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雨の前の景色

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 遠くの山の景色がくっきりと見えるときは雨の前兆だ。北陸で暮らしていたころの経験である。科学的に証明できるかどうか分からないが、大荒れになる前の山の風景は鮮明で大きく見える。経験的な事実だ。とても美しくもある。おそらく、実測すればほとんど微差なのだろうが、実感的にはかなり大きく見えた。

 東京に帰ってからこのことを感じることはない。山を見ていないからだ。でもおそらく同じ現象はあるはずで、嵐の前には遠景が鮮明に見えるはずだ。ビルにさえぎられて切り取られた風景ばかりを見ているとこういう経験が味わえない。

 今日は久しぶりに雨が降った。未明の霧雨といった感じだが、湿度は久しぶりにあがった。おそらく昨日の風景はいつもとは違ったはずだ。できれば遠い風景を見る余裕は欲しい。

季節の往還

 これからしばらくは気温が上がるらしい。4月並みという予想も出ている。季節が変わるときには、行きつ戻りつの時期がある。その波のひとつなのだろう。

 心配なのは花粉の飛散だ。最近は対策薬でかなり症状は抑えられるのだが、いつ始めればよいのかは毎年悩む。今年もその時期になったということである。

冷え込み

 今朝は氷点下の冷え込みになっている。大分身体が慣れてきたようで数値ほど寒さは感じない。ただ、やはり冷気は肌を刺し、ときに大きな震えをもたらす。コートの綻びをものを大事にしているしるしと考えて、むしろ人に見せるようにしている。劣化ではない爛熟なのだ。いくつもの寒い時代を超えてきた誇りなのだと。

欧州は暖冬

 東京は乾燥して寒い日が続いている。北海道や日本海側の一部では例年以上の積雪があり、死傷者まで出ているという。

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 その一方で欧州各地は記録的な暖冬で雪が降らずに困惑する地域もあるらしい。ウクライナ情勢からエネルギー供給に不安がある状況においては暖冬を幸運と見る向きもある。ただこれが人為的要因による気候変動の現象なのではないかと考える人も多く、大いなる脅威とされている。

 西洋の思想の根源には自然は人間が制御しうるものという考え方がある。その手段として科学があり、それに基づいた技術が制御を実現するのだ。そういう背景のある人々にとって制御不可能な気候変動の現実はあってはならないことで、さらに高次の技術が必要だと考える。最近はその傾向が顕著になっている。

 雪がなければ冬の観光やスポーツ関連の産業が打撃を受ける。それだけではなく、水資源の変化は農業や畜産業に影響し、内水面漁業のみならず、海洋にも何らかの関係を及ぼす。短期的な変動ならば振り子のように揺り戻しがあるはずで、バランスが取れると期待できるが、もし振り切って止まった状態ならば、と考えてしまうのだ。

 昨年末はアメリカで大寒波の報道があり、日本でも大雪の被害が断続的に続いている。これらが一連のものなのか。いわゆる気候変動と関係があるのかについては短絡はできない。ただ、ここ数年異常気象が国内外で報告され続けていることには注意が必要だと言える。

沈黙のセンター

 クリスマスの思い出の一つはおそらく人生の記憶の端にあるものである。ミッション系幼稚園に通っていた私は訳も分からず毎日アーメンと唱えていた。日本人のキリスト教徒率は1パーセント程度といわれているが、多神教の素地を持つ我が国においてキリストの神様も八百万の神の一つとして信じているのだから、信じていないわけではない。聖書のエピソードなども意外と知っている人が多い。

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 幼稚園でのキリスト教体験の中でも印象的だったのがクリスマス近くに行った「おゆうぎ」だろう。キリストの誕生を演じるものだ。主役といえるは聖母マリアである。今から考えると一番かわいらしい女の子がその役になっていたのだろう。全く思い出せないが。そして、誕生を予言する博士や、羊飼いたち、そしてマリアの夫であるヨセフなどがキャストである。私はそのヨセフの役であった。

 聖書のなかでヨセフは聖職者の指示に従い、精霊を宿したマリアを罰することなく自分の妻として迎え、生まれたイエスを自分の子として育てた。誕生後すぐに権力者からの弾圧から逃れるためにベツレヘムからエジプトに移住することを断行したり、一時行方不明なったイエスを探したりしている。キリスト教徒にとっては神の誕生を支えた人物ということになる。

 その重要な役柄だが、「おゆうぎ」では真ん中でただ立っているだけの役だったように記憶している。マリアにはセリフも所作もあったと思う。博士や羊飼いたちにも動きやセリフはあったと記憶している。しかしヨセフはただ立っているだけだった。

 おそらく小さな幼稚園の部屋の一角で行われたに過ぎないのだが、記憶の世界ではある程度大きな教会で背景にオルガンなどがあり、たくさんの信者の前で演じているという風に脚色されている。でもそれだけ装飾された記憶の中にもセリフはない。確か風邪か何かにかかって少し熱があり、立っているのもつらかったということしか覚えていない。これもあとづけかもしれない。

 クリスマスの思い出としてこの歳になっても思い出すのは沈黙のセンター経験である。

バイクのサンタ

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 クリスマスイブの国道246号線には面白い風景が繰り広げられる。サンタクロースの大量発生である。もちろんこれはこの道だけではあるまい。本当の伝説上のサンタクロースは雪道をそりで行くのかもしれないが、東京ではバイクに乗って自分で運転している。そしてピザやすしを届けるのである。

