このところ曇や雨の日が続いている。薄暗い昼間は陰鬱になると思いきや、意外と調子がよい。湿度が保たれているからだろう。乾燥した空気は続き過ぎると疲労感をもたらす。冬の雨もまたよし。
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季節の往還
散歩
近隣を散歩すると新たな発見がたくさんある。いつもは歩いていない道にあえて踏み込むとさまざまな気づきが生まれる。
私の住んでいる所は県境や市境が複雑に入り組んでいるので、少し歩けば他県に行ける。また、さらに歩けばほかの市にも行ける場所だ。県や市が変わったからといって何があるというわけではないが、それだけで何か一種の旅人になったような気になれる。
車で通りすぎると気づかないことがたくさんある。道の起伏に関しては車ではほとんど分からない。結構な坂道だったり、実は緩やかな下りであったりする。歩いてみて分かる。地形はその場に立ってみないと分からない。
神社や仏閣、それに小祠の類を見つけるのも散歩の楽しさの一つである。しかも、それに拝礼していく人を見つけると、日本人は無宗教だという指摘が当たらないことを確認できる。一神教的な尺度では宗教心は測れない。そしてそれらのパワースポットが残されているがゆえに保たれている小さな未開発地帯がある。自然ではなく、聖地として整え続けられてきた場所というのが正しいのだろう。
散歩の楽しみはいろいろある。どうしてこれを続けないのだろう。この面白さを覚えていられていられないのはなぜか。日常生活がすぐに塗りつぶしてしまう楽しみを時々思い出したい。
北千住

北千住は幼年期に過ごした町だ。ほとんど記憶の限界にある。信憑性は怪しいが、三輪の自動車が走り蕎麦屋が驚くほど積み上げた桶を自転車で配達していた。たびたびあった縁日での調子のいい口上に合わせて、風船売が衆目を集めていた。
家の目の前にあった大きなお屋敷が実は高名な作曲家のものであったこと。どういうわけかその中に上がり込んでお茶か何かをいただいたこと。その家の犬に噛まれたこと。隣の同級生がやけにいいやつだったこと。ありとあらゆる流行病にかかったこと。ローラースケートでころんで脱臼したこと。どこかの病院のドアに指を挟んで泣いたこと。床屋に入ろうとしたら大きな猫がいて入れなかったこと。近くの川が汚染されていて泡だらけだったことなど断片的に思い出す。このうちいくつかもしくは全部は後世誇張されているものかもしれない。記憶は怪しい。
北千住はいまは通過駅だ。今はどうなっているのだろう。私の過ごした時代のような未完成で清濁併せ呑むような街ではなさそうだ。北千住が理想の町と考える若者はいるはずだ。私も方向性は全く違うが暮らしたい町である。
予祝として
新年にあたって大ぶろしきを広げておこう。いろいろな人が言っている。言葉にすればそれが事実を引き寄せると。本当はどうなのか分からない。日本の民俗のなかには予祝儀礼というのがある。雪深い地方でまだ地面が真っ白い中で田植え祭りをし、収穫のまねごとをし、豊作になったと演技する。それによって稔の神が感化され、本当にその秋の収穫が約束されるというのだ。科学的にも呪術的にもどうも大ぶろしきは大切らしい。
いつも書いているが新しいことを始めたいと思っている。関心があることは教員の支援システムを作るための準備だ。教員不足の地域が増えてきたり、人材不足のための教員のスキルの低下がされてきている。若い世代の教員が自分の仕事に専念し、より高いスキルを獲得できるような仕組みを考えていかなくてはならない。それを学習していく初めの年にする。
コンピューターを使う年にしたい。何をいまさらといわれそうだが、はっきり言ってこれまでは使うのではなく使われてきた。よく訳も分からないうちに便利だというものに触れ、実はそれほど必要でもない情報に振りまわされてニュースや動画サイト、さらにはソーシャルメディアに接してきた。これからは自分にとって必要なものは何かを考え、受信だけではなく発信の手段にしていこうと考えている。このブログの位置づけは、今まで通り雑記的に思い付きを書いていくものだが、このほかにもいろいろな作品を作成し公開していく。
