タグ: 生活

沈黙のセンター

 クリスマスの思い出の一つはおそらく人生の記憶の端にあるものである。ミッション系幼稚園に通っていた私は訳も分からず毎日アーメンと唱えていた。日本人のキリスト教徒率は1パーセント程度といわれているが、多神教の素地を持つ我が国においてキリストの神様も八百万の神の一つとして信じているのだから、信じていないわけではない。聖書のエピソードなども意外と知っている人が多い。

Photo by Tim Mossholder on Pexels.com

 幼稚園でのキリスト教体験の中でも印象的だったのがクリスマス近くに行った「おゆうぎ」だろう。キリストの誕生を演じるものだ。主役といえるは聖母マリアである。今から考えると一番かわいらしい女の子がその役になっていたのだろう。全く思い出せないが。そして、誕生を予言する博士や、羊飼いたち、そしてマリアの夫であるヨセフなどがキャストである。私はそのヨセフの役であった。

 聖書のなかでヨセフは聖職者の指示に従い、精霊を宿したマリアを罰することなく自分の妻として迎え、生まれたイエスを自分の子として育てた。誕生後すぐに権力者からの弾圧から逃れるためにベツレヘムからエジプトに移住することを断行したり、一時行方不明なったイエスを探したりしている。キリスト教徒にとっては神の誕生を支えた人物ということになる。

 その重要な役柄だが、「おゆうぎ」では真ん中でただ立っているだけの役だったように記憶している。マリアにはセリフも所作もあったと思う。博士や羊飼いたちにも動きやセリフはあったと記憶している。しかしヨセフはただ立っているだけだった。

 おそらく小さな幼稚園の部屋の一角で行われたに過ぎないのだが、記憶の世界ではある程度大きな教会で背景にオルガンなどがあり、たくさんの信者の前で演じているという風に脚色されている。でもそれだけ装飾された記憶の中にもセリフはない。確か風邪か何かにかかって少し熱があり、立っているのもつらかったということしか覚えていない。これもあとづけかもしれない。

 クリスマスの思い出としてこの歳になっても思い出すのは沈黙のセンター経験である。

バイクのサンタ

Photo by Jill Wellington on Pexels.com

 クリスマスイブの国道246号線には面白い風景が繰り広げられる。サンタクロースの大量発生である。もちろんこれはこの道だけではあるまい。本当の伝説上のサンタクロースは雪道をそりで行くのかもしれないが、東京ではバイクに乗って自分で運転している。そしてピザやすしを届けるのである。

 おそらくクリスマスのサービスとして配達員にサンタクロースの衣装を着せるのだろう。運転しやすいようにひげはつけない。若者たちが任務を遂行しようとしている。おそらく依頼者はその衣装に一瞬驚き、喜ぶのだろう。そのために赤と白の服を着る。

 そのほかただ走ることが目的のライダーたちもいる。中にはサンタ集団を形成するものもある。もちろんその中には角をつけたものもいて、彼も自分でバイクを操る。ドライブは自由だが聖なる夜を爆音で汚さぬようにしていただくことをお願いしたい。

 降雪地域の方々には本当のサンタが訪れるはずだ。無理をして外出しない方がいいらしい。除雪も慎重に。私も雪国に住んでいたころ、クリスマス寒波に慌てたことがある。止まない雪はない。怪我などされませんよう。

屋台で一杯

 最近屋台を見ない。私が学生の頃には駅前に怪しい屋台ができ、おでんを中心にちょっとしたつまみを出す店があった。私はその頃(も)金がなく、常連という訳にはいかなかったが何度かお世話になったことがある。

 サザエさんでは波平とマスオが屋台で飲んで帰るというシーンがあった。昭和世代にとっては気ままに立ち寄れる場所だった。衛生面でかなり気になることろはあったが酒が入ると気分が大きくなることで大抵は問題ならない。食中毒になったこともない。皆、焼いたか茹でたかしたものだったからだろう。

 学生(院生)の分際で飲むのは少々引け目もあった。ただ私の行った大学は比較的大きかったことや近隣の企業に先輩がいたことなどから、時々ごちそうになったこともあった。呑みニケーションがあった時代を懐かしんでいる。

 いま、見ず知らずの大学の後輩におごる度量もない自分をふがいなく思う。活気と猥雑なエネルギーとが混在した時代だった

雪道の運転

 雪国に住んでいたころ、降雪があると大きな覚悟が必要だった。それは職場まで自動車でたどり着かなくてはならないということだった。

 北国の人であれば雪道の運転は当たり前である。しかし、にわかに北陸の人となった私にはかなり過酷な試練であった。何しろ東京に住んでいたころは車の運転自体をほとんどしなかったのに、いきなり毎日運転してしかも雪道の斜面の上の職場に通ったのである。初級編を飛ばしていきなり中級編の最後の方のページに取り組むようなものだった。

