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トータルでクリーンなエネルギー

 エネルギーに関する新技術の話は大きな期待を抱かせる。ただ、そのうち本当に実用化されるのはわずかで、さらにそれが実効的であることはさらに少ない。最近の話題はフィルム型太陽電池であるペロブスカイト太陽電池が話題である。開発に日本人や日本企業が関わっていることも期待される要因だ。さらに今日の新聞によると、原子炉の隣に水素製造施設を作り、ヘリウムガスを使って熱循環させることで発電とともに大量の水素の生成も行う計画があるとのことだ。安全性、特に災害時の速やかな停止ができるかどうかが現在検証されているという。東日本大震災の教訓を生かせるかである。

 石油・石炭を燃焼してエネルギーを得ることが地球規模の環境問題を引き起こしているという科学的知見から、いわゆるカーボンニュートラルを目指す必要性がある。太陽電池はその対策として生まれてきたが、現行の発電パネルは設置のために山林を削ったり、破棄の時に結果的に大量の二酸化炭素を排出することになることが問題になっている。ペロブスカイトはそれがかなり解消されるらしい。水素製造施設付き原発は、従来型よりも安全性は高いらしい。これからのエネルギー開発はトータルで環境問題を考える必要がある。様々な利益をもたらす可能性があるこの研究は、今後の主流になり得る領域だろう。

 科学技術ですべてを解決するという幻想は、私たちの世代にとっては広く共有されている。近代において科学がもたらした功罪を思い返す必要がある。でも、クリーンエネルギーへの幻想は甘美にして幻惑的な魅力がある。実現を期待している。

イルミネーション

 各地でイルミネーションのサービスが行われている。コロナ禍の期間は自粛ぎみであったものが今年は解禁されたのでその分華やかになったのだろうか。

 エネルギー問題という観点から考えると、イルミネーションはほどほどにした方がいいとも思う。つけっぱなしは止めた方がいいのかもしれない。

気候変動対策で日本が低評価

 アラブ首長国連邦のドバイで開催中の国連世界気候変動枠組条約締約国会議で相変らず日本の評価が低い。この時期に合わせてNGOが発表する化石賞で2位に「表彰」されるなど、国際評価は厳しい。

 日本が低評価になる理由の一つとして化石燃料に水素やアンモニアを混焼する技術がごまかしと評価されていることがある。グリーンウォッシュというらしい。この技術を海外に輸出していることも評価を下げている。今のトレンドは化石燃料をいかに使わないようにするのかであり、使い方の工夫をするというのでは評価されないようだ。

 ただ、日本にとって再生可能エネルギーへの転換は容易ではない。原子力発電に関して慎重にならざるを得ない国土にあって、何ができるのかを考えなくてはならない。

陽光の恩恵

 太陽光発電の腕時計の充電の度数を表す表示が少しずつ減少している。日照時間が減っているのに加えて、コートの袖などで時計が隠れることが多いためだろう。

 師走も上旬が終わろうとしている。一年の中でも夜の長さが長い時期だ。出勤時には月と明けの明星が冴えていた。ソーラー発電にとっては不利な季節だが、せめて歩くときは時計の盤面を少しでも当てるようにしよう。

 陽光の恩恵を実感することは少くなっているが、私はこんな場面で太陽のありがたさを思うのである。

使わない技術と節約する技術

 電気自動車が環境問題を解決するという幻想に世界が気がつきつつある。排気ガスを出さないことは大切だが、電池を造ったり廃棄するためにかかるエネルギーを勘案するとマイナスになるとの予測もある。

 重要なのは例えば車で言うならば乗らないで済む社会を作ることにある。日常生活の中での移動に公共交通機関を活用する方策を発明するべきなのだ。また、それでも車に乗らなくてはならない場合は、なるべくエネルギーを使わない仕組みが必要だ。最低限のエネルギー消費にできるようにインフラを変えていく必要がある。

 これまでは個々人が移動手段を自己判断で獲得してきた。するとどうしても無駄が発生する。同じところに行くのに別の車に乗り、不慣れな運転のために道に迷ったり事故を起こしたりする。これが積み重なると大きな消失となるのだ。

