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教員の仕事

 日本の教員の仕事が多忙かつ多岐にわたっていることは、その業務に就く一人として実感しています。できることはすべてやらせられるという感すらある。ただ、働き方改革の流れにコロナウイルス感染予防のための自粛の社会情勢が作用して、教員の働き方を見直すきっかけが与えられているように感じます。

 教員が授業に専念できるためには、事務的な要素の効率化と、部活動顧問などの外注が欠かせません。そのためには責任を持って児童や生徒を預かる機関なり企業なりが必要です。保護者の負担が大きくなり過ぎないように、行政の補助が必要になります。そういうことが確保できれば教員は子どもたちの教科や生活の指導に注力できるようになります。

 部活動顧問の外注化は卒業生や地域の住民の力を借りるべきです。校舎を活動場所として指導者には資格審査をして責任を持って行動していただきます。この方が結果的に活動は活性化するのではないでしょうか。

 教員が定時で帰宅できるようになれば日本の教育は復活できるのではないでしょうか。消耗ばかりで発展できる機会が限られている教員の現状は早急に改善すべきことです。

辻占

 偶然通りかかった道すがら、二人のご婦人の話し声が聞こえました。いわく、いまは日本が変わるチャンスだと。

 コロナウイルス感染予防による外出自粛は法的効力は弱いものの、国民の間にはかなり浸透しているようです。同調性の強い国民性は今回は奏功しているように感じます。ヨーロッパやアメリカの死者の数の多さを見せつけられるとそうせざるを得ませんが。

働き方改革という言葉が昨年は何度も繰り返されていました。労働時間を切り詰めても生産性を落とさないという無理難題に苦しめられていました。それがこのステイホームの状況でより難度の高い課題を突きつけられることになっています。その答えはいまだ見つからないものの労働時間短縮はもしかしたら可能ではないのかという予測ができるようになりました。

 そう考えるならば奥様方のおしゃべりはそれほど的を外してはいない。むしろこの機運を高めていく必要を感じています。ピンチはチャンス。制約は飛躍のための屈伸です。

精神の安定

 ステイホームの政策ほ一定の効果は発揮できているように感じられます。爆発的な死者の増加は今のところはなく、医療崩壊は最低限に抑えられています。とはいえ、感染者数の増加は指数関数的であり、一部の病院ではトリアージを行わざるを得ない状況にあることも事実です。

 もっと恐ろしいのは分断生活で失うのものがある可能性があることです。集団の団結力、協調性といった日本人のある意味最後の財産とも呼べるものが失われれば大損失と言えるでしょう。恐怖心やそこから発せられる憎悪や異種知り捨てが起きることも不安要因です。小さな疑いが不寛容な人間そして社会を作り出していきます。

 ウイルス感染対策とともにいま大切なのは精神面の安定です。文化的な活動も止められている現在、何が支えになるのかを考えていかなくてはならないと感じています。

差異

 資本主義の大原則は人々の間に何らかの差異があることだといいます。持てるものの格差が利益を生み出すのがすべての根源にあるそうです。

 格差が無くなりそうになると既得権を持つ人は様々な差を生み出す仕掛けを用意してきます。儲けが続くためには皆が同じものを持っていてはならないのですから。利益を得る人が常に同じであるとき、社会格差が発生します。それが場合によっては社会不安を生み出すきっかけにもなってしまうのです。

 すべての人が同じものを所有し、同等の価値観で生きるという考え方はこの格差をより決定的なものにしてしまいます。実際には多様な生き方があり、求める目標も違うはずなのに社会的同調圧力が巧みにかけられ続けているのです。

 人とは違う生き方、別のゴールを持つこと、それらは現代社会では堅持しにくい目標と言えます。人々を同じ価値観に誘導し、その上で格差を設定するのが現代社会なのでしょう。この頸木から逃れるためには、自分なりの生き方を貫くしかありません。他人からは敗者に見えても自身では幸福だと思えることが大切なのです。

後生畏るべし

 私の最近の座右の銘は「後生畏るべし」なのかもしれません。あいまいな表現になっているのは結果的にそう考えているというものであるからです。次世代リーダーの輩出こそが責務と考えているのです。

 生徒諸君は多くが未完成で成長段階にあります。しかしそれは発達段階上の現象であり、自分より劣っているということではありません。昔より今の子どもは様々な点で恵まれている。だから苦労を知らない。苦労していないから自分より劣っているなどいう思考回路は私たちの陥穽にあたります。どうして自分より劣った世代が次の世界を担えるでしょうか。少なくとも自分たちよりは困難な状況が予測される将来を担う人材はもっと優秀であらねばならないし、現にそういう人材が生まれつつあるのです。

 だから生徒に接するととき、今は教員と生徒という立場にありますが、時間が経てばそれが逆転するかもしれない。いや、なるべく早く逆転できるように接していかなくてはならないと考えます。自分を超えた存在をいかにしたら生み出せるのか。教育の根本理念をもっと考えていかなくてはならないと考えています。

 そのために最低限必要なのは生徒に敬意をもって接することではないでしょうか。自分より劣った自分以下の存在を教化するのではなく、自分を超える存在が成長するのを手助けするという考え方こそ今の教育界に必要な考え方なのです。