 ブレーキの踏み方は特に注意した。交差点ではスリップする分を割り引いて制動する必要があった。特に危ないのが橋の上だ。凍結していることが多く、車体が左右に振られることも多い。最初の一週間は本当に恐怖の連続だった。次第に慣れてくるとそこそこの運転ができるようになってくる。油断をするとまたスリップする。幸い雪道で事故を起こしたことはなかった。しかし、あと少しで危ない状態だったということは何度かあった。

 これは地元の皆さんでも同じで、冬場になると脱輪する車にたびたびあった。中には田んぼの中に転落して逆さになった車のなかから乗っていた人を助けたこともある。幸い全くけがはなく車も軽微な損傷で済んでいた。ただ、初めて現場に遭遇した時は大いに驚き、救急車を呼ぼうとして当事者に止められたのを覚えている。

 昨夜から日本海側を中心に雪が積もっているらしい。ぜひ安全第一にお過ごしいただきたい。私のようなへっぴり腰の方が事故は起こさないのかもしれない。過信は禁物だ。余計なおせっかいだが。

海辺の町

 北陸の小さな町に住んでいたとき楽しみの一つに漁港の周りを歩くことがあった。多くの漁船が並ぶ中で、カモメがいくつも並んでいたのを思い出す。波けしブロックにあたる波は夏は穏やかで、冬は激しかった。海辺にある魚屋は高級な魚種の販売を中心として、結構いい値段のものが並んでいたが、そのわきに切れ端のようなもんが詰め込まれていた。私はそれを買って帰って味噌汁の具にしたものだ。これが結構うまいもので、小骨に気をつけさえすればいい料理になる。パックは当時、かなり入っても100円だった。懐かしい。

 浜辺の方では時々地引網を引いていた。引き上げるとたくさんの魚が入っている。それを子供たちが興味深く見に来る。漁師たちは不愛想に金になりそうな魚をえり分け、そのほかのいわゆる雑魚は見に来た子供たちに分け与えていた。雑魚といっても十分な大きさと味もなかなかと聞いた。

 私は比較的時間に縛られない仕事をしていたので、昼間から漁港に出かけていた。漁師たちはそれを不思議に考えていたはずだ。残念ながら一度も話しかけたことはなかったし、話しかけられたこともない。今から思えばちょっと残念である。

卯年にむけて

Photo by Anna Shvets on Pexels.com

 来年は卯年である。ウサギにかこつけて飛躍の年という人がいる。またボウの音が古代の「茂」の音に通うところから、植物が繁茂している状態になるということもあるようだ。そこから繫栄なり、発展なりを連想する向きもある。

 いずれも後付けの説明のようで、本来は子から数えて4番目を意味するだけの記号であったというのが事実に近いらしい。ベトナムではウサギではなくネコの年らしい。何を当てるのかも民族によって違うのだ。

 でもそれが非科学的であろうと、歴史に基づかない民間語源説であろうと信じる者は救われるのかもしれない。ウサギのように飛躍し、植物が生い茂るように自分の夢を広げていく、そんな1年を期待する。

 年賀状に「卯」の字を書きながら、思うのは自分はもちろん社会の飛躍と安定である。

虚礼ではなく

 年賀状を書く季節になった。先輩の中にはこれで賀状交換は終わりにしたいとおっしゃる方もいる。寂しいが仕方がない。これはもともと義務でやるものでもないし、いわゆる義理でもない。いわゆる虚礼にならないように私も方針転換をする。つまり、来年からは出したい人だけに出すことにする。

 これまでは仕事上の関係とか、公平性(?)とかいろいろ忖度して賀状を書いていた。これからは年齢や経歴や過去の関係とかを考えずに出したい人にだけ出すことにする。それが虚礼ではなく本当の挨拶だといえると信じることにする。だから、一枚にかける時間は長くし、思いをしっかりと書く。それが書けない人には出さない。この方針で行くことにする。

 私から年賀状をもらったらきっと「読み応え」はあると思う。ただ、それも相手がどう思うかは様々だ。それは気にしない。挨拶したい人だけに丁寧にあいさつする。それが私の方法ということだ。このくらいのわがままは許される年齢にはなっていると思う。

ヨーヨーの名人

 子ども時代の思い出としてコカ・コーラが販促で展開していたヨーヨーをおまけにつけるキャンペーンがあった。福岡に転校したばかりの私はまだ友人が少なかった。コーラーの王冠の裏をめくり、あたりマークがあるとヨーヨーがもらえた。ヨーヨーはそれ以前からあったが、いろいろな技ができるのはこれしかないと信じていた。

これは当時はやったタイプではありません。

 ある日、ヨーヨーのチャンピオンが直々に演技をしてくれるという。記憶では学校の近くの広場だった。子供たちの人垣の中でチャンピオンのお兄さん(だったと思う)がいろいろな技を見せてくれた。「犬の散歩」という空回りしたヨーヨーを地面近くで滑らせながら犬に見立てる技は、手品を見ているような気がした。

