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乗り越えさせない話

 SFのネタを考えている。いわゆるシンギュラリティが間もなくやってくるというときに、なぜか人類にも突然の進化がもたらされる。AIと同等の事はできないが、人間がやったことかAIの出力かをほとんど間違いなく言い当てられる能力を持った世代が登場したのだ。フェイクには決して振り回されない。

 彼らは世の中にあふれている非人間創作を見破る。フェイクニュース映像を笑い飛ばし、その作り方まで間違いなく解説できる。そんなことだから、AIに操られるということがないのだ。それが少数の天才だけではないほとんどの新世代が同じ能力を持ったのだ。

 この話のオチはだいたい分かってしまうはずだ。AIの作る偽りをほぼ言い当てる彼らが見事に騙されるときがくる。その能力で仕事をしないかと持ちかけたコンピューターなどほとんどできない詐欺師たちによってだ。

 これだけではつまらないので何かの間にエピソードを付け加えよう。波瀾がなければなるまい。こういうどうでもいいことを考えているときが一番おもしろい。

翻訳の営み

 日本近代文学館で開催中の翻訳に関する展示を観てきた。翻訳は文学のみならず異文化摂取の具体的な営為として大変興味深い。

 古代以来、日本は海外の文献を翻訳してきた。漢文の訓読はその中で培われた手法であり、結果的に日本語自体を変える大きな影響をもたらした。ただ私たちが翻訳というときに想起するのは、近代以降の特に欧米から伝わった書籍の日本語訳のことだ。漢字を介さないこと、基礎となる文化の差が大きいことなど、漢文とは遥かに異なる障碍を乗り越える必要があった。

 例えばベルヌの「八十日間世界一周」は漢文訓読のような訳文がつけられていた。係結びもある古文体だ。まずまだ日本語が発展途上で翻訳の方法も決まりがない中で訳をつけるのはまさに冒険のようなものであったろう。

 様々な先駆者が海外の文書を和訳し、その精神性までも伝えられるようになって、海外文化を取り入れられるようになっていく。そんな過程を伺うことができた。

交友

 調布市にある武者小路実篤記念館に行ってきました。住宅街の中に建つ小さな展示室は文学とは何かを考える素晴らしい空間でした。

 武者小路実篤といえは白樺派の穏やかな作風の小説家であることと、晩年に描いた野菜などの静物画とそこに付された人間味溢れる一言が有名です。この記念館を訪ねて知ったことは、彼が多くの人に支えられ、また支援していた人も多かったということです。残された書簡には友人からの助言や、編集者との交流など交友の中から作品が生まれていたことが伺えるものが多数ありました。

 文学作品が一人の卓越した能力によってのみ生み出されるのではなく、周囲の人たちとの相互作用によって醸成されるものであることが実感できる気がしました。

 実篤の生きた時代は価値観が激変していく難しいものであっただけに、かえって周囲の人々の支えが必要であったのかもしれません。

立志の作家

 田山花袋というと暴露型の文学のシンボルのように考えられがちです。私も深く研究した訳ではありません。ただ、間違いなく言えるのは花袋はかなり意図的にこの作品を上梓し、人生自体を小説化しようとしていたということです。

 花袋は上京後に知り合った柳田国男や国木田独歩のような人々に影響を受け、欧州の自然主義文学の作品化を考えるようになったらしい。故郷を離れて文士として身を立てるために必死であったようです。その中でたどりついたのが『蒲団』の世界だったのでしょう。人には言えない心の弱点を暴露することはそれまでの日本文学が題材とし得なかったものであり、開拓者としてのリスクもあったはずです。変人扱いで終わってしまう可能性もあり得ました。

 花袋を評価してくれたのはまずは上京後交友関係にあった仲間たちであり、さらにその影響下にあった人々だったのです。結果として日本の自然主義文学の方向性を決める作品という評価を得ることができました。自己の人生を世に晒すことになっても文士として生きていきたいという野望がこの作品にはあったことになります。

 高校生の頃に読んで何がいいのかさっぱり分からなかった小説ですが、もう一度読み直したくなっています。