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虚礼ではなく

 年賀状を書く季節になった。先輩の中にはこれで賀状交換は終わりにしたいとおっしゃる方もいる。寂しいが仕方がない。これはもともと義務でやるものでもないし、いわゆる義理でもない。いわゆる虚礼にならないように私も方針転換をする。つまり、来年からは出したい人だけに出すことにする。

 これまでは仕事上の関係とか、公平性(?)とかいろいろ忖度して賀状を書いていた。これからは年齢や経歴や過去の関係とかを考えずに出したい人にだけ出すことにする。それが虚礼ではなく本当の挨拶だといえると信じることにする。だから、一枚にかける時間は長くし、思いをしっかりと書く。それが書けない人には出さない。この方針で行くことにする。

 私から年賀状をもらったらきっと「読み応え」はあると思う。ただ、それも相手がどう思うかは様々だ。それは気にしない。挨拶したい人だけに丁寧にあいさつする。それが私の方法ということだ。このくらいのわがままは許される年齢にはなっていると思う。

具体例の豊富さ

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 いろいろな自己啓発系の本を読んできて思うのは、述べられていることを要約すると古典の先哲の述べていることとそうは変わらないということだ。新しい考え方というが実は、何百年も前の人が残したこととあまり内容が変わらないということ多々ある。何が違うかといえば、それは具体例をどれだけ示せるのかということだ。

 私たちが何かを理解しようとするとき、意見や主張にあたる部分だけを読んだり、聞いたりして納得できることは少ない。説得されるためには自分の経験や知識と重なる具体例があることが関係する。自分の経験に近いからもしかしたらそうかもしれないと納得することができるというわけである。どんなに正しいことを言われても、それが身近なものでなければ自分の問題として理解することができない。どうも私たちの頭脳というのはそういう仕組みになっているらしい。

 よく売れている本を読むと、その具体例が非常に豊富だ。中にはできすぎではないかという例もある。これはクリティカルリーディングが求められる領域だ。それを差し引いてもなるほどと思わされる事例がたくさんある意見に対して納得をしやすい。

 この手の本を書く人はインタヴューに力を入れている。その蓄積が作品の成否に大きく関与すると言ってもいい。偉大な宗教者や哲学者もそうした具体例をたくさん持っている。本当に体験したこともあれば、人の輪を通じて入手した事例もあるのだろう。それを言語化し、自分の考えに結びつけられたものが思想を展開できたのだと思う。これは今も昔も変わらないのだろう。

 自分のことを振り返るに、やはり圧倒的に言語化という方面ができていない。これといった経験はしてきていないし、人に誇れる行動もない。でも、ささやかな経験の中から受け取ったことはたくさんあったはずで、そのたびに自分の言動を修正してきた。そのほとんどを忘れてしまい。言葉にできない。感動の体験を少しでも言葉にすることをこれからの小さな目標にしていこうと考えている。このブログはそのごく一端を記すためのメディアである。

動画講座

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 このところ睡眠の儀式として環境音楽のようなものを聴いていたのだが、思い立って大学講座を聴くようにしてみた。なるべく専門から遠いものがいいということで宇宙論や、進化論に関する講座を聴いている。

 各大学が公開講座の記録などをYouTubeに残しているので、これをキューに追加しておいて順番に視聴する。といっても正確には音声しか聴かず、画面は閉じてしまっている。これをイヤホンで聴きながら寝るのだ。講師の先生には悪いが寝るのには適している。単調なお話をする人は特に眠りにはつきやすい。突然場違いなCMが流れるのには閉口する。

 不真面目な受講者だが、いつの間にか身についてしまった知識もある。進化論では地球に降り注ぐ宇宙線の量が問題にされるようだ。放射線を含む有害な宇宙線を普段は磁気のバリアが防ぐが、さまざまな要因でこの障壁が破られたとき、生命の遺伝子に影響し、突然変異を起こしやすくするというのだ。この理論が正しいのかどうかは分からないが、寝ながら何度か聞いたのでそういう意見があるということは分かった。

