月: 2022年12月

「指示」と「誘導」

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 人に何かを教えるときにかつては学ぶ材料を提示することが大切といわれていた。提示の順番や方法などに工夫をすることが教える者の技能と考えられていた。この考え方は最近変わりつつある。知識の内容を伝えるよりも、学び方を教えるべきだという流れである。これにはいくつかの問題点がある。

 学び方を教えるという場合、次に何を読むか、どの問題を解くかという指示をすることは大切だ。何をやっていいのか分からないから知らないのであり、それを教えるのが学び方を教えるということだからだ。しかし、これにも程度がある。学びのスケジュールを完全に教師が行い、生徒がそれに従うのであれば結局従来の知識移動型の教育と同じになってしまう。まずは何をやるのかの大体の方向性を示しながらも、実際にそれを選択するのは学習者でなくてはならない。もっと巧妙な言い方をすれば学習者が選択したかのように見せかけなくてはならない。

 学びの達成感は自分の努力が報われ、結果になって表れたときに起きやすい。他人が用意した道筋をどれだけ進んだのかということになると、結局他人との比較になり、優越感を感じる一方でたいていの場合は劣等感にさいなまれる。それは他人が作った物差しの上にいるからだろう。

 本当は用意された道であっても、学習者自身が開拓したかの印象を持てれば結果は全く異なるだろう。学習者は自分のやったことに対して自信を持ち、次の挑戦に進むことができるはずだ。

 要するに教員は陰から誘導する役に徹する必要があるということになる。中等教育まではある程度、たどり着く目的地は分かっているものが多い。学習者がどのような経路をたどりどのように進むのかを予測して誘導することが教員の役目ということになるのだろう。こういう技術はこれまでの知識教育の方法とは異なるものである。これからの教員はそういった技能を学習していく必要がある。

エネルギーの多様性

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 欧州で進める自動車のEV(電気自転車)化はさまざまな問題があることが分かってきた。EVにすれば温室効果ガスの削減につながるという単純な発想はどうも誤りのようなのだ。

 2035年までにEU圏域で販売する自動車はゼロエミッション自動車(ZEV)にすることが義務付けられる。操作時に二酸化炭素を排出しないということで、日本のプリウスなどに代表されるハイブリッドの電気自動車は認められないことになる。これらの車は確かに走行時には電気だけをつかうので温室効果ガスは発生しない。だが、いろいろ問題があることが分かる。

 まずは性能の問題である。現状ではEVの走行距離はガソリン車より短く、こまめな充電が必要になる。自家用車の場合は自宅に停車しているときに充電するのが当たり前になるだろう。契約駐車場も充電器付きの設定が現れるはずだ。商用車になると困ったことが起きる。長距離を走るトラックなどは明らかにEVには向かない。充電にも時間がかかる。急速充電でも30分以上かかるというから、給油所ならぬ充電所は渋滞が予想される。

 そもそも電力をどのように賄うのかという問題がある。日本の場合、原子力発電は様々な問題がありこれ以上拡大できない。むしろ縮小しようというのが世論だ。すると電力は火力頼みにならざるを得ない。するとEV化のために発電量が増え、かえって二酸化炭素の排出量がふえてしまう。

 もっと深刻なのがエネルギーの一元化による弊害だ。今、豪雪地帯で起きている停電は、電力が停止するとインフラのほとんどが機能しなくなることを示している。電力に頼りすぎるとそれが止まったときにすべてが停止するという危険をはらむことになる。おそらく2030年代のヨーロッパではこの停電パニックが発生する可能性がある。

 技術者によるとEVは製造や廃棄の過程でガソリン車より温室効果ガスの発生量が増えるのだという。すると、走っているときはよいが、走る前と後のEVは環境問題に適合しないことになる。この点も考慮しなくてはならない。

 日本は欧州などの世界の流れを踏まえていかなくてはならないが、事情が異なる他地域の方法をそのまま取り入れるのは危険だということになる。再生可能エネルギーの開発は今も行われている。日本では豊富な水資源があることから水力発電が中心で、太陽光や風力の発電がある。これらは発電効率が低く、なおかつ環境を破壊する側面をもっていることから解決策とはなっていない。さらに注目されているのが水素をエネルギー化する技術である。水素からエネルギーを作る時点で電力がいるので、いまのところは完全に化石燃料から離脱することはできない。しかし、石油や天然ガスよりも温室効果ガスは削減できるとされている。発電を再生可能エネルギーに任せればさらに脱化石燃料に近づくらしい。

