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 立春である。地球と太陽の位置関係に名付けをしたのに過ぎないのだが、それでも何か変わったような気がするがおもしろい。物理学者は時間は存在しないという。これも人間の脳が生み出した幻影なのだろうか。

 春はいろいろなことの始まりと考えるのが日本の伝統的な季節感だ。元旦よりも4月の方が開始の時期と考えられる。年度の開始月であるからだが、もう身体に染みついている。他国ではこれが通用しないというから、時間観というのは文化の一つということになる。

 存在しない時間、もしくはあったとしても相対的な時間に一喜一憂するのはなぜだろう。幻覚に囚われているうちに何か大切なことを見失っているのではないか。もし、時間が幻想であり幻覚ならば、私はここに存在するということも夢の一部に過ぎないことになる。

 この仮説は科学的に証明されるとしても実感としては肯んずることはできない。たとえいまここにいる自分が幻覚であり、他にも自分は存在し別の場所にいるとしても、それぞれの自分が実感できる世界は一つである。他は想像するしかない。ならば、あくまで自分という座標軸においては今いる周囲しか見渡せない。

 限られた世界に閉じ込められているからこそ時間は感じられ、感情がわき起こる。喜びも悲しみも見渡せる地平が限定されているからこそ発動するのだろう。

 春に何かを素直に感じるのはその意味で当たり前だ。ただ、その情念が知覚しうる条件のもとで起きているということを心の片隅で考えておくのは、危機的状況を救う命綱にはなるかもしれない。

節分

 今日は節分、二十四節気の立春の前日で、今日で暦上の冬が終わる。

 豆まきの日としても知られているが、これは歴史的にはそれほど古くはさかのぼらない。追儺という悪霊退散の儀式があったことは、8世紀初めの記録が『続日本紀』にあり、平安時代には大晦日の宮廷行事として行われていたことが記録に残る。古代中国から日本が取り入れた行事の一つだ。本来は悪霊を追い払う役の者たちが、次第に鬼そのものを演じるようになり、それが出ていく様を演じることで邪気の消えることを願う行事になっていったと考えられている。

 中世に入るとこの行事は行われなくなり、江戸時代も宮廷行事としては行われていない。似た行事は民間に伝わったようで、大晦日が新年の前の日であることが、立春の前の日になっていったのはその過程にあるようだ。旧暦では元旦と立春は近い日となり、年によっては一致する。

 鬼が悪霊と同意義になっていくのにも歴史がある。中国の「鬼」は祖霊を意味することが多かった。日本でも民間行事のなかで鬼の姿をした者を丁重に迎える祭りをする地域は多い。それが異類と感じられ、さらには害をなす邪鬼として考えられるようになっていく。こうした聖俗の逆転はいろいろな事例が認められる。鬼門が丑寅にある連想から、角をはやし、虎の毛皮を身に着けた鬼の姿が確立していった。

 春の前に鬼を追い出したいという願いは、東アジア一帯の文化にあるのかもしれない。禊や祓の行事も季節のはざまで行われる。定期的な掃除のように罪や穢れ、邪気は日常から離れたところに送り出そうとするのだ。科学の知識が普及したあとでも、こうした考えは根底に流れ続ける。それは生活の知恵でもある。残念なのは悪因悪行は現代社会ではそれほど簡単には退散してくれないことだ。ただ、季節の流れの中に日常の見直しの行事を置いたことは先人の知恵として受け継いでいくべきだろう。

花粉症対策

 今季の花粉の飛散は極めて多いようだ。すでに自覚症状が出ている人もいるというが、関東地方では今週末くらいから本格的な花粉症の注意期間に入るらしい。

森林浴は好きですが

 私は子供の頃から症状に悩んできた。ここ数年はコロナ対策のためのマスクのせいで気にならなかったが、それよりも対策薬の恩恵にあずかってきたのが大きい。今年もそろそろ始めたい。

 花粉症の薬は効きだすまで時間がかかる。だから早めの服用が求められている。週末に向けて明後日辺りから始めようか。マスク着用義務がなくなりつつあるが敵はウイルスだけではない。困ったことである。

二月

 2月は短いがとても大切な月の一つだ。私たちの職場では次年度の準備が始まる。次の段階に移る前の最後のまとめのようなものだ。

 2月は如月。なぜそう呼ぶのかは分からないが、勝手に「気更来」つまり春の気がますます来るという意味と考えるようにしている。そして実はかなり寒い月も、逆に春を感じさせるためにあると考えるのである。