 不謹慎な受講者は今日も寝るために聴講をすることにする。全くアカデミックではないが、酒を飲んで寝るより健康的ではある。

まぶしい季節

お天道様

 急速に秋は深まり、もはや冬も近い。近くの商店街はクリスマスのデコレーションを始めた。考えてみれば一月半くらいでその季節になる。これからはまぶしい季節になる。

 気温も低く、風も冷たいのだがこれからしばらくは毎朝晴れた日はまぶしい。日の出時刻が遅くなり、北よりに変わった太陽の道は、通勤の道の正面に当たる。強い朝日を正面にして進まなくてはならないのだ。

 乾燥したこれからの季節の中で、陽光は嬉しくもあり、厄介でもある。ただ、寒さに打ち勝つためのエネルギーを送ってくれていることに感謝しながら歩くことにする。

秋晴れ

 久しぶりに穏やかな秋晴れだ。仕事をしている平日は晴れても無関係だが、休みの日に晴れるとやはり嬉しい。

 朝、自宅の周りを散歩するといつの間にかすすきが生えている場所ができた。おそらく誰かが植えたのだろう。すすきもいまや園芸の対象だ。

無常

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 よく利用していた食堂が数か月前に閉店してしまった。今日また数か月ぶりにその近所に寄ってみたところ、更地になっていた。思ったより狭い土地だった。高級店というわけでもなく、料金が手ごろであったという理由でお世話になっていたが、なくなってみると妙に寂しいものである。

 街の風景が刻々と変わることはもう慣れているはずだった。私の住まいの近くでもかなり頻繁に工事があり、建物が建て替わるだけではなく、道路が建設されたり、なくなったりしている。地図が変わってしまったということだ。それが少しずつ変わっていくのでいつの間にか変わったという風に感じるのだが、これを早送りしてみることができたとしたら実にめまぐるしく変わっているのだろう。

『方丈記』の冒頭にあるようにすべてはよどみに浮かぶうたかたのようなものなのかもしれない。不動のものと信じていたものがあっさりと変わってしまうと感じるのは、私の目が地上すれすれについているからなのだろう。大きく俯瞰する考えができるようになれば、小異は気にならなくなるのかも知れない。むしろ変化しているからこそ、この世の中は継続できるのだろう。生物の身体のように。

 話が大きくなりすぎた。食堂はなくなったが、すぐ近くの別のチェーン店で同じようなメニューが始まったので、いまはそこに宗旨替えをした。こことてもいつまで続くかわからない。前の店ほどうまくはないが、それでもなくなっては困る。この街に来るときはここに通うことと決めている。

秋晴れ

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 久しぶりに良く晴れてさわやかな一日になりそうだ。このところ台風の影響で曇ったり急な雨が降ってばかりだったので、心を干したくなる。遠くから町の音が聞こえてくる。耳を澄ませている自分に気づくのである。

 明日からはまた忙しい毎日だ。今日はいつもと違う過ごし方をしてみたい。

暑さ続き

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もう何日か分からなくなってしまったが暑い日々が続いている。このような夏休みはかってあっただろうか、子どもの頃は真夏日が非常事態のようなあつかいだったように記憶している。

 こういう記憶というのは時間とともに誇張されていくものだからあてにはならないが少なくとも32℃はこの世の異変と感じていた。それが最近は普通になっている。

 猛暑の冬は大雪になるなどと言われるが果たして最近も通用する話なのだろうか。気象の常識は通用しないように思えてくる。

走ってみた

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 相変わらず猛暑が続くが、今日は意を決めてジョギングをしてみた。とっても近くの公園の周回コースを回っただけである。ここは近くに自動販売機もあるし、ほかのランナーもいるから安心だ。少し柔らかめの舗装にしてあるのもいい。

 暑いから走れないというものもあるが、それ以前に体重が増えすぎたのかもしれない。体が重かった。時々また走ってみようと思う。運動不足はいろいろな点でよろしくない。