投稿者: Mitsuhiro

新成人に送る

 今年の新成人はコロナ禍のためにいろいろなことを犠牲にしてきたようだ。さまざまな行事が感染予防の名目で中止になり、距離をとることばかり強制された。その結果、密なる関わりを阻害され、本質に迫る何かを失ったかもしれない。

 君たちが失ったことは大きい。間違えないでほしいのは、人は情報の多寡のみで規定されるものではないということだ。情報にはそれに付帯する生の要素があり、それらは近くにいないと分からない。スクリーンに表示されない極めてアナログな要素こそが実は大切だったりするのだ。それは必ずしも電送されない。

 コロナ禍に多感な時期を送った人たちにはこれからでも密な繋がりを持つ機会を持ってもらいたい。その多くは上手くいかない。理屈に合わないことの方が多いかもしれない。しかし、それがリアルな社会であり、私たちは理屈通りにはならない世界で生きていることを分かつてほしい。

 ますます少子化していく日本社会の中で生きていくのは大変かもしれない。社会保障の問題は恐らく年配者で何とかある程度解決する時代が来るかもしれない。ただ、あなた方自体の生き方は自分で拓くしかない。この後に起きるかもしれない不可抗力に対抗する免疫は持っている世代と考えればいい。

エンゼルマークだけが目的ではない

今、どのスナックを食べますか ?

 子どもの頃から好きでいまもたまに買うのが森永製菓のチョコボールである。この名称になったのが1969年ということだが、前身の商品を加えるとほぼ私の人生と同じ長さがある長期販売の菓子ということになる。

 安価で美味しく、適量であることに加え、キャラクターアイコンのキョロちゃんのイメージが魅力的でこれまでにどのくらい購入したのか分からない。飽きが来ないことを考えるとかなりよくできた商品であると言える。

 紙製容器の一部に隠されたエンゼルマークがあるとおもちゃの缶詰という謎の賞品がもらえるというのも子どもころは魅力的だった。ただなかなかエンゼルは見つからず、5枚集めなくてはならないエンゼルは集まる前になくしてしまい賞品にたどり着くことはなかった。

 いい大人になった頃、ようやく願いが叶い、応募すると大きなキョロちゃんのカタチをした缶詰が送られてきた。中にはいくつかのアナログのゲームなどがあり、期待していたものとは違ったが、とても嬉しいものであった。子どもの頃に達成していたらさぞかし周囲に自慢していたに違いないが、それで何かを失ったかもしれないなどとも考える。やはりいい大人になって獲得したのでよかったのかもしれない。

 でも、そういうおまけが目的でこのお菓子を買っていたのではないことは確かだ。何というか、チョコボールを食べられることだけで得られる安心感のようなものがある。移り変わる時代の中で一種の定点のような存在として私にとっては貴重な存在なのだ。

久しぶりの警戒音

 運転中にラジオから久しぶりに緊急地震速報を聴いた。ベルのような警報音はやはり何度聴いても緊張してしまう。結果的に私の住む地方はほぼ無感で、震源地近くでも震度4程度で津波もなかった。

 このところ日本各地で強めの地震がたびたび発生している。青森や山陰は実質的被害が出ているらしい。地震の多い我が国にとってこれは宿命である。多くの国民は震度4までの地震では動揺しない。それは耐震構造の住居が普及していることもあるが、それよりも慣れによるものと言える。

 パニックにならないのはよいことだが、あまりに無警戒になってしまうと、本当の大地震のときの備えが疎かになってしまう可能性がある。かくいう私も特段の備えはないし、避難経路や1次避難場所の確認もできていない。

 おそらく私の生きている間に何らかの大災害の影響を受けることは高い確率である。その時にどう振る舞えばよいのか。何をすればよく、してはいけないのか。そういうことを確認しておかなくてはなるまい。地震速報を聴く度にそのようなことを思う。後は実行に移すだけなのだが。

望遠鏡

子供の頃に大切にしていたものについて聞かせてください。 それはどうなりましたか ?

