公私ともに激動の月となった8月が今日で終わる。本当に色々あった。大半が人生初めての経験であり、繰り返したくないことも多数あった。
その影響は今後も続くはずだ。長期的に残り続けるものもある。ただそれもいつかはそれとわからなくなってゆく。すべての物事は流転変容するとは古来からの教えであり、科学的にも説明されている。
月という時間の単位を考案したのも叡智なのかもしれない。何かが変わるかもしれない。そんな予感を与えてくれるのだから。
日々の思いを言葉にして
月: 2020年8月
公私ともに激動の月となった8月が今日で終わる。本当に色々あった。大半が人生初めての経験であり、繰り返したくないことも多数あった。
その影響は今後も続くはずだ。長期的に残り続けるものもある。ただそれもいつかはそれとわからなくなってゆく。すべての物事は流転変容するとは古来からの教えであり、科学的にも説明されている。
月という時間の単位を考案したのも叡智なのかもしれない。何かが変わるかもしれない。そんな予感を与えてくれるのだから。
これまで台風が全く来ていない。観測史上でもまれなことらしく、異常気象の一つの現象かと言われている。台風の原動力と考えられる海水温の上昇は十分にあり、ここ数日、列島は猛暑に見舞われている。それなのに台風が来ないのは極めて異常である。
ところがついに今度の台風9号は本州に上陸するかもしれない。最近の台風は規模が大きかったり迷走して思わぬ方から接近したりする。その被害は甚大だ。来ない方がいいに決まっているが、一方でようやく本来の気象現象が起きるという思いもある。
台風のエネルギーはものすごい。2018年の台風18号は関西国際空港を機能停止させ、しばらく孤立させた。2019年の台風19号は東日本に大きな爪痕を残し、多数の死者行方不明者を出している。ここ数年の台風は来れば猛烈であるというのが特徴だ。
自然の脅威に対してできることは少ない。ただ気象レーダーや予測進路の解析能力の向上によって事前に備えることは可能になっている。せめて危険回避の行動を少しでも早くとることを願うばかりだ。
安倍晋三首相が健康上の理由で辞任を表明した。流動性が高かった日本の指導者の中で長期にわたって政権を担当していただいたことに感謝したい。
安倍内閣の功績の一つにアベノミクスと自称した金融緩和策がある。人工的になだらかなインフレーションを起こし、国民の生産性を上げるという政策だった。残念ながら結果は出ず、消費税だけが上がってしまったのは失策だった。
だが、よきにつけ悪しきにつけ、実態以上の生活水準を送っていられているような錯覚を与えてくれたことは功績なのではないか。もし、この政策がなければ国勢の衰退をもっと多くの人が感じて混乱が起きていたかもしれないからだ。
次の指導者がどのような方針に転じるのか分からないが、国際的競争力が急速に減退している我が国の現実を踏まえた発言をしてくれる人を切望する。いまの生活水準を今後も保つこと自体が困難な局面にあること、ただ国民の意識の変革や、行動を変えることで復活のチャンスはあること、そのためのバックアップを政策とすることなどを力強く語ってもらいたい。
力のあるリーダーの損失はマイナスが大きい。しかし、ここまでの閉塞感を打開する絶好の機会でもある。
主体的な行動をするためには自立が欠かせない。常に誰かにサポートされていると自分で歩くことができなくなる。自分の筋骨を使って歩くことは苦痛を伴うこともある。しかし、それが大切なのかもしれない。
私たちは効率化ということに執心しすぎている。生産性と表現することもある。これらは確かにとても大切だが、それだけではない。効率性を築くにはたくさんの無駄が経験される必要がある。その中で飛躍が生まれることがある。始めから最短距離を走ることばかりを考えるようではうまくいかない。
教育現場にいる私にとっては失敗をさせず、好成績を取らせることが評価基準になっている。果たしてそうなのだろうか。もしかしたら、これは間違っているのかもしれない。安全網を用意しながら、生徒諸君にいろいろな失敗体験をさせることが、本当の教育なのではないか。最近はそのように考えている。
8月もまもなく終わる。今朝はさまざまな形の雲が流れている。雨雲も、はるか上空の雲も同居している。季節の変わり目を感じる。まだ暑い日は続くのだろうが季節が確実に進んでいるのは確かだ。雲の展覧会と考えることにしたい。
コロナウィルス感染予防のために普及したテレワークを、恒常的に実施することを決定した企業が出てきた。営業部門のみならず、生産管理部門にも導入するのだという。
これによって感染による営業停止のリスクは低減される。交通費、光熱費などのコスト削減も期待できるのかもしれない。運用の仕方次第だが、営業時間の拘束も緩和される。
一方で非常時への対応や、通信障害などのリスクもある。回線が止まればすべて終わりとなってはもともこもない。さらに社員の連帯感の確保は大きな課題だ。かつてはこれが原動力で難局を乗り切ってきた。その奥の手が封じられることにもなりかねない。
リモートワークは今の騒動が発声する以前からいずれは実施されると考えられていたことだ。結果的に見切り発車をさせられている状況にあるといえる。走りながら考えるしかない。果たして距離をおいたチームワークは成り立つのかと。
最近、個人的にさまざまな困難にあって消耗している。おそらく数年後に振り返ることがあればさほどでもないのかもしれない。ただ、現在の自分の器量にとっては辛い局面にあることは事実だ。
下降局面は何もかもが恐ろしく見えるものだ。ただ、下降したままの状態が続くはずはない。すべては波のように繰り返すのだ。だから、落下しても目を閉じてはいけない。次の段落のストーリーを考えよう。
何か新しいことを始める機会でもある。まだ見えていない風景を楽しみにしよう。周りの人が幸せになることをしよう。それがおそらく今できることなのだろう。
なんでこんなに悲しいんだろうと思うことがある。そういう考え方をしているときは自分を客観視できているのかもしれない。自分の境遇の辛さを感じられることはもしかしたらそれだけ余裕があるのかもしてない。自分の姿を自分で見られることは一種の能力と言える。
大切な人を失った。まだ言葉にならない思いに覆われている。
私はいろいろなことをすぐに忘れる方ではないかと自覚する。何十年も忘れずにいて、宿願を果たしたというような人の話を聞くにつれ、自分には無理だと感じるのだ。
忘れることは知識の損失だ。悲しいほど辛い思いを伴うこともあるが、大抵のものは自然に抜け落ちている。気がついたら背負っていた荷物が減っていたという感じだ。ただ、この比喩で言うならば身軽になるための手段ということもできる。飽和する前に予め内容を減らしておくということになる。
忘れ物を繰り返すことは辛い。しかし、忘れることで救われることもあるはずだ。