ考えるようになった。見えない分だけ想像するようになるらしい。そして、反対に余計なものを見なくなる。これはむしろいいのではないか。
もちろん、瞬時の判断を求められる場面においては視力不足は致命的だ。スポーツ選手が引退するのは筋力よりも視力の衰えによるのではないか。それほど瞬間の判断やそれに伴う行動は視力不足には厳しい。
でも、さほどの緊迫感がないときは、むしろ余計なものがみえない方が都合がいいような気がしている。
背筋を伸ばすことを意識しておかなくてはならない。まだ高齢者とは言えないが、それに近づいている私は様々な身体の異変を日々感じている。加齢すれば起きることであるからこれは仕方がない。どんなにうわべを飾っても身体的な変化は避けられない。
白髪についてはずいぶん前から認知していた。今は定期的に染めているので気づかないけれども何もしなければほぼすべてが白髪のはずだ。皮膚のしわは隠せない。ただ、こちらは日々見慣れているせいで逆に注意が向くことはない。自然に抜けた歯がもっとも加齢の悲哀を感じさせる。
なんとかできそうなのが背筋である。背筋の衰えなどから猫背になり、やがて腰が曲がる状態になる。これについても私は高齢化の悪魔からの招待状を受けているような気分になることが多い。なるべく荷物を持って歩くこと、そしてときに意識して背中や首を伸ばすこと。背筋の衰えを克服することを意識することを考えている。気がつけば曲がっている腰をその都度直すのである。
今のような生活がいつまでできるのかわからない。なるべく健康を保ち、自分にも他人にも迷惑をかけないようにしたい。