 小学生のときに親から買ってもらったもので一番嬉しかったものは天体望遠鏡だった。それも反射式というのが特に嬉しかった。月面や土星や木星をそれでよく見た。福岡に住んでいた頃はそれなりに星もよく見えた。オリオン座の星雲やスバルなども見つけては感激していたものだ。

 天体を捉えてもすぐにフレームアウトしてしまうことから、地球の自転を感じることができた。赤道儀型のマウントが欲しくて仕方なかったが、それは叶わなかった。あるときは晴れれば毎日のように望遠鏡を出して星空を見上げていた。

 東京に引っ越して星空はほぼ一等星だけの寂しいものになった。それでもベランダからときどきうっすらと見える惑星を見ることもあった。絶望的によく見えない空だった。なぜか文系に進み、望遠鏡をみる機会はどんどん減って、それでもしばらくは長いダンボールを捨てずに転居先に持ち歩いた。

 北陸に住んだ頃は絶好の観察機であったはずなのにほとんど使うことなく、荷物の山の中に眠ることになる。どんどん増えた本の中でついに持ち運び不可能と判断していつか捨ててしまったのは残念でならない。今でも星空を見上げると子供のころの新鮮な感動がよみがえることがある。

レアアースどうする

 中国が日本に対する経済的制裁としてレアアースの輸出量の規制をちらつかせている。希土類の世界的シェアは中国が群を抜いており、その規制は相当のダメージになるのではと考えられている。

 対抗措置として日本も半導体製造に関わる技術の制限を行うべきだという意見もあるが、問題を複雑化するだけでなく、その有効性も疑問視されている。やらない方がいいだろう。相手と同じことをしていては解決できない。

 当面は賢く立ち回り、交易を続けるのがよいと考える。いままで以上のコストがかかることが予想されるが乗りきらなくてなるまい。その中でこの分野でも一国依存を止めることを目指さなくてならない。

 すでに使用された機器から希土類を取り出して使うリサイクルも研究が進んでいる。使い捨てできる時代は終わりつつあるのだ。都市鉱山とも言われる資源の再利用は至急必要な技術である。いまのところは高いコストが課題となっている。中国から買った方がはるかに安いのだから仕方ない。ただ、現在のような問題が出来したときにコスト以上に必要に迫られることになるに違いない。まずは希土類の再利用を商業化するべきだろう。

 もう一つ、よくいわれるのが日本国内にレアアースの鉱脈がある可能性があるということだ。多くは海底にあるという。特に南鳥島近海の海底にあるものは純度が高く質がいいらしい。問題は数千キロメートルの海底から発掘することだが。採掘のめどは立っているようだ。かなりのコストはかかり採算には合わないが国家の安全上は不可欠らしい。

 本当はレアアースのいらない技術の開発が必要なのだろう。技術革新は世界を大きく変えるがそれは滅多に起こらない。大切なのは必要に迫られる切迫感と何とかしようとする人々の意志だ。いまの日本にはそのどちらも欠けている。今回の中国リスクはそれを思い出させるにはよい機会なのだろう。

寒波

 このところ大変な冷え込みでどうやら強烈な寒波が来ているようだ。差し込むような寒さが体力を奪うのが実感できる。こういう寒さは慣れると耐性がつくのだろうが今はそれがない。ありがたいことにいまのところ流感にはかかっていないが油断はならない。ましていい歳なのだから、無理はしない方がいいのだろう。

 ただ、私の場合、少し寒いほうが勇気が出る。というかやぶれかぶれの力が出やすい。高村光太郎の詩ではないが、冬を餌食にするような気概でいたい。

ドンロー主義?