 おそらくクリスマスのサービスとして配達員にサンタクロースの衣装を着せるのだろう。運転しやすいようにひげはつけない。若者たちが任務を遂行しようとしている。おそらく依頼者はその衣装に一瞬驚き、喜ぶのだろう。そのために赤と白の服を着る。

 そのほかただ走ることが目的のライダーたちもいる。中にはサンタ集団を形成するものもある。もちろんその中には角をつけたものもいて、彼も自分でバイクを操る。ドライブは自由だが聖なる夜を爆音で汚さぬようにしていただくことをお願いしたい。

 降雪地域の方々には本当のサンタが訪れるはずだ。無理をして外出しない方がいいらしい。除雪も慎重に。私も雪国に住んでいたころ、クリスマス寒波に慌てたことがある。止まない雪はない。怪我などされませんよう。

雲なく

 冬至を過ぎたが本格的な冬はこれからだ。ただ、すこし日照時間が増えていくと思うと心強い。今朝は雲一つない快晴だ。こういう日は日本海側は雪になる。今日も降る地域が多いらしい。例のJPCZ が発生している。

 年末にやることは多いが、最近input不足なので何冊かの本を読むことにした。とりあえずは別のジャンルの数冊を読もう。こういうときは電子書籍が役に立つ。

冬の空気

 冬の張り詰めた空気には独特の風情がある。必ずしも優しくはないがかと言って冷酷なわけではない。

 冷酷という言葉もそうだが、冷たいという体感を表す言葉は精神状態を表すときにはネガティブなものを表すことが多い。しかし、これは一面を捉えたものに過ぎない。

 冬の空気は身体に緊張を及ぼすが、それはもしかしたら幸せを感じるための準備期間を与えているのかもしれない。暖かさは慣れてしまうと恩恵を感じられなくなる。絶対的な温度ではなく、変化に私たちの感情は発動するのだ。

 その意味において私は冬は大切な季節だと考えている。耐えなくてはならないものを乗り越える。その大切さを教えてくれるのだから。

雪道の運転

 雪国に住んでいたころ、降雪があると大きな覚悟が必要だった。それは職場まで自動車でたどり着かなくてはならないということだった。

 北国の人であれば雪道の運転は当たり前である。しかし、にわかに北陸の人となった私にはかなり過酷な試練であった。何しろ東京に住んでいたころは車の運転自体をほとんどしなかったのに、いきなり毎日運転してしかも雪道の斜面の上の職場に通ったのである。初級編を飛ばしていきなり中級編の最後の方のページに取り組むようなものだった。

 ブレーキの踏み方は特に注意した。交差点ではスリップする分を割り引いて制動する必要があった。特に危ないのが橋の上だ。凍結していることが多く、車体が左右に振られることも多い。最初の一週間は本当に恐怖の連続だった。次第に慣れてくるとそこそこの運転ができるようになってくる。油断をするとまたスリップする。幸い雪道で事故を起こしたことはなかった。しかし、あと少しで危ない状態だったということは何度かあった。

 これは地元の皆さんでも同じで、冬場になると脱輪する車にたびたびあった。中には田んぼの中に転落して逆さになった車のなかから乗っていた人を助けたこともある。幸い全くけがはなく車も軽微な損傷で済んでいた。ただ、初めて現場に遭遇した時は大いに驚き、救急車を呼ぼうとして当事者に止められたのを覚えている。

 昨夜から日本海側を中心に雪が積もっているらしい。ぜひ安全第一にお過ごしいただきたい。私のようなへっぴり腰の方が事故は起こさないのかもしれない。過信は禁物だ。余計なおせっかいだが。

JPCZ

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 強い寒気が南下し日本海側は強い風雪が起きているという。ニュースでは日本海にJPCZが発生していると言っている。あらたな気象用語だ。

 Japan sea Pola air mass Convergence Zoneの略称で日本海寒帯気団収束帯と訳されている。シベリアから南下した寒気がいったん朝鮮半島北部の長白山脈で分断され、それが日本海上で再度ぶつかり合うときに、低気圧のような渦が発生しやすく、それが日本列島に風雪をもたらすのだという。

 この季節の天気予報で紹介される雲の映像をみると、確かに大陸から筋状の雲が幾つも並び、それが日本海の真ん中あたりでぶつかり合って帯状の雲ができていることが分かる。

 JPCZという気象現象は大昔から繰り返されていたが、この名称で聴くのは最近のことのように感じる。特にアルファベットの略称は一般的には普及していなかった。それを最近のニュースでは盛んに使いだしているのは何らかの意味があるのだろうか。

 この用語は1980年代には生まれていたようだが、一般に知られるようになったのは10年前くらいで、メディアが一般向けに使いだしたのはここ数年であると感じている。専門用語が一般向けに使われ、一種の刺激的な警戒情報の材料に加わったのだと考えらえる。最近の気象情報には「記録的」とか「50年に一度」とか刺激的な用語で警戒を呼び掛けることが増えている。JPCZというよくわからないがなんとなく恐ろしい用語を持ち出したのもその流れかもしれない。

 ただ、この用語はやはり何のことか分かりにくい。「日本海の雪雲の帯」とか「吹雪の素」「吹雪の道」とか分かりやすい和訳をした方がいいのかも知れない。現れないに越したことはないが。