皆さんの考えかたにも触れていきたい。WordPressでリンクしていただいている方のブログは常に読ませていただいている。自分にはない考え方をしているブログやサイトは特に注目していく。今の関心は日本の文化がどのように捉えられ、世界的に理解されるようにしていけばよいかというころだ。自分でモノを作っている方、音楽や絵画の芸術活動をしている方、地域の美しさや問題点を写真や文章で紹介している方の発言には特に注目している。
仕事の効率化も課題だ。退勤制限時間より1時間以上前に帰ることを目標にしたい。この目標自体が情けないがまずはここからだ。その一時間で別のことを学ぶ。あるいは論文なりブログなりを書く。
ほかにもいろいろな風呂敷を広げたいが公開するのはここまでにする。後は手帳の裏に書いていこう。そして実現したら得意げにここに書き連ねることにする。皆さんは私が大噓つきではないかを見守っていただきたい。
2022年のおさらい(10月~12月)
10月1日に数多くの食料品が値上げした。原材料費の高騰に加え、歴史的な円安が影響していたのだ。20日には1ドルが150円台まで下がり、32年ぶりの円安ドル高となった。海外の旅行者にとってはバーゲンセールのようなものかもしれない。問題は日本人の賃金が一向に上がらないことだ。
24日、山際大志郎経済再生相が辞任した。実質上の更迭だった。世界平和統一家庭連合との関係を追及され、あいまいな答弁を続けたことが原因だった。なお岸田内閣はこの後、葉梨康弘法相、寺田稔総務相が11月に辞任し、辞任ドミノといわれた。押し詰まった12月27日には秋葉賢也復興相も辞表を提出し、ドミノは終わらないようだ。日本の政治家の質はこの程度なのだろうか。そして、代替するリーダーがいないのだろうか。
この月あたりから北朝鮮が何度もミサイル発射をしている。何が目的なのかよくわからないが、独裁政権が何をもたらすのかを考えさせる材料にはなる。
11月に入ると一気に寒さがつのり紅葉があちらこちらでみられた。
カタールで行われたFIFAワールドカップで日本代表がドイツに逆転勝利したのは大きな話題になった。圧倒的に攻め込まれながら少ないチャンスで得点をするという戦略だった。選手交代とシステム変更という森保監督の戦術も評価された。試合外では選手によるロッカーの掃除やサポーターによる客席の清掃が大きく取り上げられた。今回はその後、スペインにも勝ち、予選リーグを1位通過という快挙であり、決勝トーナメントもクロアチアにPK戦までもつれ込む大健闘だった。
そして12月。10日に世界平和統一家庭連合の被害者を救済するための法案が国会で可決した。安倍元首相の狙撃事件後、国葬を終えた後、閣僚やそのほかの政治家のこの団体への関与が相次いで指摘され、安倍氏を悼むという気分は吹き飛ばされてしまった。
今年の漢字は「戦」となった。ウクライナ戦争が終わらないまま一年が終わってしまいそうなのが残念でならない。
記録的な大雪が降ったところもある。その原因が耳慣れない気象用語で解説されるようになった。とにかく被害が出ないことを祈る。本格的な降雪の季節はこれからだ。
振り返ってみると今年もいろいろなこはとがあった。まずはマスクが取れる日々が早く来ることを祈る。そして戦争が終わることを切望する。もういい加減に世界のことを考えてほしい。
私はというと、いろいろなところでデクレッシェンドが感じられるが、決して進歩はやめない。最後まで悪あがきをしたいと考えている。その成果は時々ここにも書いておこうと考えている。
2022年のおさらい(7月~9月)
7月は大きな事件が相次いだ。2日に起きたKDDIの通信障害は過去最大規模といわれ、3915万回線が影響を受けたという。私にとってもメインの回線であるため大いに心配した。
こうした障害は規模の違いこそあれ、これ以前も以降も起きている。デュアルSIMを勧める人もいるが、できれば非常時は回線を譲り合えるような仕組みを作れないかと思う。なんにしても電波が飛ばなくては社会が止まるという現実は克服されなくてはならない。これからも起こることだ。
