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太鼓の先生

何かに初めて参加した日 (学校、会社、親としてなど) のことを教えてください。

 初めて親元を離れて地方の職場に就いた日は、思い出すとなかなか大変な一日だった。新幹線と特急を乗り継いで、ようやく到着した地方都市は思った以上に静かな街で、夜8時になるとほとんどの店は閉まった。コンビニが1軒もなく、いわゆるスーパーマーケットも車で行かなくてはならない距離にあった。都市部の住人であった私にとってはまさにコペルニクス的展開の人生が始まった。

 ただ、私には性に合っていた。寂しくなってしようがなくなった夜に、下宿先のアパートを出ると満天の星、さらにすぐ近くの用水路には蛍の光が見えた。寂寞の情が通り過ぎると意外に快適な時間が広がった。誰にも拘束されない時間と空間を手に入れた気がした。

 新しい職場に初めて行った時に、そこの最高責任者から、太鼓の先生、こんな田舎にありがとうと言われた。音楽科の教員と間違われたのだろう。面倒なのでいやどうもよろしくお願いしますと答えた。思えば呑気な時代だった。

 その後色々あって職場が立ち行かなくなり、撤退することが決まって私の夢のような時代は終わってしまった。本当に残念なことだった。そのままあの地で仕事ができたなら、きっとやれたことは大きかったのではと妄想する。

 東京に戻ることになり、微妙に職種を変えたために何事も上手くいかない日々が続いた。今も続いている。似たような仕事なのだがやることは天と地ほど違う。自分には向いていない職とは知りながら、ついに辞めることなく続けてしまった。

 初めて新しい職場に行った日を、忘れないでいたいと思っている。でも、日々の喧騒に追い立てられてその時のときめきとか、新鮮な感動とかを次第に忘れつつある。太鼓の先生と誤認された日のことをこれからも忘れないでいたい。

失敗しないなら

失敗しないことが保証されているとしたら、何に挑戦しますか ?

 このお題で直観的に思ったのは、それなら挑戦はしないかもしれないということだ。挑戦というからには相応の覚悟を決めて準備し、失敗するリスクを考えてやるはずだ。始めから失敗しないことが分かったいるのなら、何も新しいことを始めなくてもいい。

 私がこれまでやってきたことの大半は失敗し、そのたびに軽重の差こそあれ、挫折を味わいやり方を修正してきた。その中には諦めという選択肢もあったが、第二、第三の道に進んでいまに至るのだ。

 だから失敗のない人生はもしかしたらかなり味気ないものになるのだろう。まあ負け惜しみだと言われたなら何も言い返せないが。

子どもパイロット

今までで最も家から遠い場所に行ったときのことを聞かせてください。

 距離ではなく精神的な隔たりとしての長距離旅行といえば福岡から東京への小学生の頃の一人旅だろう。父の転勤で福岡市に住むことになった私は、夏休みになぜか一人で東京へ行くことになった。東京には叔母の家があったのでそこを訪ねる旅だ。なぜ一人旅になったのかは覚えていない。恐らく親の配慮なのだろう。

 福岡空港から飛行機に乗ったが、一人旅ということでワッペンを渡された。スチュワーデスのお姉さんがいろいろ世話してくれたのだが、残念ながらこの辺りの記憶が曖昧だ。恐らくとても良い緊張していて記憶の形成を妨げたのだろう。僅かな記憶はそのワッペンを安全クリップか何かで服に付けて、しばらくは宝物のように大切にしていたことだ。

 子どもにとっては初めての経験は負担が大きい。緊張感もあったと思うがこの点も忘却の彼方だ。余計なことを考えない分、案外簡単に切り抜けられたのではないだろうか。飛行機に乗れたことだけで十分満足していたに違いない。

 大人になって一人旅は当たり前になった。どうやって暇を潰そうかということばかり考えて、鉄道も航空機も単なる移動手段のように考えてしまう。子どもパイロットの時のときめきを思い出すべきだろう。それができれば旅はまた楽しくなるはずだ。

存在していることを確認するために

ブログを書くのはなぜですか ?

 内容の質は低いが毎日文章を書いているという事実だけは自らも誇りとしている。参加賞狙いの毎日である。

日記を書くのがなぜ続かないかと思ったら、それは読んでくれる人の存在の有無であろう。私のブログはアクセス数がかなり少ないのだが、それでも頻繁に読んでくださる人もいる。流行りのこととか、有名人の話とか、特別な情報などはないこのブログにお付き合いいただける方がいらっしゃるだけでもありがたい話だ。

これからも思ったことを思いついたままに書いていくから、繰り返しも、矛盾も、誤謬もあるだろう。ただ、文章を書くことによって自分の存在を自分自身が確かめるという営みとしてこれからも続けていきたい。

