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ハンコ

 行政のデジタル化のシンボルとして、ハンコ文化の廃止とデジタル署名促進とがある。稟議書に並ぶ肩書ごとの押印の列は日本経済界の悪癖として捉えられることが多い。

 もっとも押印の文化は古代から継続するものであり、近代社会にのみ責任があるわけではない。印鑑の持つ権威を共有する人々にとっては便利なアイテムであることは確かだ。また、複数の関係者に文書を共有し、納得させるという工夫として機能してきた。言質をとるよりずっと強制力のある同意確認として。

 デジタル化することは私も基本的に賛成だ。文書を回す時間のロスは蓄積すれば相当な長さになる。ただこれは効率だけの話で終わらない。LINEが普及した一因としてスタンプ機能があった。自らの感情を既定の型で表現することが習い性となっている日本人の根元にふれる意識改革が必要なのかもしれない。

敬老の日

 今日は敬老の日である。日本のみならずどの国でも年配者に対する敬意を示す気持ちはあるはずだ。日本の場合は高度高齢社会であり、かつて老人に分類されていた人でも今は立派な現役であることから、この言葉の意味もずいぶん変わったものになっている。

 源氏物語では光源氏は40歳を迎えたことから人生が暗転し、波乱にとんだ展開になる。かつては40歳は人生の転機であり老齢の始まりと認識されていたようだ。織田信長は幸若舞「敦盛」で人間50年と謡い、人生のスパンをそのくらいに見ていた。古希は70歳であるが、現在は日本人の平均寿命が女性で87.45歳、男も81・41歳(2019年)であり、100歳まで生きる人も稀ではない。

 老人を引退した世代と考えるのはどうも違うようだ。少なくともこの国においてはそんなに早く老け込むことはできない。健康年齢が終わるまでは労働人口に属する必要があるようだ。そのための生き方をしなくてはならない。

警報はご遠慮なく

 台風10号に関する警報が行き過ぎだったのではないかという話があるようだ。確かに80メートルの風は吹かなかった。

 しかし、現在の予報技術には限界があり、規模も進路も来てみないと分からない。最悪の事態を予測して警告するのは責任者の当然の行動だ。

 問題なのは警報慣れしてしまうことだ。我が国はさまざまな天災を受けるリスクを抱えているが、人々はかなり冷静に生活している。それは素晴らしいことだ。ただ、常にいろいろな可能性を考えておくことは、自らの宿命に勝つために不可欠だ。

台風の余波

 台風10号は九州の西の海上を北に進み、今日にも朝鮮半島に上陸する。台風は上陸するかいなかではなく、暴風域に入ることで危険性が増す。九州でも多数の怪我人が出ている。また広域で停電が発生しているらしい。

 東京は台風から離れているがこの規模になると遠隔地にも影響が及ぶ。今朝も急に激しい雨が降ってきた。この傾向はしばらく続きそうだ。気温も上がるので不快指数も上がることになるだろう。

 日本は数々の天災がある国土だが、台風や豪雨による被害は統計的にはもっとも大きなものに違いない。それなりの備えと覚悟はあるが、なれてしまってはいけない。この事実が国民性の形成の大きな要因であると改めて考えている。

転機

 安倍晋三首相が健康上の理由で辞任を表明した。流動性が高かった日本の指導者の中で長期にわたって政権を担当していただいたことに感謝したい。

 安倍内閣の功績の一つにアベノミクスと自称した金融緩和策がある。人工的になだらかなインフレーションを起こし、国民の生産性を上げるという政策だった。残念ながら結果は出ず、消費税だけが上がってしまったのは失策だった。

 だが、よきにつけ悪しきにつけ、実態以上の生活水準を送っていられているような錯覚を与えてくれたことは功績なのではないか。もし、この政策がなければ国勢の衰退をもっと多くの人が感じて混乱が起きていたかもしれないからだ。

 次の指導者がどのような方針に転じるのか分からないが、国際的競争力が急速に減退している我が国の現実を踏まえた発言をしてくれる人を切望する。いまの生活水準を今後も保つこと自体が困難な局面にあること、ただ国民の意識の変革や、行動を変えることで復活のチャンスはあること、そのためのバックアップを政策とすることなどを力強く語ってもらいたい。

 力のあるリーダーの損失はマイナスが大きい。しかし、ここまでの閉塞感を打開する絶好の機会でもある。

自虐と自尊

 日本人は自分について語るのが好きだ。その特殊性、異質性に触れる言説は特に反応してしまう。これは定期的な日本人論ブームという形で現れている。

 特殊性がプラス方面にふれるときには、その優秀性や道徳心の強さなどが強調される。動画サイトをみると日本人はこんなに優れているとか、海外で絶賛されているといった情報を並べるものがいくらでもある。そしてその多くが根拠が薄く、印象批評の域を出ない。

 ネガティブな内容の記事も好んで読まれる。こんなところがおかしい。間違っているというネットニュース記事のコメントをみると、反論とともに同意の意見のリアクションが多数集まる。ネガティブかポジティブかは無関係で日本人という括りで話題がなされること自体が好きなのだ。

