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トルコ大地震

 トルコ、シリア両国の地震による死者が5千人を超えるとの報道がある。人道的支援を急ぐべきであり、また現地の情報を来るべき日本の災害でも生かせるようにすべきだろう。

 トルコは断層が多く、地震が発生しやすい条件がそろっているという。その点は日本に似ている。また、日本の様に免震構造を取る建築物が少なく、被災すると大きな被害が出やすいという。この辺りは日本の技術を伝える必要がある。表現は気を付けるべきだが商機にもなるだろう。

 トルコの対日感情は極めて良いという。それは1890年のエルトゥールル号事件が影響していると言われている。紀伊大島の樫野埼で座礁した同船の乗組員を大島村の村民が総出で救出活動にあたり、69名が救出された。死者行方不明者が587名の大惨事であった。生存者は日本の軍艦でイスタンブールまで送り届けられたという。日本の救出活動の様子はトルコに伝えられ、その印象が日本や日本人への好感度につながっているという。

 地震国としても共通する国は今後も大切にしたい。災害時は互いの知恵を出し合い、困難を乗り越えるべきであろう。

祭りの復活

 コロナで中止していた各地の祭礼が復活しつつある。マスクの規制がなくなれば一気に増えるはずだ。

 祭りには地域の人々の心をまとめる力がある。それが多少浪費をしても続いてきた理由にほかなるまい。祭りのために日常の利害関係を超えて地域がまとまる。祭りの催行が皆の目標になるのである。

 人々のつながりはメディアを通さずに直接触れ合うことが基本になければならない。この部分が抜けて、ソーシャルメディアの方ばかりを重視するから、人間関係がおかしくなるのだろう。もちろん、地縁にもさまざまな問題はある。それ以上に益となるものが多いと思う。

 幼いころ、下町の祭礼は楽しみであった。なぜ、こんなに大人たちが熱狂するのかは分からなかったが、その日ばかりは待ちゆく人が優しくなるような気がした。祭りの復活は共同体の維持のためには欠かせない。ようやくそれが再開することをうれしく思うばかりだ。

戦車連合

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 ウクライナの戦争が終わらないのはどうしてだろう。ロシアの侵攻が 始まったとき、その不当性は抜きにして早晩侵略は成功してしまうのかと思っていた。しかし、来月で1年になろうとしているのにいまだ解決の糸口が見えない。ロシア側はより強い兵力を向けると言い、ウクライナは欧米諸国から武器の供与を受けている。形を変えた世界代理対戦の様相だ。特に最近の報道では戦車の供与が話題になっている。その中にはかつて第2次世界大戦の同盟国ドイツの製造した戦車も含まれるという。

 日本は地理的文化的に少し離れているのでこの戦争に関してはいまのところ距離を置くことができている。しかし、グローバル社会においてはこの戦争がもたらす経済的な問題がすでに市場におよび、ロシアやそれに近い中国の隣国である我が国はいつまでもオブザーバーではいられなくなっている。

 軍事的な側面に関しての関与は絶対に避けるべきだろう。この際、日本の科学力を示すべきだという考えを持つ人もいるようだが百害しかない。軍事的協力は東アジアの平和のためには危険性しか生まない。戦地の情報は研究に値するが直接関与することは頑強に避けるべきと信じる。

 民間支援は今できることだ。使い捨てカイロの提供は話題になったが、被災地での緊急物資のアイデアは戦地でも活用できるはずだ。政府が行ったソーラー・ランタンの提供のための支援はその一策としては評価したい。

 短期的には達成できないが、長年切望しているのが平和に関する専門家を養成する高等専門機関の設立である。なぜ戦争が起きるのか、起きた場合はそれをどのように解決すればいいのかを学問的、実践的に行う専門家を養成する大学なり大学院を日本に作るべきである。個人の研究室としてはすでにいくつかあるが、国際舞台に人材を送り出す段階にはないようだ。「けんか」のおさめ方の専門家を養成することこそ今の日本の立ち位置にふさわしいのではないだろうか。戦車連合に加わる方法以外の日本のやり方を示すべきだ。

