節分

 今日は節分、二十四節気の立春の前日で、今日で暦上の冬が終わる。

 豆まきの日としても知られているが、これは歴史的にはそれほど古くはさかのぼらない。追儺という悪霊退散の儀式があったことは、8世紀初めの記録が『続日本紀』にあり、平安時代には大晦日の宮廷行事として行われていたことが記録に残る。古代中国から日本が取り入れた行事の一つだ。本来は悪霊を追い払う役の者たちが、次第に鬼そのものを演じるようになり、それが出ていく様を演じることで邪気の消えることを願う行事になっていったと考えられている。

 中世に入るとこの行事は行われなくなり、江戸時代も宮廷行事としては行われていない。似た行事は民間に伝わったようで、大晦日が新年の前の日であることが、立春の前の日になっていったのはその過程にあるようだ。旧暦では元旦と立春は近い日となり、年によっては一致する。

 鬼が悪霊と同意義になっていくのにも歴史がある。中国の「鬼」は祖霊を意味することが多かった。日本でも民間行事のなかで鬼の姿をした者を丁重に迎える祭りをする地域は多い。それが異類と感じられ、さらには害をなす邪鬼として考えられるようになっていく。こうした聖俗の逆転はいろいろな事例が認められる。鬼門が丑寅にある連想から、角をはやし、虎の毛皮を身に着けた鬼の姿が確立していった。

 春の前に鬼を追い出したいという願いは、東アジア一帯の文化にあるのかもしれない。禊や祓の行事も季節のはざまで行われる。定期的な掃除のように罪や穢れ、邪気は日常から離れたところに送り出そうとするのだ。科学の知識が普及したあとでも、こうした考えは根底に流れ続ける。それは生活の知恵でもある。残念なのは悪因悪行は現代社会ではそれほど簡単には退散してくれないことだ。ただ、季節の流れの中に日常の見直しの行事を置いたことは先人の知恵として受け継いでいくべきだろう。

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