脚本を考えるとき女の登場人物にはいわゆる女性言葉を使う。語尾に「わ」「よ」などをつけて女性性を表現する。でも、それを聞きながら、こんな言い方を女はしていないと思うことがある。言葉におけるジェンダーの問題は深いのである。
演劇は現実の反映であるが、現実そのものだとうまく伝わらないことがある。現実の性質の一部を誇張したり、省略したりしてそれらしさを際立たせる。短時間で限られた設備の中で、キャラクターを造形するためにはそうした虚構が必要なのだ。作る方も見る方もその約束のもと成り立っている。
女の話し方にしても、年齢や性格、立場、話す相手、そのときの感情によって言葉遣いは変わる。これは男も同様である。こういう人はこういう話し方をするものという社会的な約束があるから、それを利用しているとも言える。だから、実際の言葉遣いはそれとは違うことが多い。
一方で、たとえば演劇で語尾に「わ」のつくヒロインの台詞が現実の女性の話し方をある程度決めているのだとも言える。影響力が強いテレビドラマや映画などならなおさらだ。虚構が現実を規定することも同時に起きている。
現実社会でも私たちは一人で何役もこなし、その都度、言葉や振る舞いを使い分けている。