 いずれにしても今の科学技術では何か一つの手段にゆだねることは極めて危険な賭けとなる。欧州のような政策は理想としてはよいが、現実を考えるとかえって環境負荷を増やし、最悪の場合は全停止につながる。これは避けなくてはならない選択肢だ。日本のようなエネルギー資源がない国だからこそ気がつくこともあるはずだ。エネルギーの多様性を確保することは人類の未来にとって不可欠と考える。

沈黙のセンター

 クリスマスの思い出の一つはおそらく人生の記憶の端にあるものである。ミッション系幼稚園に通っていた私は訳も分からず毎日アーメンと唱えていた。日本人のキリスト教徒率は1パーセント程度といわれているが、多神教の素地を持つ我が国においてキリストの神様も八百万の神の一つとして信じているのだから、信じていないわけではない。聖書のエピソードなども意外と知っている人が多い。

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 幼稚園でのキリスト教体験の中でも印象的だったのがクリスマス近くに行った「おゆうぎ」だろう。キリストの誕生を演じるものだ。主役といえるは聖母マリアである。今から考えると一番かわいらしい女の子がその役になっていたのだろう。全く思い出せないが。そして、誕生を予言する博士や、羊飼いたち、そしてマリアの夫であるヨセフなどがキャストである。私はそのヨセフの役であった。

 聖書のなかでヨセフは聖職者の指示に従い、精霊を宿したマリアを罰することなく自分の妻として迎え、生まれたイエスを自分の子として育てた。誕生後すぐに権力者からの弾圧から逃れるためにベツレヘムからエジプトに移住することを断行したり、一時行方不明なったイエスを探したりしている。キリスト教徒にとっては神の誕生を支えた人物ということになる。

 その重要な役柄だが、「おゆうぎ」では真ん中でただ立っているだけの役だったように記憶している。マリアにはセリフも所作もあったと思う。博士や羊飼いたちにも動きやセリフはあったと記憶している。しかしヨセフはただ立っているだけだった。

 おそらく小さな幼稚園の部屋の一角で行われたに過ぎないのだが、記憶の世界ではある程度大きな教会で背景にオルガンなどがあり、たくさんの信者の前で演じているという風に脚色されている。でもそれだけ装飾された記憶の中にもセリフはない。確か風邪か何かにかかって少し熱があり、立っているのもつらかったということしか覚えていない。これもあとづけかもしれない。

 クリスマスの思い出としてこの歳になっても思い出すのは沈黙のセンター経験である。

バイクのサンタ

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 クリスマスイブの国道246号線には面白い風景が繰り広げられる。サンタクロースの大量発生である。もちろんこれはこの道だけではあるまい。本当の伝説上のサンタクロースは雪道をそりで行くのかもしれないが、東京ではバイクに乗って自分で運転している。そしてピザやすしを届けるのである。

 おそらくクリスマスのサービスとして配達員にサンタクロースの衣装を着せるのだろう。運転しやすいようにひげはつけない。若者たちが任務を遂行しようとしている。おそらく依頼者はその衣装に一瞬驚き、喜ぶのだろう。そのために赤と白の服を着る。

 そのほかただ走ることが目的のライダーたちもいる。中にはサンタ集団を形成するものもある。もちろんその中には角をつけたものもいて、彼も自分でバイクを操る。ドライブは自由だが聖なる夜を爆音で汚さぬようにしていただくことをお願いしたい。

 降雪地域の方々には本当のサンタが訪れるはずだ。無理をして外出しない方がいいらしい。除雪も慎重に。私も雪国に住んでいたころ、クリスマス寒波に慌てたことがある。止まない雪はない。怪我などされませんよう。

雲なく

 冬至を過ぎたが本格的な冬はこれからだ。ただ、すこし日照時間が増えていくと思うと心強い。今朝は雲一つない快晴だ。こういう日は日本海側は雪になる。今日も降る地域が多いらしい。例のJPCZ が発生している。

 年末にやることは多いが、最近input不足なので何冊かの本を読むことにした。とりあえずは別のジャンルの数冊を読もう。こういうときは電子書籍が役に立つ。

学歴はいらないが学力はいる

 学歴不問などと言いながら、実際には特定の大学を卒業すると就職時に有利という事実は継続している。それは学力を予測するのにもっとも分かりやすい指標だからだ。

 問題になるのはこの学力がどのようなものなのかということだ。もし、大学に合格するための学力テストの成績を意味するのなら、その指標は不正確になる。大学入試は、与えられた問題を要領よく情報処理する能力であり、おそらく将来はコンピューターが解答してしまう分野だ。この力は確かに必要だがそれだけを物差しに使うのはおかしい。

 学力には問題発見や解決手段の開拓という分野がある。まだ答えのない問題に挑戦し、完遂する。そのために他者と協力するという方法だ。これができる人は学力が高いのだと言える。この能力こそがこれから求められるものに違いない。