8日に起きた安倍晋三元首相の銃撃事件は衝撃だった。手製の銃で殺害するという日本の銃規制の裏をついたものだった。安倍氏は歴代最長の任期をつとめた。いろいろな批判もあり、とくにアベノミクスと自称した経済政策は結果的に失敗している。しかし、没落する日本経済に一種の麻酔をかけ、時間稼ぎをしたことには意味があった。また、すぐに変わる日本のトップという印象を変え、他国の首脳から一定の信頼を勝ち得たことも安倍氏の大きな功績だ。
この事件の犯人が世界平和統一家庭連合(元統一教会)の信者の家族であり、多額の献金により家庭崩壊の被害にあっていたことも大きく報じられた。かつてから問題視されていたカルト的宗教団体であったが、実際には政治家からの直接間接の支援を受けていたことがこの後明るみになっていく。
10日に投票が行われた参院選では自民党が大勝し、単独過半数を獲得した。この国の政治的な選択肢が事実上ないことをこの選挙は思い知らせる結果になった。
この月もとても暑く、あまりにも早く梅雨が明けたため蝉が鳴かない期間がしばらく続いた。いつもと違う静かな猛暑は気候変動の一つの側面を示すものであり、少々気味が悪かった。
8月は大谷翔平に注目していた。9日にはアメリカのメジャーリーグでは104年ぶりに二桁勝利、二桁本塁打を達成している。塁上では敵チームの選手と歓談する姿や、グラウンドに落ちているごみを片付ける行動が注目されていた。かれは日本人だからということではなく、野球の歴史において貴重な人材として記憶されることになるだろう。10月には前人未踏の規定投球回数と規定打席数の両方を満たした。
この月には有名なデザイナーが相次いで死去した。5日は三宅一生氏、11日には森英恵氏が亡くなっている。森英恵のビルが表参道に建ったときの思い出はブログに書いた。
この月、東京オリンピックやパラリンピックの大会組織委員長の高橋治之氏が企業からの不正な収賄の疑いで逮捕された、AOKIホールディングやKADOKAWA、さらには電通などに汚職の疑惑が広がってしまった。東京オリンピックの開催には賛否両論あったが、無観客という前代未聞の方法で成し遂げ国際的な評価を受けていたのに、裏方が犯した罪は夢を壊すのに十分な打撃を与えた。
9月には3歳児がバスに取り残され熱射病でなくなるという痛ましい事件があった。非常時には内側から鍵が開けられる仕組みなどが検討されている。ぜひ、実施してほしい。
九州新幹線、武雄温泉と長崎の間が開業した。本線とつながらない暫定的な路線だ。長崎をたずねたとき、現地の人から聞いた話ではあまり期待感はないということだったが、その後はどうなのだろう。新幹線が走ったことで在来線の沿線が寂れないかも心配だ。これは北陸新幹線が走ったときも同じことが起きたために連想してしまうのだ。
2022年のおさらい(4月~6月)
4月から成人年齢が引き下げられ18歳が成人となった。商取引の契約が18歳から可能になるため、詐欺被害などが増えることが懸念されてた。特に成人映画出演契約が理解されないまま行われるのではないかと懸念されていた。その後はどうなっているのだろう。
知床観光船沈没の事故が起きたのもこの月だった。多くの方が犠牲になった。運航会社の危機管理の甘さが問題になった。被害者の人間模様が報じられるたびに悲しい気持ちになり、経営者の杜撰さが報道されるたびに怒りが湧いた。こうした経営上の問題はほかの観光業者にも必ずあるはずだ。見直しは進んでいるのだろうか。
この月は教員にとっては年度の始めであり、いろいろなことが変わる。気持ちを入れ替えて仕事に臨むという月なのである。私も急速に進む教室のデジタル化に対して、いかに対処するかを悩んでいた。今も同じだが。
5月は沖縄の本土復帰50年ということで大きく報じられた。戦争という区切りからいろいろな物が遠ざかっていく。繰り返してはならない教訓もそれを直接知る世代が減ると説得力が失われてしまう危険性がある。沖縄が抱えていた苦難はこれからも伝えるべきである。そして現状でもある格差は見逃してはなるまい。
