タグ: 人生

秋分

 秋分の日が敬老の日と連休になるなどかつては考えられないことであった。おかげで土曜が休みの人にとっては4連休となった。私は土曜勤務なので恩恵はなかったが。人はシルバーウイークともいうそうだ。

 気がつけばこれからは夜の長さの方が長くなる。つるべ落としで昼は短くなっていくというのだ。季節の変動を実感できることは私たちにとっては何かを見直すきっかけを与えてくれることになる。季節という永遠の循環をとおして自分の生の有限を見直すことになるのだ。

 そういえば彼岸の中日でもある。最近は死後の世界など信じなくなっている私だが、死後に何らかのストーリーを考えたくなる気持ちにはなる。そういうことを思うのも季節の変わり目のもたらすものなのであろうか。

敬老の日

 今日は敬老の日である。日本のみならずどの国でも年配者に対する敬意を示す気持ちはあるはずだ。日本の場合は高度高齢社会であり、かつて老人に分類されていた人でも今は立派な現役であることから、この言葉の意味もずいぶん変わったものになっている。

 源氏物語では光源氏は40歳を迎えたことから人生が暗転し、波乱にとんだ展開になる。かつては40歳は人生の転機であり老齢の始まりと認識されていたようだ。織田信長は幸若舞「敦盛」で人間50年と謡い、人生のスパンをそのくらいに見ていた。古希は70歳であるが、現在は日本人の平均寿命が女性で87.45歳、男も81・41歳(2019年)であり、100歳まで生きる人も稀ではない。

 老人を引退した世代と考えるのはどうも違うようだ。少なくともこの国においてはそんなに早く老け込むことはできない。健康年齢が終わるまでは労働人口に属する必要があるようだ。そのための生き方をしなくてはならない。

長崎忌

 1945年8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、推定7万4千人が死亡した。そのほかにも多くの関連死・後遺症が今でも続いている。長崎原爆記念日は私にとっては特別な意味を持つ。

 長崎に原爆が投下された日、私の父は北九州の八幡の近くに住んでいたという。いまでも多くの親戚がこの地で暮らしていたのは、製鉄所の町として栄えていたからだろう。当時は軍需工場も数多く存在した北九州は実は原爆の目標地点であったという。テニアン島から飛び立ったB29は北九州の目標をめがけて飛んだが、天候が悪く急遽長崎に標的を変更した。大浦地区上空での炸裂が多くの犠牲者を出したことは日本の無条件降伏に大きな影響を及ぼしたといわれる。

 もし北九州が晴れていたとしたら、間違いなく私の父は爆死していたに違いない。私はこの世にはいないはずだ。その反対は長崎で起きた。今私と同じ時代を生きているはずだった人が生まれてこなかったのである。

 このような運命はいつでも起こりうる。それはもちろんそうだ。人生は偶然であり、何一つ決まったことなどない。ただ、その選択はあくまで人為とは別の次元で行われるべきだ。人の作り出したもので人生を変えてしまってはいけない。戦争というのはそれがいけないのだ。偶然を決めるのは決して人間であってはならない。8月9日になるといつもこのようなことを考える。

Photo by Matthias Zomer on Pexels.com

思い出

 過去の出来事が突然浮かび上がることがあります。恐らく何らかのきっかけがあるのでしょう。それが説明できるときもあるのですが、多くの場合なぜそれを思い出したのかわからないようです。

 こどもの頃はいろいろな予感もありました。これはこの先に何かが起きる予兆ではないかと。それが当たったことも当たらなかったこともありますが、なぜか当たった方を覚えているのです。まるで自分が未来から過去に戻って人生をやり直しているように感じたこともあります。

 それに比べれば最近の自分は未来も過去もあまり思い出せない。冷静になったといえばそれまでなのですが、自由で柔軟な発想ができなくなっているともいえるのかもしれません。思い出をよみがえらせることにも体力や気力がいると感じています。

9年目

 今日で東日本大震災から9年目になりました。歳月の流れること速くすでに記憶が薄れつつあります。忘れてはならない忘れたい記憶です。

 地震の発生時は職場にいて午後の仕事のめどが付き始めていたころでした。突然の大きな揺れで動揺しましたが、意外にも冷静に行動できていたと考えます。恐らく関東の地震はものを倒すほどではなかったことや、丈夫な建物の中にいたからでしょう。建造物の一部崩壊による死傷者は東京でも出ていました。