 ならば、これからの人物評価は学歴だけではなく、何を学び何を行ったのかを分かりやすく伝えることができる能力が基準になる。学生時代何を誰となんのためにどのように行ったのか。説明できることが大切になるだろう。

冬の空気

 冬の張り詰めた空気には独特の風情がある。必ずしも優しくはないがかと言って冷酷なわけではない。

 冷酷という言葉もそうだが、冷たいという体感を表す言葉は精神状態を表すときにはネガティブなものを表すことが多い。しかし、これは一面を捉えたものに過ぎない。

 冬の空気は身体に緊張を及ぼすが、それはもしかしたら幸せを感じるための準備期間を与えているのかもしれない。暖かさは慣れてしまうと恩恵を感じられなくなる。絶対的な温度ではなく、変化に私たちの感情は発動するのだ。

 その意味において私は冬は大切な季節だと考えている。耐えなくてはならないものを乗り越える。その大切さを教えてくれるのだから。

もうn個の世界

 メタバースの技術が発展するともう一つ、もしくはさらにいくつかの仮想世界が体験できるという。専ら新たな商機としての開発のように思えるが、果たしてこれには副作用はないのだろうか。

 メタバースが使える水準になれば、そこでものを買ったり何かを学んだりすることが可能になる。さらに恋愛や結婚などという濃密な人間関係も可能だ。国籍や性別を超えることもたやすい。まさに夢の世界とも言える。

 でも、よく考えてみよう。私にとって理想的なもう一つの世界は、あなたにとっても素晴らしいものなのだろうか。きっと夢見る人の数だけ理想的な世界は存在し、それを纏めることは不可能なのだろう。誰にとっても都合のいい世界など存在し得ない。

 となると、何者かにこの世界は素晴らしいと吹き込まれるとそう信じてしまう人が出てくる。自分の感性よりも他人に左右されるという意味において現実社会と変わりない。するとまた別の仮想世界を求めることになる。果てしない逃避が続く。

 メタバースとは何か何を目的とするのかは考えていかなくてはならない問題だと思う。

 

屋台で一杯

 最近屋台を見ない。私が学生の頃には駅前に怪しい屋台ができ、おでんを中心にちょっとしたつまみを出す店があった。私はその頃(も)金がなく、常連という訳にはいかなかったが何度かお世話になったことがある。

 サザエさんでは波平とマスオが屋台で飲んで帰るというシーンがあった。昭和世代にとっては気ままに立ち寄れる場所だった。衛生面でかなり気になることろはあったが酒が入ると気分が大きくなることで大抵は問題ならない。食中毒になったこともない。皆、焼いたか茹でたかしたものだったからだろう。

 学生(院生)の分際で飲むのは少々引け目もあった。ただ私の行った大学は比較的大きかったことや近隣の企業に先輩がいたことなどから、時々ごちそうになったこともあった。呑みニケーションがあった時代を懐かしんでいる。

 いま、見ず知らずの大学の後輩におごる度量もない自分をふがいなく思う。活気と猥雑なエネルギーとが混在した時代だった

雪道の運転

 雪国に住んでいたころ、降雪があると大きな覚悟が必要だった。それは職場まで自動車でたどり着かなくてはならないということだった。

 北国の人であれば雪道の運転は当たり前である。しかし、にわかに北陸の人となった私にはかなり過酷な試練であった。何しろ東京に住んでいたころは車の運転自体をほとんどしなかったのに、いきなり毎日運転してしかも雪道の斜面の上の職場に通ったのである。初級編を飛ばしていきなり中級編の最後の方のページに取り組むようなものだった。

 ブレーキの踏み方は特に注意した。交差点ではスリップする分を割り引いて制動する必要があった。特に危ないのが橋の上だ。凍結していることが多く、車体が左右に振られることも多い。最初の一週間は本当に恐怖の連続だった。次第に慣れてくるとそこそこの運転ができるようになってくる。油断をするとまたスリップする。幸い雪道で事故を起こしたことはなかった。しかし、あと少しで危ない状態だったということは何度かあった。

 これは地元の皆さんでも同じで、冬場になると脱輪する車にたびたびあった。中には田んぼの中に転落して逆さになった車のなかから乗っていた人を助けたこともある。幸い全くけがはなく車も軽微な損傷で済んでいた。ただ、初めて現場に遭遇した時は大いに驚き、救急車を呼ぼうとして当事者に止められたのを覚えている。

 昨夜から日本海側を中心に雪が積もっているらしい。ぜひ安全第一にお過ごしいただきたい。私のようなへっぴり腰の方が事故は起こさないのかもしれない。過信は禁物だ。余計なおせっかいだが。