このころからマスクをつけずに街を歩く人を見かけるようになってきた。といってもごく少数である。政府が十分に距離が保てる場合はマスクの着用はしなくてもいいという見解をだしたことによる。これは以前から出ていたのだが、日本人は人と異なる行動をするときにはかなりの勇気がいる。一斉に変わらない限り、行動を改めることはできない。おまけにこの後再びコロナ感染が拡大し始めたこともありマスク姿は12月のいまでも標準スタイルだ。
6月は異常な暑さになった。非常に短い梅雨と異常な暑さだった。日本は四季ではなく二季になるのではないかと冗談ではなく思ったものである。
北海道日本ハムファイターズのチアガールの躍るきつねダンスが人気を集めていた。その歌はノルウェイのコメディアンのイルヴィスが過去にヒットさせた曲を使用した。後に本人たちが札幌ドームで歌うことになる。この成功によりファイターズガールと称するチアガールは人気を上げ、日本においてもチアガールという職業が注目されるきっかけとなったと言える。私は狐の鳴き声のオノマトペの方が気になっていた。
半年が過ぎただけなのに実にいろいろなことがあり、多くは解決できず先送りされている感じであった。私もこのころから疲労感との戦いになっていたが、何とか乗り切れ来たのは良くも悪くもいい加減さのおかげであったといえるだろう。
2022年のおさらい(1月~3月)
今年も残り少なくなった。この際、今年あったことを振り返ることにする。
1月は共通テストの会場で受験生を切りつけるという衝撃的な事件があった。東京大学会場というのも象徴的だったが、大学の試験の在り方が問題視される中で起きたことであった。一回きりの試験で人生の大半がきまるという制度はすでに時代にあっていない。また現実としても学歴だけが基準にはならなくなっている。それを教育関係者も企業の人々も考え直してほしい。私もそのころはこんなことを書いていた。
トンガ近くの海底火山の大噴火も大きな話題となった。津波も発生し、日本でも観測されている。幸い大きな被害はなかったようだが、東日本大震災を知る私たちには大いなる脅威であった。
2月は北京オリンピックでの日本勢の活躍が報じられた。過去最多の18個のメダルを受賞したという。なかでもカーリング女子のロコソラーレの再びの活躍や、最後の出場となった羽生結弦の無念の演技などが話題になった。私はオリンピックが相変わらず政治や商業に振り回されていることから、国家対抗という形式以外を模索するべきではないかなどと考えていた。
そして何よりも残念だったのが、ロシアのウクライナ侵攻が始まったことである。オリンピックを機に中止されるかという淡い期待は裏切られ、閉会式後には本格的な戦闘が始まってしまった。そして、今も継続しているというのは何とも残念だ。戦争は互いに疲弊するだけで、しかも怨恨を残すだけだ。権力者や一部の利権者の思惑に惑わされてはならない。
3月は下旬に電力需給が逼迫し、節電が呼びかけられた。東日本大震災のあった月だけに過去の計画停電が一瞬脳裏をよぎった人は多いだろう。この後も時折電力の不足がニュースになったことがある。原子力発電を再開できない現状では、エネルギー供給の問題が焦眉の急である。発電量を増やすことと、使う電力を減らすことの両方を実現しなくてはならない。
この月には韓国の大統領が尹錫悦氏になり日韓外交にようやく変化が期待される時代がくると期待された。文前大統領が反日を利用して政権を維持していたため、日韓関係は戦後最悪と言われる状況になり、安全保障上も問題になっていた。いわゆる日本製品不買運動も先進国とは思えない方法であったため、韓国の国際評価を下げてしまっていた。過去の歴史に関する論争は継続してよいと考えるが、そのために現在の政治経済を不安にする方策は両国ともとるべきではない。世界地図を広げれば誰でもわかるように日韓と台湾は自由主義を標榜する国家としては辺境にある。協力こそすべきであり、不要な争いはいけない。離間の計にはまっていはならない。
3月になればコロナの問題は終わるだろうと思っていたが、そうはいかなかった。


