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しなやかに

 しなやかさは理想とする境地の一つだ。複雑な事態に自他を傷つけることなく対応できる何かを感じる。実際は容易ではないが、求めて止まない目標だ。

 変化が激しい昨今の状況において何が正解か、真実は何かを見定めることは難しい。だから当座の状況対応は必要だ。真実を探る努力は怠れないが、立ち止まることもできない。しなやかさは一時的な判断をした後にも必要になる。

 理想としてはよいがこれでは疲れてしまう。常に周囲を見渡し、身を処さなくてはならないのだから。スキー選手が複雑な地形を滑降するときのように常に神経が張り詰めていることになる。

 すると、しなやかさの持っているイメージとは程遠くなる。おそらく何かが違うのだ。合気道の達人のような脱力しながらも身をかわせる。そんなものを目指しているのだろう。

デジタルだけでは

 スケジュール管理をグーグルやアップルのカレンダーに入力して行うようになって数年が経つ。便利な点は多いが、それゆえのデメリットもある。その補完はやはり紙のノートである。

 デジタルデバイスでのスケジュール管理は一元管理ができることに大きな利がある。同期するからどこに書いたのかを忘れることがない。他人が作成したデータをそのまま借用できるのもいい。これまで使ってきてこの恩恵に大いにあずかっている。

 同時にこれは欠点でもあり、記録に関する緊張感のようなものを奪った。だから大切なことはノートに書き出している。両棲類みたいなやり方が自分にはあっている。

減少せず

 緊急事態宣言が解除されたあとも新型コロナウイルス感染者数は減少せずむしろ漸増の傾向にある。新型株なるもののせいなのか、たんに検査数が増えてきたからなのかはわからない。大阪や宮城のように首都圏以外の地域の動向も気になる。

 このままこの傾向が続けばまた様々な制限がかけられるだろう。それにともないいろいろなことができなくなる。また変わらなくてもいいものまでが変革を迫られる。妙な言い訳がまかり通って大切なことを見失う。ワクチンの購入は国家的に進めてほしいが、同時に国内企業への開発奨励も進めてほしい。

 世界のシステムが一気に変わりつつある中で、その行く末を見極めたい。さらに、創作提案することもあきらめてはいけない。いまは変化のときだ。誰かに追随するだけでは立ち行かない。

逆算の発想

 結果からさかぼってやり方を考え直すことを始めようとしている。何かを伝えるとき、伝え方の方を考えてしまいがちだが、実は大切なのはどう伝わるかということだ。それを見直してみたい。

 何かを伝えるとき、どのようにしたら効果的に伝えることができるのかということばかり気が向いてしまう。これは当然の成り行きだ。だが、経験上うまくやれたと思っても効果が上がっていないことがある一方で、力を抜いてしまったときでも効果が上がることもある。つまり、意図と結果が相関していないのだ。

 これは因果関係がないというのではなく、基準としている考え方が間違っているということなのだろう。実は原因と考えているものが結果とは無関係ということもあるのだ。だから結果から逆算しなくてはならない。現状がどのようになっているのかを冷静に見直し、考え直す必要があるのだ。発想を逆転することでおそらく今まで見えなかったなにかが分かることがある。それが改善の糸口になるはずだ。

 どんなことにも当てはまることだろうが、物事を固定的にみると閉塞感が生まれる。世界は変化に富んでいる。それをどのようにとらえるのかが大事だ。

問題点は

 問題点を洗い出す方法を考えなくてはならない。毎日、漠然と過ごしている私には難しいことだ。ただ、限られた時間内でやり遂げるには抜かしてはならない。

 典型的な状況対応型の私にとって、PDCAのような考え方は理想というより憎むべき悪習だ。偶然と寄り道をなくして何がよいのかと思う。でも、やりたくないことを早く済ませるにはいい方法だ。この方法に関心を持つようになったのは、私の仕事が自分の本心から離れたことの証だ。

 効率的に何かをしていると豪語する人や、やたらと片付け好きな人をみると私は気の毒に感じる。それをやらなければならないと考え出しているのは自分もその状態にあるのだということなのだろう。

新年度

 日本では年度の始めは4月である。つまり今日が2021年度の最初の日だ。桜の咲くこの時期に区切れ目を設けたのは日本人の感性としてはふさわしい。もっともこれは後付の理由説明であろう。

 不断の時間に切れ目を入れて新しい何かを実感しようとするのは人類の叡智の一つだ。意識が変われば実感も変わる。だから世界が変化するのだ。変化は緊張ももたらす。ストレスを感じるのもこの時期の特徴だ。過ぎてしまえばどうということもない。

 私自身、年度という単位を特に重視する立場にあるため、過大な意識を持ちやすい。それを自己変革の機会に使いたい。

カウントダウン

 人生をカウントダウンで考えるのか、カウントアップで考えるのかで人生観は大きく変わる。若いころはアップであったが、最近はダウンで考えてしまう。それは仕方がないことだろう。

 事故とか病気とかで自分の年齢以下で死んだ人の数が増えていくと、次は自分の番なのではと考える。本当はいつそうなるかなど誰にもわからない。ただ、残された時間が減っていくという感覚がカウントダウン思考に駆り立ててしまうのだろう。

 そうした考え方をいままでは消極的で否定的なものだと考えていた。しかし、最近は少々変わっている。残された時間を充実させるためにはカウントダウンも必要なのではないかと。できることを少しずつ確実にやり遂げるためには持ち時間を意識する必要もある。だから、必ずしもマイナス思考ではなく、建設的な考えを持つためにカウントダウンも必要なのではと考えるようになっている。

次にやること

 次に何をやるのか。それを考えなくてはならなくなった。こういう気持ちは時々意識されていたのだが、その都度思考停止してきた。その習慣をやめなくてはならない。

 いま持っているものなり、わざなりを活かしながらも、場合によってはそれを捨てても次の段階に進まなくてはならない。いまはそのような段階に入ったようだ。

 それが何なのかはまったくわからない。とにかくやるしかない。過去の経験ではそう考えた時に展開はあった。信じるしかあるまい。

やり直しと前進

 緊急事態宣言が解除されるという。まだ何も変わっていはないがとりあえず次の段階には進める気がする。私自身、この病禍のためにいろいろ変化した。はっきり言って停滞というより退化したこともある。ここからはやり直しだ。そしてむしろ今までにないことを始める必要がある。

 いろいろなことへの自粛の気持ちはようやく保ってきた向上心の最後のかけらをも奪いつつある。今はその塵埃をかき集めて何とか形を作らなくてはならない。気持ちの衰退は身体にも来ている。最近、体調の変化を自覚している。危ない状態に確実に近づいている。恐らく運動不足が大きな原因だ。

 社会の再開とわたしの人生とは無関係だが、少なくとも強い相関はないが、でもこれを機に一歩前に進まなくてはならないという気持ちにはなっている。

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自己開拓

 何事も効率よく行うことが賢い選択のようにいわれる。ただ、自己開拓の大切さは忘れてはいけない。

 できるなら無駄なことはしたくない。そう思うのは人情というものだ。この考え方が新しい何かを生み出して来たのは確かだ。その事実をないがしろにはできない。ただ、いつでも最短距離で行くことがいいとは限らない。失敗のなかから生まれるものもある。

 いつも思うのだが、失敗はそれを寛容する社会がなければできない。そして、失敗を前提とした生き方は自らの勇気が試される。自己開拓をすることの苦労と楽しさは今の自分にもっとも必要なものである。