投稿者: Mitsuhiro

まもなくハナミズキの季節

 実家に向かう道を夜歩いていたら、桜の花が散り急いでいるのを見つけた。路面のアスファルトに多くの花びらがはりついていた。桜の季節は終焉に向かっている。そして街路樹を見上げるとハナミズキが少しずつ花芽を大きくし、一部は開き始めていた。

 その通りは数キロにわたってハナミズキが街路樹として植えられ、もう少し経つと一斉に開花して美しい風景になる。あちらこちらに似たようなところがありここだけではないのだが、個人的にはなかなかの名所ではないかと考えている。

 満開になるのにはまだ間がある。楽しみにしていたい。

都会の野生動物

 駅前のベンチで荷物を整理していたら小さな生き物が歩道を走って横切り、街路樹のツツジの植え込みの中に隠れた。しばらくすると別の個体がほぼ同じ速度と経路で走り過ぎる。どうやらネズミのようだ。

 人通りの多い駅前にネズミがいることに普段は気づかない。でも、調査すれば恐らく多数のドブネズミなどが生息しているはずだ。ネズミだけではない。多くの野生動物がこの街にもいる。

 少し前にタヌキに遭遇したことがある。アライグマではなく確かにタヌキだった。ホンドタヌキは在来種らしいが、都会に普通に生息しているらしい。外来種に押されているようだが、小さな雑木林でも繁殖できる。

 ハクビシンに出会ったこともある。屋根裏などに棲み着くので害獣扱いになる。他にもいろいろな野生動物がいるようである。身を隠ししたたかに生きている。

 多くの動物たちと共生しているという意識を持つだけで日常の見え方が変わっていく。何でも人間優先という価値観が変われば解決できることが増えるのかもしれない。

季節の変わり目

 朝晩は肌寒いが日中はコートがいらない。明日からコートはやめようと考えている。毎年のことだが、この頃は体調がおかしくなりやすい。身体のギアチェンジがうまくいかないのだろう。悪くするとエンストを起こす。

 季節の変わり目はいろいろな意味で用心がいる。

日本への投資

 日本がアメリカの巨大IT産業の投資対象になっている。マイクロソフトの巨額投資は日本経済の支援を表向きの理由としているが、高齢化の進む社会の中でAIを使った様々なサービスがまず日本で普及発展すると見込み、先行投資することでシェアを獲得することが目的らしい。社長がメディア取材にそのように回答していた。

 すでに直面している人手不足の問題は人工知能の支援を受けて切り抜けなくてはならないと考えられている。雇用を守らなくてはならない地域では職を奪う敵になるが、人手が足りないのを救うのだとなれば社会に益なるものという大義名分が成り立つ。

投資はありがたいが、この中に日本人がどれだけ参加するかが鍵となる。結局、自分たちで何とかしなくては投資が終わればそれまでということになる。この国でしか生まれない発想やシステムをどれだけ出せるのか。もらったチャンスを利用して、それを乗り越える気概が必要だ。

雨のち夏

 朝から雨が降っている。一部では大雨になるという。この雨は菜種梅雨に当たるものらしく、それが明けると季節が進むらしい。一旦気温は下がるがそれ以降は最高気温が20℃以上になる日が続くらしい。

 ここ数年、夏の訪れが早いが今年もそうなのだろうか。身体をならすのが今の課題だ。

察することの大切さ

 察すること行間を読むことは大切な能力だ。空気を読むというとちょっとニュアンスが変わり、同調圧力のもとに自分の考えを曲げて忖度することを第一にするといった意味になる。ただ、場面や状況に応じて自らの言動を調節するのはやはり大切な人間の知恵であろう。

 こういうことを無意味だとしてなんでも杓子定規に考え、効率化とか可視化とか魅力的な言葉を使っていかにもそれが優れているかのように説く向きがある。これが主流になりつつある。成功者と言われる人の中にそんなことを言う人がいるからだろうか。しかし、これはかなり危うい考え方になる。

 効率がいいとか分かりやすいといったことは結局自分の属する共同体の中でのことであり、それを離れてしまうと非効率もしくは害悪になることある。近代科学が推し進めてきたことを考えればいい。豊かで便利な生活を追求した結果が公害の発生に繋がり、気候変動もその影響ではないかという意見が大勢を占めている。つまり、近代の人間は自分の身の回りだけを考え、循環するエコシステムに思いが至らなかった。地球全体の仕組みを考えるのは相当な想像力がいる。今日の東京の豊かな生活が、太平洋の島嶼国家を滅亡の危機に至らしめているなどと、高度成長期の日本人は空想すらできなかった。