7勝8敗

高校で学んだことを説明してください。

 はるか昔の話になった高校時代。自由な校風といえば聞こえはよいが、少々緩すぎた生活だった。制服を着る義務はなく自由服だったが、なぜかクラスに何名かは制服を着ていた。

 授業も教員の個性により様々で、受験勉強に特化してしているものも、自分の自慢話を長々と聞かせるものも、話は面白いが試験に出ることは少ないので(次のテストには出ないが結局重要な話が多かった、と後から気づいた)生徒受けがわるいものも、親や都民に感謝せよと何度となく言わせるものも実にさまざまだった。

 一番学んだのは上には上がいるというちょっとした挫折と、それでもなんとか続けていれば幾分かの目標は達成できるということだろうか。自分に向いていないことは敢えて後回しにして、やりたいことに注力する方がいいということも知った。これは勉強のことだけでなく、普段の人間関係や部活動などで経験的に知ったことだ。

 学校という場所は思い切り失望し、たくさんの夢を持つきっかけを与えてくれる。7勝8敗でも負け越しではない。

始めのコンピューター

初めて使ったコンピューターについて書いてください。

 日本人だけが知っている事実かもしれない。私が学生の頃は日本独自仕様のNECやエプソンが販売していたコンピューターがあった。私の最初のコンピューターは日本電気のPC9801‐RA21で定価で50万円近くしたものだ。奨学金を注ぎ込んでしまった。フロッピーディスクをメディアとして使い。ワードプロセッサの松や、ロータスという表計算ソフトを使った。いまから考えると恐ろしく低スペックなものだったが、当時としては画期的だった。

 このパソコンでいくつかの文章を書いた。学生時代は論文を書いた。インターネット普及以前だったので、やれることは限られていたが、それ以前に使っていたワードプロセッサ専用機に比べていろいろなことができるのが、魅力的だった。ドットインパクト式のプリンターを繋いで一丁前の文筆家気取りにもなれた。

 一人暮らしをしていたのでゲームにはまってしまったのも、この機械のせいだ。睡眠時間を削ってまでやったこともあったが、その内容はほとんど覚えていない。無駄な時間を使ったかと思う反面、ゲームをやっても何も変わらないという学びを得た。いや、紆余曲折があっても簡明なストーリーが人を惹きつけることを学べたのかもしれない。

 その機械は大事に使っていたのだが、ある日水を被ってしまいあっけなく壊れた。その後ノートパソコンを使い始めて、いまはもうデスクトップを所有する機会がなくなってしまった。コンピューターを大事に使っていたあのころの気持ちを思い出さなくてはならないと思う。

 

失敗を語ること

What is your mission?

 使命は何かと問われれば、自分の失敗を語ることだと答えたい。やりたいことはたくさんあり、それを叶える機会もあったが、その大半を取り逃がしてきた。それを失敗と言わずになんと言おう。

 若い世代にそれを伝えることを私の使命と考えている。これには2つの方面がある。1つはチャンスを逃すなというアグレッシブな助言だ。やるときは多少の無理は覚悟してやるべきだという話だ。負け惜しみではないがあのとき気づけばよかったということがいくつもある。成果は初めは緩やかでその後急進する。大抵の場合、初期段階の停滞に耐えきれずやめてしまう。

 もう1つは矛盾する別の助言だ。すなわち、成功などしなくてもやるべきことをやっていればいいという消極的なアドバイスである。気負う必要はない。人には器量というものがあり、できないことをやろうとしても無理なのだと言いたい。失敗の連続でもなんとかやっていけている。それを確認しておきたい。

 私は教員という仕事なので若い世代と話がしやすい。テストをしたり評価をしたりするのが現代の学校の先生の仕事になっているがそれはほんの一部なのだ。少し先に生まれた人間が後生にできることは何か、それを考え実践することが私の使命なのだろう。

明日また見てね

If you had a freeway billboard, what would it say?

 高速道路は油断すれば事故を起こす。起こしてしまえば致死率は高い。大抵の場合は何もないが、もしもの一回ですべてが終わることにもなる。大切なのは明日もまた同じように生きられることだろう。日本のような天災の多い国民は深層心理でこう願っている。

不安

どんなときに不安になりますか ?

 私にとっては不安は永遠の友人だ。だから、いつ不安なると聞かれるならいつもだ。

 不安という友人を大切にしたい。彼がいなくなったとき、私の人生はほぼ終わると言っても過言ではない。私は不安を糧として様々な困難な状況を乗り越えてきたのであり、これがなくなることは動力源を絶たれることに等しい。

 だから、不安は自分が前に進むために不可欠なものなのである。なくなっては困る。いつもどこかにいる。幸運なことに不安の居場所はいくらでもある。それが現代社会の特徴なのだ。

 不安という友との付き合いは節度が必要だ。厚遇しすぎると牙をむいて我が身を害する。冷遇すると己の中の慢心が太りだす。制御するという気持ちで臨もう。これさえできれば最高のパートナーになり得る。