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後半開始

 1年の後半が始まりました。ここ数年の世界情勢はまさに歴史的な異常事態です。コロナウイルス感染者は日本では低く抑えられている感じがあります。マスクとソーシャルディスタンスの効用がどれほど有効なのか分からない現状では、偶然そうなっているとしか言えません。

 オリンピック開催のために昨年からこの月がいつもと違うようになることは既成事実でしたが、さらなる大変更が起きるとは考えてもみませんでした。この年の後半も波乱続きが予想されます。

 様々なことが満足にできない現状を転機の材料とすることは至急の課題です。雨降って地固まる。ころんでもただでは起きない。臥薪嘗胆。今にふさわしいいろいろな金言を探しています。

蒸し暑い日に

 今朝の東京は低く垂れ込めた雲に覆われています。かなり湿度が上がりそうな気配がします。

 日本の夏は湿気が高いというときっと不正確です。太平洋側の地域はという条件が必要です。南から吹く季節風が太平洋で発生した蒸気を列島に運び続けるために、東京や名古屋、大阪などの都市は高温多湿の酷な状況にさらされます。

 最近は熱中症の被害者が深刻な問題となっています。今日のように日照がなくても症状が発生することがあるとのこと。むしろ油断して重篤化するまで気づかないこともあるらしい。気をつけなくてはなりません。

終息せず収束した状態

 日本語は音韻の数が少ないため同音異義語が多数存在します。使われる文脈で大抵は意味が使い分けられるのですが、なかには判別が難しいものがあります。その一例で昨今頻繁に使われているのが「しゅうそく」です。

 収束はものごとがおさまることを意味します。混乱していたものが一定の秩序を取り戻した時に収束したと言います。コロナウイルスの流行に関して我が国では感染者数、死亡者数ともにひところよりは減っています。これを表現するには収束の語がふさわしい。

 それに対して終息は終わったことを意味する熟語です。ウイルス感染がほぼなくなった状態が終息ということになります。この終息への道はまだまだ遠い。厳密にいえば終息はありえず、ほぼ終息という状態をいう言葉ということになります。

 アメリカやブラジルなどでは感染者数がまた急増しているとか。海外での数万人の死者の報道は日本人からすると信じがたい事実なのですが、まだ日本で同様のことが起きる可能性は消えていません。あくまで収束の方向に向かっているだけで、終息には程遠いというわけです。

マスクの価値観

 コロナウイルス対策のためにマスクを着用するのが当たり前になる以前の話です。大手スーパーのイオンは従業員にマスクをさせないことを発表して物議を醸しました。理由は声が通らず、表情が見えないことはサービス業として不適切だというようなことでした。それが状況一変して今はマスクをしない店員は許されない状況にあります。

 マスクがコミュニケーションを阻害することは紛れもない事実です。私たちは表情で人の感情や心理といったものを判別します。マスクで覆い隠されてしまうとその情報量は半減以下となり、発音の不明瞭さも加わって伝わりにくい状態になります。またウイルスの大きさが流通しているマスクの繊維の隙間より小さいため予防効果はほとんどないとも報じられてきました。咳や嚏などによる飛沫を防ぐためのものだと説明されてきました。

 ところがそういうことはいつの日から言われなくなりました。感染予防のためにはマスクが不可欠だ。マスクをつけていない人は接近してほしくない。マスクをつけない人は社会的に問題のある人物だとされるようになっていったのです。日本人は同調性が強い国民性を持っていますので、マスク絶対主義な瞬く間に広がり定着しました。店舗からマスクは消え、高額で転売される事態が発生したのも事実です。

 慢性的に品不足であったマスクですが、いまはかなり安価に手に入るようになってきました。品切れになる店もありますが、根気よく探せば手に入ります。マスクの価値がここ数月でこれほど激変するとは。今後もいろいろな価値観が変わっていくことになるのでしょう。