 記憶に残っているのは震災後の不安です。エネルギー不足による暗くなった照明、計画停電、原発事故による放射能汚染の恐怖など、どうしようもできない恐怖感が静かに襲いかかっていました。度重なる余震が落ちつきかけた心をかき乱しました。

 いろいろな意味で厳しい状況の中で平静を取り戻すことができてきたこの時期に、今度は世界規模のウイルス流行で再び社会不安が増大しています。震災9年目にあたって必ず立ち直るという決意を新たにしょうと考えています。

粘り強さ

 自分にかけているものを数えあげていると憂鬱になるほど時間が掛かりそうですが、その中の最たるものの一つが粘り強さであろうと自覚しています。これは多くの事柄に通底する大切な能力でしょう。

 すぐには解決しないことを考え抜きやり抜くことは容易ではありません。しかし、それができることこそ成功の鍵なのだと考えます。便利な検索機能を使えば何でも分かったつもりになれる環境がかえって考えぬく習慣を奪っているのかもしれません。私たちはインスタントな知見で満足せず、その上を目指さなくてはならない。そのためには未知の領域に踏み込んで迷っても、簡単には諦めない強さがいるのです。

 粘り強さを生み出す精神力は机上では生まれないのかもしれません。いろいろな経験を積むことが大事なのでしょう。

弱みなのか

 困った人がいたら手を差し伸べたくなるのは人間の弱みなのか。考えてみるといろいろな答えが見つかります。

 自分の周囲に何らかの問題を抱えている人がいると認識した場合、私たちにはなんとかしてあげたいという気持ちが起きることがあります。多くの場合、その気持ちを実行できず、できなかったことに様々な理由をつけます。ただ惻隠の情が起きること自体に意味があるのではないでしょうか。なぜそのような感情が立ち上がるのか。

 識者の説明でこれは人間の歴史と関係するという言説に触れたことがあります。集団で生き残る選択をした人類にとっては集団の維持が死活問題であり、その記憶がいまも作用するのだとか。証明不可能な意見ですが確かにそういう面もありそうです。

 一方で自己本位で利益を独占しようとする営みを私たちはし続けているのも確かです。歴史で学ぶ社会変化の主要因は富や権力の集中が影響しています。利己的な動機が格差を生み出し、混乱のもとになっています。

 相反する言動を繰り返しながら私たちは生きているのかもしれません。緊急事態では同情心が発動し、平時は利己的になることを考えるに、私たちは集団の生き物という意識を忘れたときに自己中心的になるといえるのかもしれません。これは人の弱みなのか。それとも強さなのか。考えていきたいです。

考える基準

 自由に考えてもいいと言われても私は困惑するばかりです。自由に考えるというのは無から何かを生み出すくらい難しい。

 何かを考える基準として例えば宗教的な知の枠組みとか哲学者の言葉とか、歴史的事実とかは確かに役に立ちます。さらに身近な人たちの言葉も大きく影響しているのは事実です。

 なんらかの基となる言説があって私たちは自分の考えをまとめることができる。まとめるまでは無数の試行錯誤の繰り返しです。それをある言葉にまとめあげたときに、さらなる命名前の体験に挑戦できるようになるのでしょう。

あけましておめでとうございます

 2020年が始まりました。今年は東京オリンピック・パラリンピックが行われる年です。この行事の関係で私の仕事も大幅にスケジュールが変わります。日本にとってはメダルをとること以上にこの大会を成功させることと、大会後の景気対策を成功させることが肝要の一年になります。

 私自身も20年代の始まりということを意識して今までにやってこなかったことを始めてみようと考えています。資格や検定にも挑戦しますが、もっと関心があるのは趣味的なことです。中年という年齢の後半に入った私としては一生続けるというよりは今熱中できることを一生懸命やるという一年にしたいのです。

 私の生き方は人様に自慢できることは少しもありません。少々夢見がちな点を除けば普通のおじさんの域を出るものではありません。でも、年甲斐もなくいろいろやろうとしているという点だけは周囲より抜きんでてみたいと考えています。

変わらないことへの感動

 一つの仕事を実直に続けている人をみるとさまざまな感慨に包まれます。どうしてかくまで情熱は絶えることがないのか。何が彼を動かすのかと。

 一つのことを継続することは年々難しくなっています。社会の変動が激しく、その影響に飲まれてしまうからです。とどまりたくてもとどまれない、大きな流れの中に私たちは置かれているのです。だから変化しないのは停滞ではなく、かなり能動的な行為であることになります。

 変化していないかのように振る舞い、変わらないための懸命の努力を怠らないことこそ、人を感動させる何かを醸し出す源泉なのかもしれません。