 同じところに行くのなら公共機関に託してもいい。高度な行き先設定は人工知能に任せよう。最低のエネルギーで最高の経験ができるはずだ。もし、運転それ自体が好きならば、そういう楽しみのためのコースを別に作ればいい。

 電気自動車を乱造するよりも、車に乗らなくていい、乗ってもエネルギーをなるべく使わないシステムを考える方を優先すべきだと考える。

自動運転車

 現在の日本が必要としているのは自動運転車であることに間違いはない。高齢者の引き起こす悲惨な事故は運動機能の低下がもたらしている。運転は無理になる年齢が来てしまうのは残念ながら不可避である。

 ならば車に自動運転してもらうしかない。その技術はすでに実用化されつつある。日本は規制が厳密なので公道での自動運転は実現化しにくい。しかし、そうは言っていられなくなっている。各国が自動運転車両の開発に力を入れており、このままでは日本の技術が遅れをとり、外国が規定したモノサシに従わざるを得なくなる。

 自動運転車が山村を走るようになったとき、地方の風景は少し変わるかもしれない。運転者はいないがとても安全なバスが街まで連れて行ってくれる。買い物も病院も思うがままだとなれば、どうして都会に住む必要があるだろうか?

 やはり日本が求めているのは自動運転車だということになる。

原発処理水問題

 韓国で福島第一原発の事故で発生した処理水の海洋放出について反対運動が起きている。塩の買い占めが起きるなど社会問題になっている。

 ただし、この問題で気をつけなくてはならないのは、有害物質と言われるトリチウムの推定排出量は現状でも世界各地で福島以上であり、そのなかには中国や韓国の原子力発電所での排出も含まれているという事実が報じられていることである。また大気中に拡散されたものが雨などの気象現象によって海洋に溶け込むことがあるとも言う。

 安全性を追及するならば、世界中の原子力発電事業に対して行わなければならないようだ。原子力はできれば避けたい選択だが、化石燃料のもたらす害悪の方が大きいとされている以上、捨てることはできない。今のところは主力になり得ない再生可能エネルギーの開発を期待するしかないのだろうか。

 韓国のような科学誤認はどこでも起こりうる。また、結果として福島の汚染水は処理水だと証明されたとしても、世界の原発の問題は解決できない。事故を起こさなくても原発は環境を変え続けている、しかし現状ではそれに頼らざるを得ないという事実を知らなくてはならないのだろう。

 

エルニーニョ

 ある気象予報によると今年はエルニーニョ現象が顕著に現れるという。それに伴う天災が心配だ。直接関係するのか分からないが、カナダでかなり大規模な山火事が発生し、その影響は500km離れたニューヨークにも及んでいるという。東京に例えれば大阪より向こうの火事の煙が漂ってきているということだ。

 気候変動の直接要因が人為的なものなのかはいまだ分からないという。中にはグリーンビジネス推進のための陰謀という人もいる。ただ、少なくとも何かの要因であることは推測されるから、無視することはできない。資源のサステナビリティも考えればやるべきことはするべきなのだ。

 暑い夏になるのか気になるが、暑いならば何ができるのかも考えたい。太陽光利用の恩恵も利用すべきだと考える。

春憂

 家持がひばりを見て孤独を感じたように、春の穏やかな風景は自分を見つめ直すきっかけにもなるようだ。決して後ろ向きになることがないように注意しながら、大地のエネルギーが感じ取れるようにしたい。

期待感

 期待感を抱きやすいのがこの季節である。年度の変り目と言うのが大きいが、花開き水温むという自然の移ろいも関係している。

 根拠のない思いだと言われればそれまでだが、人は気持ちで動くものであって、やはりそういう感覚は大切なのだ。私たちには考えたことをどこがで実現させようとする深層心理があるのかもしれない。

 ならば自他に期待感をもたせるのは世のためにも自分のためにもなる。冬は終わった。素晴らしい春になる。これだけでもいい。そのように思い、発言することでほんの少し何かを変えることができる。