真夏日

 今朝はすでにかなり気温が上がっています。今日明日は最高気温が30℃以上と予報されています。

 梅雨入り直前の陽光が強烈に降り注いでいます。夏の陽射しそのもので湿度も高く、外出を控えていた身体にはかなり厳しい。あわせてマスク着用の約束はウイルスとは別の身体的危機をもたらすものです。

 マスクを外せる場所や外すときの作法について私たちは考えるべきです。また、何らかの方法を専門家に教えていただきたい。果たしていかなるときでもマスクが有効なのか。暑い季節を前に知らなくてはなりません。

省略できること

 リモートワークが強いられた中で、奪われたことは数々ありましたが、逆に収穫もありました。その一つが仕事の整理がある程度できるようになったということです。これはこれからも変わらない生活習慣となるでしょう。

 リモートワークではできないことはやれないという割り切りが前提になりました。その中で本当はやった方がいいが省略もできるという項目が洗い出されることになりました。意図せず分かったことになります。この基準をアフターコロナの時代にも敷衍することは自然な成り行きです。

 仕事を絞ってできることに集中するという、当たり前だけれどもできなかったことができるやうになるきっかけを与えてくれたことはひどい神様の恩恵の一つと考えたいです。

目を見る

 マスクをつける生活をするようになって人の表情を読むことは難しくなりました。大切なのは目を見て話すことといいながら結構ハードルが高い。

 もともと目を見て話す習慣のある人は何を言っているんだという話です。私は他人の目を見る時間が相対的に少ない気がします。全体の雰囲気や口調などで総合的に把握しているといえばいい表現ですが、要するになんとなく捉えているのです。

 なんとなく把握するための情報源の多くをマスクが覆い隠している状態では、私のような方法は機能しない。そのためにも目を見るコミュニケーションが必要になっています。アフターコロナの改革課題の一つです。

再起動

 東京や神奈川の非常時代宣言の幕引きの試行錯誤が始まりました。いったん始めたものをやめるのには大義名分が必要です。それをいろいろな言い方で説明するのが政治家の役割のようです。

 ある人はまだ安全が確保できていないのに警戒を解除するのは時期尚早だと言います。またある人はこのままだと生活が死んでしまう。幾分かの犠牲は仕方がないからとにかく再開すべきだといいます。私もどちらか決めかねているのですがどちらかといえば後者の方に傾いています。ただウイルスの第2波が犠牲者を出すとしたらその責任はとてもとれません。だから動けなくなっているのです。

 私は再起動には勇気が要りますがやるべきだとやはり考えています。いろいろな対策をし、制約を設けるのは仕方ないとしてとにかく始められることはやるしかない。そういう段階に来ていると思うのです。

暑さという新たな敵

 ここ数日夏を思わせる暑い日々になっていますこの暑さは熱中症という新たな敵をもたらします。

 夏を迎える前に私たちは身体を暑さに馴らしていく必要があるようなのですが、外出自粛の元剤ではそれも叶いません。そのために今年は想定以上に熱中症にかかるひとがふえるのではないかと懸念されているのです。

 とにかく家に、から、時々気をつけて運動を、にシフトしなければならないようなのです。

いつ終わる

 深夜に鳴り響いた緊急地震速報のために驚かされ、寝起きが不愉快な朝です。加えて昨日から喉が痛く、風邪を引いてしまったのかもしれません。

 私とほぼ同世代の人がコロナウィルス感染による肺炎で命を落としています。病の自覚があってから数日で重篤化し、場合によっては死に至るという過酷な経過を辿るのだそうです。

 私自身がコロナウィルスの感染歴があるのか。抗体が獲得されているのかは分かりません。突然発病して落命する可能性もあるのです。

 人生に決まった未来はなく、常に偶然の結果で次に進んでいるのはいまに始まったことではありません。ただ、こうした事態に直面すると運命とは何かなどと考えてしまうのです。