失われた感触

 時代が変わるとなくなるものがある。現代社会は進歩が速いためにそれを人生の中で感じることができる。私でさえそれをいくつも感じることがある。

 視覚的なものは大きく変わり続けている。街の風景は刻々と変わり、少し前のことを思い出せない。もっと前のことを考えてみる。いまは住宅地として有名な場所もかつては雑木林の連続であった。薄暗さのなかに踏み込みにくい雰囲気があった。うっかり足を入れると不可思議な動物に襲われるかもしれないなどと、子どものころは真剣に考えたものである。

 耳で聞く感覚にもなくなったものは多い。駅の改札で聞こえていた改札の際の鋏の音はある世代以下の人は知らない。原宿駅の改札にも駅員たちが並んで鋏を入れていたことは記憶の隅にある。客がいなくても空うちをしていたので、常に鋏の音が響いていた。その後、紙の切符を機会に入れる方式となり、今は非接触型のカードやスマホ、スマートウォッチをかざすだけなので音は出ない。確認の電子音がわずかに響くだけだ。非接触を信じられない人がカードを読み取り機に当てる音が耳を驚かすことはあるが。

 嗅覚も変わった。かつては下水道の普及が足りないところがあり、どんな町にもどぶ川があって悪臭を放っていた。今はめったにない。これはいいことだが、使ったものは適切に処理しなくてはならないと思う気持ちが人任せになっている。ものを大切にしない気持ちがどぶ川よりも社会悪を発生させる可能性がある。

 触感もなくなったものがたくさんある。ダイヤル電話を回すときの指先の緊張感を私は覚えている。回すときは思い切ってやらなくてはならない。躊躇してしまうとうまくストロークが計れないらしく間違い電話になってしまっていた。

 味覚は常に変わり続けているから、逆に変化には気づけない。昔のお菓子はもっと甘かったし、何か体に悪そうな合成的な味がした。そういうものは今は少ない。おそらく、子どもの自分に今のお菓子を食べさせたらおいしさに感動するに違いない。その代わりに砂糖の代用甘味料などが入っているので、人体に将来どのような影響が出るのか分からないともいう。昔と今とどちらがいいのか分からない。

 失われてしまった感覚はいくらでもある。時々それを思い出すことで、いまの生活を客観できるかもしれない。

未来の音楽

 YMOのドラマーだった高橋幸宏氏が亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。ライディーンをはじめとするYMOの楽曲は未来を感じさせる音楽だった。今聞いても全く古くない。テクノポップの先駆者であり、天才であったと思う。

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 シンセサイザーが生まれて音楽はかなり変わった。さらに打ち込みといわれているコンピュータ制御が音楽に導入されるとそれまでにはなかったメロディやリズムが生まれ、最初のうちは理解不能だった。何がいいのかよく分からないまま、いつの間にかとりこになってしまうと言った感じだった。リアルタイムでは意識していなかったのだが、高橋幸宏のドラムは打ち込みではなく生の演奏であったということに改めて驚いている。細かなリズムを刻みながらグルーブもあるという独特の演奏であった。

 YMOは私の若いころに活躍し、有名になった後はバラエティ番組などにも出演して笑いを取っていたので、実はあまり評価していなかった。坂本龍一氏がソロで活躍し始めたころ、ようやくYMOの演奏技術の高さに気づいたというのが私の経験である。私にとっては出会ったのが少し早すぎた。

 おそらくYMOの影響を受けたミュージシャンは多いだろう。そして実はローテクノロジーだった時代に、すでに今のようなテクノ音楽を実現していたことに驚いているはずだ。日本のポピュラー音楽も世界に打って出るべきだとは常々思っているが、YMOのような独自性を主張するバンドの出現が期待される。

公園の役割

 子どもの声がうるさいからというクレームで公園が廃止されたというニュースがあった。その後の報道をたどるとどうもこれは極端な伝え方であったようで、クレーマーと言われた人の言い分も理解できない所はないし、行政の在り方にも問題があったようだ。そもそも、公園としての使用期限がもともと決まっていたらしい。

 公園が単なる共有地としてあるのなら、それをどのように使用するのかということについて考え直さなくてはならない。子どもの遊び場という意味以上のさまざまな役割がある。国土交通省都市局公園緑地景観課によると、良好な都市環境の保全ため、災害時の避難場所、延焼防止、などの災害対策、市民の活動、憩いの場、賑わい創出や観光拠点として地域活性化の役割などを挙げている。公園といっても数坪の狭いものから広大な敷地があるもの、なにもない場所から歴史的な遺跡等を有するものまでいろいろあるので一概には言えない。公共の場所ということだけが共通する。