 この愛しい季節はいつもあわただしく過ぎていくが、今年は意識して季節の移り変わりを感じ、楽しみたい。

氷点下の朝

 寒気の南下の影響で今日も冷え込んでいる。朝の最低気温は氷点下になっており、都心部でもマイナス2℃らしい。私の住む郊外はもっと冷えている。昨日は北風が強かったが、今日は弱い。そして晴天である。典型的な放射冷却の冷え込みということになる。

 こういう場合に怖いのは路面の凍結だ。雨が降らない状況なので普通は凍らないはずなのだが、誰かがうっかり水をまいたりしたら大変なことになる。私は氷の上で転んだ経験が何度かあり、そのうちの一回は顎のあたりを打ってすこぶる痛かった。その痛みの記憶はしつこく残っていて、条件反射のように突然湧き上がることがある。寒いのは決して嫌いではないのだが、この転倒の記憶だけはなんとかならないものだろうか。

 今日もいざというときのことを考えて路面を見て歩きたい。絶対にながら歩きはやめたい。

カラスの準備

 2日ほど前からハシブトガラスの群れが早朝から騒がしい。この地域のゴミ出しの曜日でもないのにどうしてだろう。

 地域のゴミ回収日にカラスが狙うのはどこにでもあるはずだ。ゴミ袋を鳥にとっては見にくいといわれる黄色にしたり、ネットをかぶせたりしても巧みにつつきだし散乱させてしまう。しかし、その時点ではゴミ出しの曜日までは数日あった。

 集まっていたのは近隣の蜜柑が目的であったようだ。それまで見向きもしなかったのに今朝見るともう枝には残っていなかった。そして路上には大量の食べかすがある。なぜいまになってと思う。

 思うに今週の大寒波の到来を知っているのではないか。寒さによる消耗を見越して多めに食べているのではないか。それが拙い推論である。

 動物の行動が天候急変の予兆になることは数多く報告されているので、私も記録しておくことにした。

最低気温予想

 今週は文字通りの大寒の節気であり、最高気温が二桁に達しない日が多いという。ピークは明日から明後日のようで、特に水曜日(1月25日)の気温はかなり下がるようだ。最低気温の予想をみると、‐3~0℃の幅で各社が予報を出している。氷点下になることは確実だ。さらにこの日は最高気温も4~6℃の予報であり、この地域としては極寒の日となりそうだ。

 私にとっては寒さはそれほど苦ではないが、乾燥した北風がいろいろなことを狂わせる。おそらく一番の難関はこの乾燥であろう。コロナウイルスが5類相当に格下げされることがほぼ確実なようで、少しずつマスクを外すひとが出ている。しかし、このインフルエンザの季節が終わるまではしばらくは変わることはないだろう。さらにそのあとの花粉症もあるのでいつマスクが外せるのか個人的には分からない。

 今週はマスクは防疫の目的以上に防寒具となりそうだ。

大寒

 今日は二十四節気の大寒に当たる。このところ寒い日が続いているが、本格的な寒気は来週訪れるらしい。関東でも降雪の可能性があるともいわれる。

 富山ではこの頃、積雪が起こりやすく、注意しなくてはならない時期である。この時期の楽しみとして寒ブリがあった。脂身を多く備えた刺し身は高級魚扱いで簡単には食べられなかったが、なにかの宴てごちそうになったときの感動は忘れられない。ブリのような高級魚でなくても寒の頃に食べるスケソウダラやナンダ、ゲンゲなどの鍋は楽しみだった。もちろん立山や銀盤、幻の瀧といった地酒は欠かせない。

 寒の話がどこかに行ってしまったが要するに寒中にも歓ありということだ。こわばらず楽しくいこう。

月末は寒い

 週間予報を見る限り来週はかなり冷え込むようだ。関東でも雪の可能性もあるというが、基本的には乾燥した晴天が続くようである。

 これからの季節は受験や年度終わりの様々な作業がある。インフレにコロナウイルスとインフルエンザの不安など懸念されることが多い。それらに支障が出ないことを祈るばかりだ。

 この寒さに花をつける植物がある。したたかに生きることの大切さを学ぶべきだろう。

適湿

 このところ曇や雨の日が続いている。薄暗い昼間は陰鬱になると思いきや、意外と調子がよい。湿度が保たれているからだろう。乾燥した空気は続き過ぎると疲労感をもたらす。冬の雨もまたよし。