 自分のことを気にする風土はこの国の歴史と関係があるという。他者からどう見られているのかが行動の規範となることは随所で見られることだ。これが悪い訳ではないが、ややもすれば本質を見失う原因になるかもしれない。他者からの視点ではなく自らの判断でことを運ばなくてはならないのだ。

 かくいう私も私はというべきところを我々はしばしば言ってしまう。日本人の平均像を勝手に作り出し、勝手に理想化する。それを他国からどうみられているのかという基準で一元化してしまう。この考え方はかなり根強いものだ。多様化する日本のあり方に考え方わシフトして、より自主的な言動を選ぶことをしなければならないのではないだろうか。

 

地産地消

 現在ほど地域経済の力が試されている時代はない。コロナウイルスや地勢的要因のためにグローバル経済に制限があると、それに依存している人や企業は大きな痛手を受けることが実態化しているからだ。

 この事態を改善するには地域経済のサイクルを見直すことが欠かせない。お金を地域で回すことにもっと関心を持たなくてはならない。それによって今回のような事態に対処できる下支えができるのだ。

 もちろんそれだけでは閉塞してしまう。また、革新的な商品なり商業スタイルも生まれにくい。すべてを内需にするのは非現実的だ。ただ一定のシェアを地域経済に置くことの意味を考えさせられている局面にあることは自覚しなくてはならないのではないか。

何もしない店員

 先日、レジの前で不満を述べている年配の方がいらっしゃった。この店は何もしてくれないのか。嘆きと怒りの混ざった感情でつぶやいたことばは近くの人に確実に聞こえていた。

 日本最大手のコンビニエンスストアチェーンのセブンイレブンジャパンは、店舗のレジの無人化を進めていいる。品物をレジに持っていくと、商品のバーコード読み取りはやってくれるが、支払い方法の選択から入金、生産などは客側が操作するように機械が客側を向いている。レジ袋を断ると商品の袋詰までも客がやらねばならず、年配男性の怒りと嘆きとが生じるという訳である。

 ウイルス感染予防の対策という大義名分もあって、この流れは今後拡大するであろう。店員がやる仕事が減るのは合理的なのかもしれない。ただ失うものも多いはずだ。各店舗が個性を出さなければ完全に等閑視されることになる。いつ生まれ消えても何の印象にも残らない商店はおそらく長続きはしないだろう。

 時代の流れの中でも失ってはならない要素がある。もてなす面倒な作業を止めたとき、深刻な後悔が始まるのではないだろうか。

明けない梅雨はない

 まだ梅雨空が続いている。先日は強い日差しが降り注いだが、夕刻には梅雨空に逆戻りした。どうも今年の梅雨は長引くらしい。

 止まない雨はないという格言がある。ならば明けない梅雨はないと応用できるはずだ。ところが過去の記録を調べると気象庁がいわゆる梅雨明け宣言を出さなかった夏がある。記録的な冷夏で大混乱した。直近では2017年がそうであった。そして農業に打撃を与えた2003年の例がある。明けないこともある。

 暑さに多くの人が適応できていない現状では、猛暑まで時間稼ぎをしていることを良しとする考え方もできる。ただ、何事も例年通りでないのは不安である。

東京はどこまで

 コロナウイルスの蔓延で産業社会が衰退する中で、政府は観光支援策を打ち出し今日から実効されている。ただし感染者数が高止まりしている東京都は除外するという。これは理想的には東京から出ることも入ることも自粛すべきだがそんなことができると考えている日本人はほとんどいない。実におかしな政策である。

 日本人でなくてもグーグルマップか何かで東京を検索してみれば一瞬で分かることだが、東京は関東地方の一部分であり、その境目にはほとんど自然の障壁はない。多摩川や江戸川を境界とする地域もあるが、日本の河川はどれも小さく多くの橋が架かり、鉄道や車両が常に行きかっている。私の住んでいる地域は川さえない。道路歩いているといつのまにか他県に入っている。

 私は都民であるが職場は他県にある。職場に行くまでには都と県を複数回またぐ、そんなことも意識していないのが都民の実情なのだ。都県をまたぐ移動をしてはならないという自治体からの要請もあったが、実際は不可能だ。努力目標としてもあまりにも非現実的すぎる。

 今回の観光業支援策にはそれなりの理由は察せられる。地方経済はコロナ騒ぎ以前に深刻な状況にあった。自粛要請はそれに追い打ちをかけ、すでにとどめを刺された企業もある。それを救済するという試み自体は間違っていない。ただし、一方では感染予防を訴えながら、他方では感染の要因となる移動を推奨することは明らかに矛盾している。もっとほかの方法はなかったのだろうか。

 県内観光もしくは圏内観光の推奨の方がまだましであったかもしれない。自県の観光資源を見直す運動を打ち立て、格安の価格で観光資源を提供すれば地域でお金を回すことになり経済学的の理にかなう。日本はどの県も観光資源を有している。ただ意外と自分の家の近くの観光地には行ったことがないという人は多い。この体験をする機会になればいい。場合によってはリピーターとなるし、そうでなくても観光宣伝の口コミをしてもらうきっかけになる。

 政府の観光支援策がウイルスの拡散につながったという結末にならないことを祈る。そうなれば狙いは全く逆効果になり、地域産業に本当にとどめを刺してしまうのだから。

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