 都市の中の公園に限れば、交流もしくは相互扶助という側面を今後活用してくべきだろう。少子高齢化社会のなかで従来の社会システムが機能しなくなりつつある。それを補うのは地縁による助け合いということなる。その拠点の一つが公園だろう。以前公民館のことを考えたことがあったが、それよりも簡単にできるのが公園の利用だ。屋外や簡易テントなどでできる交流のきっかけを地域行政は提供し、それを行う団体を支援するべきではないだろうか。

 公園が魅力的な場所になるならば、冒頭で触れたような厄介な空間という扱いではなくなる。

賞味期限間近

 近隣の書店の一角に食料などを売るコーナーができた。賞味期限が近い商品を売ることで、食品ロスを減らす活動だという。見ると、お菓子やお茶、インスタント食品などが並んでいる。賞味期限を確かめると1~3か月後というものがあったが多くは6か月くらいはあるものだった。それらが数割引きで売られている。

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 賞味期限ということにこだわる人は一日でも過ぎたら食べられないように考える。私のような大雑把な人は数か月過ぎても大丈夫だと思って現に食べてしまう。それで食中毒になったことは一度もない。

 そもそも賞味期限とは何か。農林水産省のサイトには「袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「品質が変わらずにおいしく食べられる期限」のこと。」と説明されている。同じページには消費期限という分類もあり、「袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「安全に食べられる期限」のこと。」とあり、こちらの方は安全性が言及されている。つまり賞味期限はメーカーが味に対して責任を取る起源であり、食べられるか否かの基準ではないことになる。しかし、味の保証をしないものをメーカーや小売店が扱うことはできないため、消費期限は通常は表記されず、賞味期限が近付けば店頭から取り除かれる。

 中には賞味期限切れをセールスポイントとして商品を売る店舗もある。格安の値段で売られる商品はフードロスを大義名分とし、メーカーからは在庫処分の方法として、消費者からは割り切って安価で求めることができる手段として商売が成り立っているそうである。ネットで同じようなことをするサイトもある。

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 こうした試みはいろいろなことを変えていく突破口になりそうだ。もったいない文化を世界に発信しながら、食品廃棄率の高い矛盾を解消するためにもこうした方法に注目していきたい。使えるものは使うことは日本人の伝統的な思考方法に通底するから普及するのは容易なはずだ。

毛筆体験

 冬休みの宿題に書初めの提出という課題が出される小学校もあると聞く。ご家庭としてはいい迷惑だろう。新年早々に子供が墨で家や服を汚す。明らかに下手な字を書く子供にがっかりする。あまりにもいい加減な方法で書いてそのまま出そうとするのにも、まじめな親ならば何か言いたくなるはずだ。習字なんて時代遅れのものをなぜやる必要があるんだ。そう思う人も多いはずだ。宿題として容認できるか否かは考えないことにして、私はそれでも毛筆体験は必要だと思う。

 筆で字を書くためにはいろいろな準備がいる。普段使っている筆記用具とは異なり、持ち方も扱いも特殊だ。だからいつもとは違う脳の使い方をする。これだけでも意味がある。普段しないことをすることは大事だと脳学者の大半は異口同音に述べている。

 さらに書こうと思っても思い通りにかけない。よく分からないが墨の濃度や筆先や半紙の材質などにより、結果は異なる。変数があまりにも多いので書いてみないと分からないという偶然性が高い。それも大切な要素だ。規格製品を使うことに慣れている私たちには、世界で一つだけという実感を覚えることが減っている。お手本をまねして書いても、自分の作品はそこにしかない。そしてそれが貴重だ。字がうまいとか下手とか言う前に、自分が書いた唯一無二の文字があるということに意味がある。

 どれか一枚を選ぶというとき、その基準は何か。自分で一番うまくいったと思う作品をどのように選ぶのかも興味深い。文字とはどのようなものなのかはその人なりの理想に従っている。だから何を選ぶかは自分を考えることに近い。

 いろいろな意味で毛筆体験は大切だと思う。子供の宿題ではなく、すべての人がやるべきだ。どんな字でもいい。自分にとっての理想が文字化されて、しかも理想の字形になったとすれば、本当の意味がある。

