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歩く楽しみ

 私は歩くことが好きな方であると自認している。目的なく歩くこともときにはある。そこで何かを発見したり、それまでとは違うものの見方をできるようになることが楽しい。

 ただ、定期的に襲う膝関節痛が悩みの種だ。今までに4、5年おきに発症し、水を抜いてもらったこともある。その後軽快するが、いつの間にかに痛みが発生する。一昨日あたりからその気配を感じており、またかと落ち込んでいる。

 水を抜かなくてはならなくなる場合と、何もしなくてもよくなるときとある。前回は自然治癒したので今回もそうであることを祈りたい。

 歩くことが楽しみである以上、膝の故障は避けたい。歳を重ねるといろいろな障りがある。それを受け入れながら生きるのが人生というものなのだろう。

明るすぎる人は

 明るすぎる人には裏があるという。経験上、ある程度の信憑性はある。内面に何かを抱えている人はそれに対する反発のため、明るく振る舞うのだろう。もちろん、根っから明るい人はいる。性格の問題であれば問題はない。ただ、それが無理に表出されているものであるのならば心配になることが出来する。

 自分自身のことを考えてみても、日常のどうしようもない苦悩に疲れると人前では無理に陽気に振る舞うことが多い。自分の暗さを見透かされないように必死になるからかもしれない。事情を知らない人は私をポジティブな人間と思うこともあるようだ。抱えているものの大きさ、重さを隠し通すことは真逆の行為でごまかすしかないのだ。

 明るく振る舞うことが自分の心の平安を保つための手段とすれば、それを尊重することには意味がある。バランスを取ろうとするいわば健気な振る舞いを暖かく見守るべきだろう。

 

対策薬

 このところ気温が高くなっている。今日は最高気温が20℃に達するかもしれないという予報が出ている。こうなるとスギ花粉の飛散も本格化する。敏感な人はすでにアレルギー症状が出始めており、私もそろそろ対策しなくてはならない。

 最近はフェキソフェナジン系の対策薬を服用することが多い。比較的眠くなりにくいのがよい。ただし、まったく副作用がないわけではなく、特に飲み始めは違和感が起きる。ただ、何もしないよりよいので始めざるを得ない。

 昔は不治の病とされ、どうしようもなかったことを考えると現状はかなり改善されたと言える。春の光を謳歌できるようにやることをやらねばなるまい。

蕎麦を食べるようになった

 蕎麦屋に行くとどちらかというとうどんを頼むほうが多かったのが、最近は大体蕎麦を食べるようになった。蕎麦の持つ独特の風味がこの歳になってよく感じ取れるようになったのである。駅の蕎麦屋に寄ってしまうこともある。

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 私にとってはうどんはかなりしっかりと食べたいときに選択する。蕎麦は過度な満腹感を持ちたくないときに選んでいる。この感覚は科学的には間違っているようで、同量ならうどんのほうがカロリーや炭水化物、脂質が低いらしい。違うのはタンパク質が蕎麦のほうが多いことで、これが相対的には体にはいいといわれている。

 蕎麦を食べるのは私にとっては日常であり、あまり身体のためとかそのほかの目的を考えてはいない。歳とともに味覚が変わっていくという話はよく聞くがこれもその一つかもしれない。

健康への配慮は功利的

 スマートフォンについているヘルスケアアプリの測定によると私は毎日10,000歩程度歩いていることになる。立っている時間も比較的多い。といってもきちんとしたスポーツをしているわけではないし、筋肉を使う仕事をしているわけでもない。腑抜けた身体でも少しずつ歩く生活をしているのである。健康に気を付けることも中途半端であり、スリムになりたいと思うよりも膝に負担をかけたくないとか、周りに迷惑をかけたくないといった程度だ。

