どんなに拙くても自分の言葉で意見を書く練習は必要だ。AIの時代だからこそ作文力がものをいう。
じっくりと自分の意見を温めて整理してから文章にするという経験が生活から失われてきている。予め用意された型を組み合わせ、それなりの文書を作ることはできても、型のない新たな局面における文章はなかなか書けない。
ChatGPTの生成する見た目はいいが内容がおかしい文章を冷笑する前に、己の文章力を反省しなくてはならない。コンピューターのように潔く変な文書を書く方がやはり遥かに勝っていると言わざるを得ない。
私は人に作文を教える立場にあるが、まずは自身の文章を見直さなくてはなるまい。このブログは20分あまりの通勤電車のつり革に捉まりながら書いているので、熟慮がなされていない。これでは真の文章力は上達しないのだろう。
どうしたら文章の作成力を向上に貢献できるか。それが私の課題の一つである。
昔、大江健三郎さんの本を読んでいる最中に書いていたフェイスブックでのブログは、私の中では上手にかけていた気がします。読んでいる本で、影響を受けています。
今、なんでこんなに下手になったのだろうと思います。