 かくいう私は筆ペンでくらいしか書く機会はない。本当は心を落ち着け墨をすり、そのほのかな香りを感じたい。今は無理だが、いずれそういう生活ができる環境を設けたいとも考える。筆ペンでもいまは毛筆に近いものもある。とりあえずはそこからだ。

正月営業

 近隣の店舗のほとんどか営業している。正月は休むのが本当ではないだろうか。おせち料理などは休業期間の保存食としての役割があったように思う。いまはそんな緊張感がない。助かるがこれでいいのかとも思ってしまう。感謝には堪えないが、何か違うのではと考えてしまうのだ。

循環型社会

 いわゆる鎖国状態であった江戸時代は資源が限られていたために循環型の社会になっていたという。あらゆるものが再利用され、それが何度も繰り返されていたらしい。大量生産大量廃棄を前提とする現代の価値観とは対極にあるものだったことになる。再考する価値がある。

 SDGsは現代の循環社会志向の考えだが、江戸時代の循環型社会とは根本的な違いがある。そもそもSDGsは持続可能な「開発目標」であり、開発という視点を強調する。持続することを目標に停滞するのではなく、あくまで開発が目標だ。そのためには環境保護をうたいながらもより豊か便利な社会を求める目標が設定されている。海をきれいにするために、プラスチックを使うのはやめようとは言わない。ごみを分別しよう、エコバッグを使おうというが、よく考えれば実効性はさほどない。EV(電気自動車)に変えようというが、発電エネルギーには化石燃料を使う。環境を守るためにいっそのこと流通システムを止めようとは言わない。

 江戸時代の循環型社会が成り立っていたことにはいくつかの条件がある。まず資源自体が限られていたという現実である。国土にあるもので何とかしなくてはならない。列島国家の性質上、他国から資源を輸入したり、暴力的に強奪したりする可能性が少ない。とにかくやるしかないという状況があったのだ。他国に侵略する悪知恵と技術は近代国家になって欧米から学んだものだった。

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 島国、さらに山岳や河川によって分断されやすい地勢や災害の多さも循環社会を成立させてきた。国土の大半が森林であり、台風や雪害の危険性があり、加えて地震も多い状況にあっては、生活を維持するための最低限の工夫が常に意識されてきたのだと言える。

 固定的な社会、つまり封建社会のシステムも持続型社会を支えていたという事実を忘れてはならない。社会的な変動が極めて少ない社会では持続型な社会システムは維持しやすい。人々の自由が社会的に制限され、その前提で生きているからこそ、循環社会が当然のように受け入れられてきたのだ。これはあまり強調されないが大切な事実である。逆に言うと江戸時代風の循環型社会を目指せば経済的な成長は期待できない。成長しないことで現状維持を果たしていたということも言えるかもしれない。だから、江戸時代に学べ、江戸に戻れという短絡は危険だ。近代的自我を確立してしまった私たちにはあまりにも窮屈で、それだけで窒息してしまいそうな社会であったことを忘れてはなるまい。

 これからの持続的社会はどのようにあるべきだろうか。SDGsの理想はそれはそれでいい。どう実現するかだ。またこの目標の裏側にある利権獲得の動きを暴き、流されないことが大切だと思う。循環を支えるシステムへの支援を考えなくてはならない。リユースにかかるコストは実は安くない。中古品は安価だという思い込みがあるが、そうでもないらしい。再利用品を積極的に使うということが消費者の立場でできることだろう。

 これには価値観の転換が必要だ。古いものを積極的に利用し、修理、修繕、改良の技術を個人のレベルで高めることが必要になってくる。壊れたものを直せる可能性が高まれば捨てられる可能性は減る。また企業も完成品を売ることばかりではなく、部品、修理用のパーツなども売る方法を展開するとよい。初めはコストがかかるかもしれないが、結果的には会社としての持続可能性を高めるだろう。

 いわゆる商品のサブスクリプション、リースなども発展させていくべきだろう。安物を個人で買いそろえてすぐに捨てる時代から、ある程度の品質と耐久性をもった商品を共有する方法への転換は持続可能社会の流通モデルとなりそうだ。

 このほかにもいろいろな方法がある。それをまずは自分で実践することで実験してみよう。などと考えている。