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身体を使わずにものを知ることは

 デジタルが世界を支配する時代において、生の感動がますます重要になっている気がする。自分の情動に従って行動するという生物にとって当たり前のことができなくなっている。それが現代の問題点なのだろう。

 デジタルの世界は現実の描写をなるべく自然のままに再現することを目指す。ただ、どんなに技術的進歩があったとしても、作りものは作りものであって、それ以上のものではない。懐に飛び込んでその世界のありさまを見ることの大切さは変わらない。

 ネットで検索して、あるいは人工知能に答えを生成させてそれで分かったように考えてしまうことには、致命的な問題を感じる。身体の動きを伴わない認知行動がどのようなものなのかを考えなくてはならない。

静謐な時間

 赤坂のモールでクワイエット・タイムが実施されたというニュースがあった。照明や音響を制限したり止めたりすることらしい。感覚過敏の人への配慮が目的で、海外での実践例を真似たという。

 そういえば日常生活では過剰な音と光に囲まれていると感じることがある。当初は過剰に感じても、それらに晒され続けると当たり前になる。何らかの事情で、たとえば故障などで照明がつかなかったり、BGMが途絶えたりすると不安になることすらある、しかし、これは実は不自然なことである。

 東日本大地震以降、電力供給不足が起こり、商店や街頭などの照明が制限されたことがあった。始めは不安感を覚えたが、これも慣れてくると気にならなくなった。我々の感覚過敏というのは習慣の中で形成されている。不要な照明や音響、空調などはあらかじめ切っておいた方がいいのかもしれない。

 身体的都合で感覚過敏の方には当然だが、そうでない者にもクワイエット・タイムは必要なようである。

背筋を伸ばして

 猫背にならないようにというのは若い世代にとっては美容の問題だろう。私の年齢になるとより切実な問題となる。説明は難しいが年寄りには見られたくないという見えの要素が大きい。

 猫背になる原因の一つにうつむきがちに歩く癖がある。これは文化的要因があるのかもしれない。猫背を防ぐためには正面遠くに視線を保つ必要がある。そのためには歩き方の見直しが必要だ。重心を靴の真中に置く意識がいる。実際はそれでは歩けないだろうが、視線を前方遠くに置くことさえ意識していればよい。座ったときも椅子に深く腰掛け顎を引くという心掛けがいる。

 スマートフォンの使いすぎも影響がある。前かがみになりやすい。人類の進化を表すシルエットに、猿人から直立歩行する姿がよく描かれるが、続きとしてスマホを持つ前かがみの姿を描く戯画には説得力がある。

 直立を維持するには重い頭部を支える筋力も必要だ。首や背筋などは衰えやすいから、日頃から鍛えておく必要がある。いまできることはこれが最優先事項だろう。動画サイトにはいくらでもこの回答がある。

 おしゃれをするつもりはないが老人扱いは嫌だ。その意味では大いに足掻きたい。

歩行速度

 歩く速度で老化の度合いが分かるという。たしかに高齢者の歩みは遅く危うい。杖を突きながら長い横断歩道を渡り切れるのか心配になる方もいる。若者の足取りは軽く、その中間の年令の人々の足取りは人それぞれだ。

歩き方は人それぞれ

 歩行速度に年齢が出てしまうのはどうしようもない事実だ。私は自分では足が速い方だと思っていた。よく人を追い越していたからだ。しかし、最近は追い越されることが増えている。これを歳をとったから仕方がないと考えるか、負けずに後を追うかで老化の具合いは変わるのかもしれない。

 私が歩行速度が落ちているときには視線が下向きになっている。意識して上を見るようにすると、速度は落ちない。姿勢も良くなる。夏季は鞄をザック式にして担いでいるのだが背中の荷物が背骨に当たる感覚を大切にしたい。

 犬の散歩をよく見かけるのだが、犬の歩みにも年齢が出るらしい。駆け出しそうになるのを制されている若い犬もいれば、トボトボと歩き飼い主が歩みを待つ老犬もいる。犬用車椅子を装着して歩くものもいる。人同様歩くことは犬にも老化のバロメータであるようだ。歩くことは生物に取っては生存の基本であり不可欠な条件だ。いつまでも変わらずにというのは叶わぬ願いだが、せめて老化を早めることのないよう歩き続けるしかあるまい。

組み合わせ

 色彩感覚の不思議を試す例として、同じ色でも周囲の色によって違って見えるということがよく取り上げられる。私たちの感覚は相対的であり、どう見えるのかはその場に揃った条件の組み合わせで決まるらしい。

