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公園の意味

 公園と呼ばれる空間は共有地として機能している。有料の場所もあるが、多くは無料でその維持費は自治体の支出、つまりは税金である。この空間の意味は大きい。

 土地が私有制になるとどうしても格差を生み出す。面積もそうだが、その土地の価値がいろいろな側面から決められ、地価となって表現される。土地を所有しているだけで一種のステータスとなり、それが財産として引き継がれる。もちろん相続には税がかかるが、所有が富のもとでとなることは揺るぎない。

 持たざるものも出入を許されるのが公園だ。当然、モラルやルールは守らなくてはならず、勝手に居座ることはできない。ただ、法令を遵守している限りは追放されることはない。このような余裕を残しておくことは都市生活を送る上ではかなり大切だと思う。

 公園の成立には様々な経緯があり、中にはかなり政治的な事情もあるようだ。それでも私有空間に一定の猶予を設けることはとても大切だと思う。

都会の野生動物

 駅前のベンチで荷物を整理していたら小さな生き物が歩道を走って横切り、街路樹のツツジの植え込みの中に隠れた。しばらくすると別の個体がほぼ同じ速度と経路で走り過ぎる。どうやらネズミのようだ。

 人通りの多い駅前にネズミがいることに普段は気づかない。でも、調査すれば恐らく多数のドブネズミなどが生息しているはずだ。ネズミだけではない。多くの野生動物がこの街にもいる。

 少し前にタヌキに遭遇したことがある。アライグマではなく確かにタヌキだった。ホンドタヌキは在来種らしいが、都会に普通に生息しているらしい。外来種に押されているようだが、小さな雑木林でも繁殖できる。

 ハクビシンに出会ったこともある。屋根裏などに棲み着くので害獣扱いになる。他にもいろいろな野生動物がいるようである。身を隠ししたたかに生きている。

 多くの動物たちと共生しているという意識を持つだけで日常の見え方が変わっていく。何でも人間優先という価値観が変われば解決できることが増えるのかもしれない。

林間都市

 私が大変お世話になっている町に中央林間がある。東急田園都市線の終点駅だがなぜか中央を名乗り、しかも林間とは何とも不思議な名前である。これは実はこの町が人工的な計画都市であることに関係する。

 中央林間駅付近の道路を俯瞰すれば、それが意図的に建設されたものであると分かる。昭和の初めごろ、小田急が都市開発のために林間都市構想のもと、雑木林を切り拓いて宅地造成を始めた。東急の田園都市構想に倣ったものとも言われている。田園より奥の林間といったところか。

 この辺りについて評論家の唐木順三は林間というより森の趣きがあり、紅葉の季節には御伽の国のようであったと述べている。ただ、開発は意図に反して進まなかったらしく、都市となるのには時間がかかったようだ。その後、小田急江ノ島線が快速急行で新宿までを結び、東急が渋谷や大手町までを乗り換えなしで結ぶと急成長することになった。

 鉄道会社が都市開発の核となることは全国各地で見られる。人口減少時代に入って郊外都市の需要は相対的に低下している。ただ適度な人口分散のためには、やはり都心だけに集中することは好ましくない。

 少し尺度を変えて考える。日本の人口集中の程度を可視化した地図を見て驚いたことがある。横浜市より人口の少ない地方自治体を色塗りすると、日本列島のほとんどが彩色されてしまうというのだ。もともと日本は関東地方に人口が集中する傾向にあったが、人口減少局面においてそれが顕著になり、一部の自治体が限界集落化しつつある。

 過疎も度を過ぎると様々な問題があるが、過密もそれ以上の問題をもたらす。適度な人口分散を促す政策は不可欠だ。そのためには関東地方でなくても不利にならないインフラの保障がいる。何も窮屈な満員電車に精神を蝕まれる必要はない。リモートワークができる業種は東京に固執して高額の固定資産税を払い続ける必要はない。

 かなり脱線したが本当の意味での林間都市は関東地方や現在の人口集中地域以外にも展開しうる。テクノロジーの力を借りて地方に住むことが決して不利にはならず、むしろ精神的に充実し、イノベーションも起こりやすくすることを考えるべきだ。若者が各地域で生き生きと活躍できることこそがこの国の発展の条件ではないか。

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ムクドリ

 ムクドリは留鳥でいつでも見ることができるが先日、公園で群棲しているのを見て改めて存在を確認した。嘴と足だけがオレンジ色でその他は地味な色をしているので分かりやすい。

 この鳥は数羽でいるときは愛らしいのだが、どういう訳か群れやすく、ときには数万の群れになるという。鳴き声はあまり良くないので、それが群れるとうるさくて仕方ない。むくつけし鳥の略称がムクドリになったという語源説もあながち否定はできない。都会の場合、駅近くの街路樹が集会場になることが多く、騒音に糞害で嫌われ者になっている。

 いまは繁殖期らしいが秋になると親子揃って仲間たちと行動を共にする。それはこの鳥たちの生き抜くために獲得したやり方なのだろう。近くの駅ではこの対策として猛禽類のような形の模型を電柱の上に取り付け、カラスの鳴き声を音声で流したり、明るめの照明を街路樹に当てるなどしている。あまり効果は出ていないようだ。