 トランプ大統領は自らの政策をモンロー主義になぞらえていたが、世論から生まれたドンロー主義なる言葉を自ら使っているようだ。米国の国際問題不干渉の宣言であったモンロー主義は、国際的地位が上がるにつれて、縄張りの主張のように変化していた。それが現代に復活したようである。

 冷戦以降は世界各地の国際問題に介入して、世界の警察の役割を果たしていたが、さまざまな支援活動も行ってきたのが米国の立ち位置だった。それが、その余裕がなくなったために、まず支援活動は国費の浪費とし、次に関税で他国との関係性を優位に進めようとした。カナダを併合したいという非公式なコメントは、同盟国にすら緊張を与えた。

 そして今回のベネズエラでの軍事行動は、反米勢力には圧力をかけ、実力行使も厭わないということを全世界に示したのである。ノーベル平和賞を切望する人物の行動とは思えない。始めてしまった以上、中南米諸国との関係はかなり緊迫することになる。 

 多くの専門家が指摘するように、ベネズエラ大統領拘束の一件は、麻薬密売の阻止や独裁政権からの国民の解放だけが目的ではない。埋蔵している石油資源の利権獲得は大きな目的だ。西半球はアメリカのものとも聞こえるドンロー主義は、領域内の国家に緊張をもたらすだけではない。ロシアがウクライナに対して行う軍事行動も、中国が台湾やフィリピンに対して圧力をかけるのも同じ論理で正当化されてしまう。また、西半球以外は関与しないという方針は、防衛を日米安保に依存する日本にとっても深刻な問題だ。

 さまざまな利権が絡むなかで、ドンロー主義なるものへの歯止めは利かない状況にある。なにとぞ冷静な判断を諸国のリーダーには望むばかりだ。

大器晩成を待てない社会

 マイペースをどれだけ許容できるのかがこの国の未来を変える可能性がある。最近はすぐに結果を求める傾向がある。それもなるべく努力をせず、最短距離の道を進むことがよしとされる。それを効率性というが、要するに手抜きである。

 一方でなかなか結果を出さない人を悪評価することもある。あからさまな批難をするむきもあるのは現代の醜悪な側面と見る。大器晩成という言葉は人の評価を長期にわたって行った結果である。若い頃は凡人かそれ以下だったのに、長い間の努力で常人をはるかに超える業績をあげたときにこの判断がなされる。待つこと、許すことがなければ成立しない。

 とにかくすぐに評価したがる。即戦力を求めるのはよいが、成績が伸びなければすぐに戦力外通告する。スポーツクラブならばよいが、それが社会の各所に充満すると長期的には大きな損出になる気がする。初速度だけで判断されてしまうと千里の馬も迫害対象になるのである。

 本当に大切な人材を確保することは組織の維持に絶対に絶対に必要だ。そういう余裕があることが必要なことなのである。

漫画になった自分

 自分の写真をイラストに変えるというサービスを使ってみた。人工知能によってあっという間にできる。自分を漫画にすると特徴が際立ち、さらに美化されてしまう。こんなふうではないがこんなふうならいいという感じになる。

 おそらく自分が見ている風景も脳内でこのように変換されているのだろう。都合よく見たいものを見て、それ以外を見逃している。何を捉え、何を除外しているのかを考えると、世界はまったく違うものになりそうだ。

アメリカ合衆国の失態

 アメリカによるベネズエラ大統領拘束の報道には驚いた。国家ぐるみの麻薬輸出疑惑への実力行使というが、他国の大統領を武力によって拘束するというのはテロリストの手法と変わらない。宣戦布告した訳でもないから戦争でもない。それを超大国のアメリカ合衆国がしてしまうのだから非常に大きな問題だ。

 麻薬問題は深刻であったに違いない。ただそれを武力で解決してよいのかといえば、議論は分かれるだろう。まして他国の領土内でそれを行うのなら、正義は通せない。トランプ大統領の判断は間違っている。大国が自国の利益のために対立する小国に圧倒的武力を使って圧力をかけるのが正当化されれば、アメリカ合衆国以外の国にも同様のことをする口実ができる。例えば、ロシアがウクライナを攻めるのは、ロシア側からみれば、自らの国益を損ねるウクライナを排することが目的の正義の戦いであろう。中国の台湾に対する態度も大国の論理で正当化されてしまう可能性を作り出してしまったことになる。

 同じことがほかの国に向けられたとしたらどうだろう。今のところ日本がその対象になる可能性は低い。しかし大が小を征する世界が現出してしまったならば、世界大戦はすぐ隣にあることになる。この事態を我が国が如何に処するかは我が国だけの問題ではなく、国際社会にとっても非常に重要なことになるだろう。