 まんまと商略に乗っ取られた子供たちは(含む私)はコーラを飲み続け、ある日「あたり」を手にした。それで名人のようにやってみたがうまくいかない。私には向いていなかった。ヨーヨーを通してできた友人たちの中にはあの空回りができるようになったものもいた。それができれば様々な技が展開できたはずだが、なぜがそれ以上は進まなかった。

 いまの子供たちに同じ遊びを紹介しても喜んでもらえるだろうか。テレビゲームよりはできることは少ないが、できたときに達成感はビデオゲームには及ばないものがある。ただ、周囲に配慮しなくては少々危険であり、家具を壊して怒られないようにしなければならないが。

高齢者補助

 自分が馬齢を重ねたせいで分かることは、この世のシステムは当然ながら健常者がコントロールできるように作られているということである。逆に言えば何らかの障害を持つと途端にやりにくくなる。この後、高齢化を邁進する日本社会では様々な技術的な補助が生まれるはずだ。ただ、それが使えるくらいまでは体力なり、身体機能を維持しなくてはならないということを痛感している。

Photo by Ornu00e1n Rodru00edguez Velu00e1zquez on Pexels.com

 いつも書いているがコンピュータ入力はいつまでもできると思っていた。ところが、意外にも文字や鍵盤の小ささや配色によってはかなり見づらく、思ったようにできないことが増えている。ならば音声入力があるという異なる。最近の音声入力はかなり精度が高いので使ってみると大いに助かる。しかし、これも活舌が怪しくなると使えない。健常な大人が使うことを前提に設計されているものはそのままでは使えなくなる可能性が高いのだ。

 これについては今後、より高齢者に配慮したインターフェースがうまれることを期待するしかない。おそらく需要はいくらでもあるので実現化される日は近いだろう。社会の高齢化を補う手段は国家的な死活問題でもある。

 ハードで的な話ばかりになったが、より大切なのはセカンドライフの多様化を踏まえた社会を用意することに相違ない。体力的能力的(もしくはそのいずれか)が衰えていない人材は今後多数存在する(している)はずだ。彼らの活躍の場を与え、扶養者ではなく、社会への貢献者になっていただく方法を考えるべきだ。私自身もその仲間入りをすることになるが、これは今の若者にも当てはまる。将来の自分が歳をとっても社会に貢献できる場を作っていかなくてはならない。そのために最低限の生活保障、余裕のある人への就職奨励、雇用機会の創出などやるべきことは多い。

 若い世代の仕事を補助するような仕事が理想だ。何があるのか考え続けたい。

歩行禁止に

Photo by Felipe Cardoso on Pexels.com

 エスカレーターを歩行禁止にすることに関してはかなり前から多くの方が期待してきた。駅のホームを昇降するエスカレーターの場合、ほとんどが片側に人が立ち、開いた側を歩いて昇る、中には駆け上る人がいる。日本では東京付近と大阪付近ではその立つ側が異なり、一種の地域文化とでもいえるような様態をもっている。でも、そもそもエスカレーターは歩かない乗り物ではなかったのか。

 かくいう私もそうだが、エスカレーターの待機側(立って乗れる側)が満員で、歩行側(とでも呼んでおく)に押しだされたとき、不文律として意図に反しても歩き上ることをしている人は多い。こっちに並んだら歩かなくてはならないものという決まりなどどこにもないのにそうしてしまっている。仮に立ち止まったりすると、本気で非難する人もいるという。先日、エスカレーターは歩くべきではないと指摘した人にけがを負わせてそのまま逃げた実に残念な人が逮捕された。ここまでの悪人は少ないにしても、エスカレーターで立ち止まりでもしたら、激怒する「勘違い」な人はいくらでもいる。

 ならば条例で歩行禁止にしてしまえと考えたのが埼玉県だ。「埼玉県エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」と命名された条例は、利用者には「立ち止まった状態でエスカレーターを利用しなければならない。」と設置者には「利用者に対し、立ち止まった状態でエスカレーターを利用すべきことを周知しなければならない。」としている。ただし罰則に関する規定はない。努力目標に近い。

 法的な実効性はさほど高くはないが、エスカレーターは歩行すべきものではないという考えを周知させる役割は大きい。名古屋市でも来年の制定を目指しているという。罰則はないといっても、エスカレーター上でトラブルが起きたとき、時に相手がけがをしたときは賠償の対象になりやすくなった。精神的な被害に関しても認められるようになるのかもしれない。今までとは意識の改革がいる。

 考えてみれば、右なり左によって立てというのは無理があった。障害があってどちらかの脇にしか寄れない場合や、そもそも体調によっては重心が不安定で、隣をかすられるだけでも危険を感じる場合などがある。私も膝を痛めたとき、俊敏な動きができず、脇を通り過ぎる人にぶつかられて不快に思ったことがある。おそらく逆のことをしてしまった時もあったかもしれない。

 忙しくても走らない。公共の場所では他人を巻き込む危険性がある行動はしないということを考えていかなくてはならない。これには各エレベーターわきに注意喚起や動画を表示することや、企業の協力を得て啓蒙活動を徹底的に行うしかない。