 ムクドリにしてみれば人間の方こそ群れて一日中騒がしい。他種の棲家を奪って我が物顔でいると考えているに違いない。

ふるさとは

 統一地方選挙の対象地域ではないが、隣県が知事、県議、市議のすべての選挙が行われるらしく巨大な掲示板が立っている。また、すでに選挙戦が始まっており、様々な候補者が演説している。その中で気になったことがある。

 ある候補はふるさと納税の弊害を訴えていた。その内容によると、本来市に入るはずの税金が他の地域に流失している。その額が非常に大きく、損害というほかないというのだ。これは多くの人が考えていることであり、大都市圏の自治体にとっては深刻な問題なのであろう。

 ふるさと納税を実施する人の多くはいわゆる返礼品が目当てである。魅力的な返礼品を用意する自治体には税が集まりやすい。人口の少ない地方都市町村にとっては重要な収入源であるから、この制度には意味があるのだ。

 ただ、ふるさと納税の目的はあくまで納税者がその地域の支援をしたいという意志に基づくものであり、その結果自分の住んでいる地域の福祉への支援が少々低下するという意識が必要だ。こういう考えを持っている人は少なく、私もいま理屈では理解しても、実感に基づくものではない。都会人であればあるほど、自分の居住地域に対する愛着は低く、仮の住まいという考えが強い。だから、税をどこに収めようとかまわないと考える。

 最後まで演説を聞かなかったので、どのような結論なのかは分からない。ただ、言えるのは納税者の態度を責めたところで得票には至らないということだろう。その地域の住民ではないのでそれ以上は言えないが、要するに自分の住まいに愛着が足りないということを言いたいのだろう。

 彼は政治家としてどのような政治を展開すべきだろう。まずは自分の住まいに愛着をもたせるような政治を行うことを目指すべきだろう。そのために何をすべきなのかを考えるべきだ。ふるさと納税という視点で考えれば、地方自治体の政治家の仕事の一つは住民の地域社会への関心を高めることだ。税収増につながるのならば、それは立派な仕事といえるだろう。あなたのふるさとはどこなのかとなじる前に、ふるさとを一緒に作りましょうと訴え、それを粛々と実行する人が地方自治体の政治家にはふさわしい。

高層マンション

 近隣で高層マンションが建設中である。土地の利用という点において高層住宅は効率的であろう。ただ少し心配になる。

 耐震免震の技術は進んでおり、よほどのことがなければ崩壊することはない。その規模の大地震ならば高層建造物でなくても壊滅しているはずだ。思うに電力などのライフラインが途絶する事態になったときにどうするのかということだ。先の大震災でも被災地から離れた地域でもエネルギー確保に深刻な状況が続いた。

 こういうもしもの事態に対して建造物の住民はもちろん、地域の住民も含めてシミュレーションをしておくことが必要だと感じるのだ。

 いかに科学的な裏打ちごあったとしてもそこで暮らすのは人間である。巨大な長屋であることを考えなくてはなるまい。

つくし

 アスファルトに囲まれた中でわずかに残る露面に今年も土筆が育っているのを発見した。すでに伸びきって立派な形になっていた。

 この場所はもう何年も前から3月になると土筆が立ち、しばらくすると雑草に覆われ、気がついたときには草刈りされている。使い道もない空間なので放置され続けてきたのだろう。

 実はこの場所はこの後、道路が建設される予定になっている。周辺の家屋のいくつかが取り壊され、予定地である旨の看板が立ちだした。おそらくこの土筆の小景も近い将来見られなくなるはずだ。

雑木林

 毎朝通過する車窓からの風景の大半は住宅街だ。しかもかなり密集していてこの方面の開発が成功したことを意味する。

 子供の頃もこの辺りに住んでいたがもっと緑が多かった。雑木林が点々と残り、そこにはいろいろな動植物がいたと思う。今残るのは緑地であり、管理下にある非住宅、非商業地帯である。散歩できるように頻繁に手入れが入るため、かつての禁足地的な雰囲気はない。

 安全性や周囲との関係性を考えると雑木林は都合が悪いのだろう。便利とともに多くのものを失った。ビルや住宅の群れをブナやらシイやら、さまざまな雑木の幻影としてみると不思議な感慨に包まれてしまう。

公園の意味

 明日からは寒くなるかもしれないということで横浜市のある公園に行ってきた。最近は人ごみのある所にはなかなか行きづらい。公園であれば他人との距離は保てるし、何よりも気分が晴れる。それはマスクに阻まれない精神の解放である。

 都市が大きくなると公園の存在が大切になる。人々が生活する空間は日常の様々な秩序が渦巻いている。そこには安定もあるが、息苦しさも同居している。そんなときに開放的な空間が必要になるのだ。公園はいまのような時世にはその存在価値をはっきりと認識できる。

 公園があることは人々の生活がうまくいっていることを示す。公園の秩序が保たれているのはその地域がうまく回っていること意味するのだ。この時代にあって公園があることに深く感謝するのである。

囀り

 春の季語である囀(さえず)りがいま自宅の近くで盛んに起きています。

 在宅要請の中、多くの産業活動が停滞する中で事前の営みはかえって息を吹き返しているのかもしれません。今朝は様々な小鳥のさえずる声が聞こえてきました。少し山間部に行かなくては聞くことができないような鳥もいるようです。恐らく人出が減り、鳥たちの活動範囲が広がったことに関係がありそうです。

 私たちは日ごろいかに人工的な空間に生活しているのか。そしてそれをちょっと止めれば、自然の復元力が発揮されるのかということが分かってきたような気がします。