 皮膚感覚もそうだ。何もしていないときにぶつかられると痛みを強く感じる。しかし、サッカーなどの接触のあるスポーツをしたあとだと同じ衝突がまったく気にならない。寒い日が続いたあとの小春日和はとても暖かいが、気温自体はそう高くない。

 嗅覚も周囲の環境で大きく変わる。その場にい続けると臭いは感じなくなるし、芳香と悪臭の成分は変わらないときもあるだろう。

 私たちの感覚がいかに組み合わせで形成されているかを思うとき、自分の感覚が決して万物の尺度ではないと知る。不安にも繋がるが自信にもなるだろう。

疲労時の判断

 疲れているとき大きな間違いをおかしやすい。そういう経験をいくつも重ねてきた。その理由は何か。

 冷静になれなかったからという考え方は間違っていない。確かに疲れた頭で適切な判断をすることは難しく、それが失敗に繋がると言えそうだ。だがそれだけではあるまい。自分では落ち着いていたはずなのにと思うこともある。

 記憶の一部が阻害されるからという別解を考えている。ある程度の披露が蓄積すると、記憶の蓄積量が減り、目の前のことしか判断する材料がなくなる。普段なら過去の経験から、止めた方がいいと判断する選択肢を選ぶ可能性が高まるのではないだろうか。

 私たちが何かを考えるとき、常に目前の対象とともに過去の経験との照合を続け、最適解を探している。それが疲労時にはできなくなるのではないか。

 ならば重大な決断は疲労時に行うべきではない。時間のおいて再考すべきだ。どうしても決めなくてはならない時は、疲労する前に日常的判断のルールを決めておき、それに従うというやり方にするのがよい。

 経験的印象に過ぎないが記憶が体力に左右されるという事実は間違っていないはずだ。

蒸し暑い日に

 今朝の東京は低く垂れ込めた雲に覆われています。かなり湿度が上がりそうな気配がします。

 日本の夏は湿気が高いというときっと不正確です。太平洋側の地域はという条件が必要です。南から吹く季節風が太平洋で発生した蒸気を列島に運び続けるために、東京や名古屋、大阪などの都市は高温多湿の酷な状況にさらされます。

 最近は熱中症の被害者が深刻な問題となっています。今日のように日照がなくても症状が発生することがあるとのこと。むしろ油断して重篤化するまで気づかないこともあるらしい。気をつけなくてはなりません。

マスク販売

 ネット上にマスク販売の予告が出るようになりました。安価なものから高価なものまで様々です。アベノマスクの影響で転売目的の人の目論見ははずれそうですが、いまだ需要に供給が追いついていない状況にあります。

 ネットでのマスク販売元のサイトを読むと、生産国が中国であると書かれていました。マスクやアルコール消毒液などの医療品を海外製品に依存している問題点が露呈しています。コスト削減のために安価な輸入品に任せていいものなのか。非常事態になると改めて考えさせられます。

 マスクの長期にわたる品不足はこの問題を考えるいいきっかけです。トイレットペーパーのように海外依存度の低いものはなんとかできても、拠点を外国にシフトしたものはいざとなるとなくなってしまう。消費者レベルで考えれば、高くても自分の安全のために国産を買うべきなのでしょう。

変化激しく

 このところの東京の天気は変動が激しく、今朝も強い雨が降っています。気温も低めです。

 昨日は初夏のような陽気でしたが、今朝は気温が上がらずやや強い雨もふり、まとこに変動が激しい日々です。自由に外出できない現状とあいまって体調管理がかなり難しくなっています。

 いままではウイルス感染予防以外の面にはあまり関心がなかったので、これからは軽度の運動をするなど健康面にも気をつけていかなくてはならないと自戒しています。

マスクを忘れて

 新型肺炎の予防に関してマスクは効果が少ないというのが専門家の意見です。ただ、つけていないとかなりの不安感に襲われるという事実があります。心理的なものと言っても収まらない何かがあります。

 今朝はマスクを持ってくるのを忘れてしまいました。すでに街では何日も品切れ状態が続いており、途中で調達することは不可能です。通勤電車の車内でマスクをつけていない人はわずかです。すると無根拠の不安感が現出するから不思議なものです。遠くから聞こえる咳の音にも反応してしまうのです。また、くしゃみをしたらどうしょうと心配になります。

 マスク依存の昨今はそれ自体がかなり病的で、精神的な弱味につけこまれる隙がいくらでもあります。こういう状況は社会不安も起こりやすいようです。物品欠乏デマもそのような中から生まれたのでしょう。

 マスクをつけることで判断力や正義感までを覆い隠すことのないよう気をつけなくてはなりません。