良くないと思った日は、思い切って考え方を変えるべきだ。この日の不調は次の好調のための材料なのだ。決して短期的に考えることのないように。転換が大事だ。それができるのが人間というもののいい加減さなのだ。
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期待感
どこから始めるのか
同じような日常の繰り返しでも見方を変えればまったく違った印象になる。どこから始めるのかほ大きな問題の一つだ。
成長期に何かを始めれば大抵のことは成功し、小さな傷も気にならない。その後に訪れる収穫を待つだけでいい。ところが衰退期に加わったなら、全く違う展開になる。大抵のことは、失敗し、それが破滅の道のように感じるものだ。これはどうしようならない。流れというものだ。
どこから始めるのかほ自分では選べない。たまたまドアを開くとすでに芝居は始まっている。そこで展開するのが喜劇なのか悲劇なのかは分からない。
考え方を変えるほかあるまい。衰退ほ長くは続かないかもしれない。流れが変わる可能性もある。万一、このまま下がり続けても、下り道ならではのおもしろい風景もあるはずだ。
どこから始めるのかは選べないが、それをどのように受け取るのかは自分次第なのかもしれない。
感じ取るもの
とても残念ではあるが、歳を重ねると感受性の感度が落ちる。これは自己防衛の方法として獲得してきたものだ。いちいち細かいことに感じ入ってしまうと先に進めない。その結果不利益になることもある。世の中そういうものという割り切りが、日常を過ごすためには必要である。
ただ、これも度を過ぎると新しい事態に対応できなくなる。過去の事例と結びつけて分類に落とし込むと、新芽の存在を見逃してしまう。これが老年の問題点だ。見逃すことが続くと結局過去の世界で生きることになる。現実は毎日変わるのでだんだん追いつけなくなる。
これを防ぐにはどうすればいいだろう。今起きていることや、若い世代の考え方に触れる機会を意図的に作るしかあるまい。かといって若者の輪に加わることは難しい。世代を超えたサークルのようなものに加入している人はそれができるかもしれないが多くの場合は不可能だ。
ならばせめて若い世代の支持を集めている文化現象に触れてみるのがいい。音楽やファッションの世界にも興味を持とう。漫画や小説も少しは読むといい。おそらくその多くは性に合わないはずだがそれでも日常とは異なる体験ができる。それが感性の老化を緩やかにするのなら、それもいいではないか。
実はこの話、若者に対して行う先輩の価値観を知ろうというメッセージの裏返しとして考えた。