 自然保護のことに話が集中したがそれだけではない。日本の経済が閉塞状況にある原因の一つが国内産業の不振だ。私たちは安価なものを求めて外国産のものを日常的に使っている。国産のほうが品質がよいなどといいながら、結局安価な方に手を出す。日本のものは売れないから、企業も設備投資がしにくくなり、最後の牙城とも言える高品質、高機能という要素も怪しくなっていく。これも自分の購買行動が結果的にどのような結果をもたらすのかを想像することができないことによるものだ。結果として給与は上がらず、安価な外国産のものしか買えなくなる。高いけれど品質やデザインのよい国産品があるのなら、それを選び価格の分だけ使い続ける方が実は個人としても国としても経済的なのかもしれない。

 そんなことは分かっているんだという人は多い。でもそれが行動に移らないのはなぜだろう。やはり私たちは察する能力、想像する能力を疎かにしているのではないだろうか。そしてそれを涵養するのは日常的な人間関係を豊かにすることであり、文学を始めとする芸術の分野にもっと注目することなのかもしれない。

老兵の戦い方

 多くを望まず自分のできることを恬淡として行うことがこれからの生き方の目標である。それはある意味後退であるが、撤退ではない。最前線には立たないがしっかりと事態に立ち向かう。体力や気力の減退はいかんともしがたい事実であり、それを前提としてやれることを粛々と行うしかあるまい。

 最近の自分の行状を省みるにエラーが多く、十分な貢献ができていない。私は全く手抜きをしていないのだが、それ以上に気力体力の減退の方が大きい。進もうと思っても足が動かないといった感じである。もがくが足掻くが前に進まない。そんな感じである。

 この様な状況になることはなんとなく予想はしていた。しかし、いつその段階になるのかは分からないし、仮に分かったとしても何もできないだろう。加齢という宿命に関して私たちは無力である。敵は見事なステルス攻撃を仕掛け、いつの間にかに本丸まで侵入してくる。そして一気に首を取に来る。

 だから前線で戦うのはもうやめて、後方をしっかり固めることにしよう。老兵にはそれなりの戦い方がある。消え去る前にやれることをやっておこう。

こぶし

 実家の近くの街路樹のこぶしが見頃であった。

こぶし

 春の花として有名だが、まず花だけ咲くので白が際立つ。足元にはもうとうが立ってしまった多くの土筆が並んでいた。季節の息吹を感じることは大切だと再認識した。

脳の老化に

 誠に悔しいことだが、脳の老化を自覚することがある。まだ幾分意識がはっきりしているうちに、いまの焦燥を記録しておく。

 一番、このことを痛感するのはマルチタスクができなくなっていることだ。例えばパソコンで作業中に別のことをやろうとすると、さきほど何をやっていたのかが分からなくなる。これは悲しい事実だが今は毎日経験していることだ。私は研究職をしていた時期があり、自分のペースで作業をすることには慣れていたが、今の職場のように臨機応変を重視する環境には全く馴染めない。その最たるものがパソコンによるマルチタスクである。

 脳が認知に果たす役割は大きい。認知される世界が変わるとならば世界観価値観のパラダイムシフトも起きる。つまり老化がもたらすのは世界の縮小化、歪曲化である。見えるものが変わりかんじることが変わってしまえば総体的世界観も大きく変わる。

 本当に見ているものと脳が捉えるものとに差があるならば、いかにすればいいのか。そのような問は無意味で、私たちは脳というフィルターを通してしか世界を実感できない。だからそのフィルターの調子か変わることは一大事なのである。

 親の老化を見て痛感している。誰にも避けられない脳の老化がある。そうなってしまうともう感じられない何かがある。すでにかなり進んでしまっているが、今の状態で何ができるのかを考えてゆきたい。

 今年の桜は開花がここ数年と比べると遅かった。その分、ここに来て一気に咲いたために美しさが増している。咲き方にもいろいろある。

 このあとは桜吹雪の季節になる。これもまたそれぞれだ。散り際に注目する美意識は引継がれていると思う。どう次の季節に繋いでいくのか。今年も桜に学ぶことにする。