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 ただ、最近更新した保険が健康への配慮の度合いを常時報告し、それを割引率として算定するものであるため、この考え方を変えなくてはならなくなっている。毎日の歩数や健康診断の結果などがそのまま割引ポイントに換算されるため、健康活動が金銭に結びつくことになったのである。健康診断の結果は悲惨なものだが、歩く量に関しては今のままの生活を続けていれば問題はない。問題は仕事をやめたり、変わったりしたときにこの生活が維持できるのかということである。

 なるべく歩くことを心がけていこう。歩くだけが目的ではなく、その道中で出会う風景とか人との出会いとかを大切にすれば自然に歩く量は増えるのだろう。もともと10年以上前にこのブログの前進を作ったときには散歩の記録を残すために作ったものだった。そのことを思い出してこのブログにもそういう記事を時々入れていくことにする。

再び風邪

 乾燥か続く東京の冬空は喉の調子を悪くする。残念だが一度回復した風邪にもう一度罹ってしまったようだ。今回は市販薬で対処することにした。

 風邪をひく原因としては夜間の冷え込みと口を開けて寝ることとが関係しているのかもしれない。いびき予防のテープでも貼ってみようか。

眠くなる薬

 風邪を引いて医者から処方された薬は乱暴な言い方をすれば麻痺を誘うものだった。脳の中枢に働きかけ咳をし過ぎないように促す。少しくらいの喉の腫れにいちいち反応するなというのであろう。

 これには副作用があって、倦怠感や眠気をともなうと薬剤師が説明してくれた。他にも便秘などいくつかの症状が現れることがあるとも言った。そう言われても飲むしかない。いまは風邪を治すことの方が優先されるのだから。

 果たして服用後は極めて眠くなった。仕事なので寝るわけにもいかず何とか起きていると次々に幻覚が起きる。そこにいない人の姿が見えたり、声をかけられたりする。私は夢を覚醒時にあまり覚えていないのだが、これは醒めながら夢を見ている状態と察した。いくら我にかえってもまた繰り返すので、いつもと違う共有空間で仕事の続きをした。副作用とはかくなるものと思い知った。

 服用中は運転や機械の作業をするなという注意は疎かにできないものと再確認した。

風邪ひき

 残念ながら風邪を引いてしまった。病院で検査を受けるとインフルエンザではないという。熱がないのでその手のものではない。毎年、この時期に体調を崩すのでこれは過労によるものと自己診断している。

 咳をしていたら職場の同僚が労りの声をかけてくれる。中にはのど飴を差し出す人もいて嬉しい限りだ。とにかく早く治さなくては。

まるまり

 認知症という言葉はかなり強烈だが、人は多かれ少なかれ脳の衰退に向かっている。私は短期記憶の低下を自覚しているのでちょっとしたことでもメモするようになった。これでしばらくは凌げるが、そのうちメモしたのかどうかもわからなくなるだろう。

 脳の皺が知能に関係するというのは本当なのか私には分からない。もしそうならば比喩的な意味において、その皺がなくなっていくのが加齢ということなのかもしれない。皮膚とは反対である。

 四捨五入することを丸めるという人がいる。脳が退化すると無意識的のうちに世界を丸めだすのかも知れない。大雑把に捉えることは知的なレベルで行えば高次元の行為だが、この方面は寂しさ伴う。ただ、詳細にとらわれないことは大切なのかも知れない。世界のまるまりを楽しむような余裕が必要なのだろう。

冷え込み

 寒気が南下している関係でかなり冷え込んでいる。これまでとは体感が違う。どうもこれが原因で体調を崩した人も多いようで、電車に乗っていても咳をする人が多い。インフルエンザという人もいれば、陰性であるとの診断を受けた人もいる。しかし、そのいずれもが症状が重く、なかにはかつてこのような風邪をひいたことがないというほどつらかったという人もいる。おそらく、コロナ禍の続く中でさまざまな別の病に対する免疫力が失われてしまっているのだろう。適度にウイルスに晒されていることは大切なのかもしれない。