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制約も

このブログはたいていスマートフォンで書いています。今日は違いますが。
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 おかげさまでブログを書き続けられている。WordPressを始める前から数えると今日で約13年皆勤していることになる。何事にも飽きやすい私が、これだけ続くとは思っていなかった。それなのに読んでくださる方が増えないのもおかしいけれども。

 今日から短い夏休みに入った。いつも思うのだが、ブログを書こうと思っても休みになると進まなくなる。なぜかと言えばいくらでも時間があると思うからだろう。普段は通勤電車の10分程度で文章を書く。最近はレンタル写真やアフィリエイト広告をつけたりすることも多いので文章作成にかかる時間はもっと少ない。話題を決めて一気に書く。結果として内容は薄いがとにかく継続だけはできている。

 ところが休みになると何を書こうかと悩み、ネット検索など始めると全く進まなくなる。いつでも書けると思うといつまでも書けない。電車の中ではたいていはカバンを抱え、混雑する電車に他人の迷惑ならないように身を縮めて立って片手でスマートフォンで入力する。目的の駅はすぐに着くので雑念は捨てなくてはならない。この時のスマホはネットにつながってはいるがネットは見ないただの入力用ディバイスである。だからとにかくでっち上げられる。拙速を尊ぶのである。

 制約をかけて物事を考えることも時には必要である。もちろんいつもそうであってはならない。熟考熟慮する時間があってこそ、でっち上げもできるのだから。この考え方を生かして速読と早書きの時間を意図的に持つようにしたらいい。

Streak365

 このサイトを作成しているサービスにstreakという表示が出るようになった。今日365日となったから1年皆勤ということなのだろう。実はもっと前から続けていて別のサービスも入れると10年以上続けている。内容がなくとも続ければ何らかの価値は出るのかもしれない。そう信じて駄文を連ねて行くことにする。

年頭のごあいさつ

 2022年が始まりました。新年明けましておめでとうございます。

 おめでとうというのは予祝の呪術と学びました。まだ何も祝福すべきことは起きていなくても、めでたいと言うことで周囲にそのような状態をもたらすというのです。これが正しいのなら私は何度も言いたいと考えます。

 パンデミックが始まってから2年が経過しいまだ安心のできない日々が続いています。真夏のマスクを2回もしなければならないとは思いだによらなかった。それでもなんとか耐えてここまできたのです。この事実だけでもめでたいと言うべきかもしれません。

 予祝の意味を込めて、さらなる幸せが皆様の周りで重ねて起こりますように。

 明けましておめでとうございます。

短歌

 二十歳前後から断続的ながら続いているのが短歌の作成だ。何年経ってもうまくはならないががそれがこの文芸のいいところでもある。満足してしまえばこんなにも続くことはない。

 短歌は私にとっては感情のスケッチのようなもので詳細な色塗りはできないがある程度の視点の確定と塗代の確保はできる。展開を気にせずにとりあえず心の点描をしておくというときに役立つ。

 こういう考え方は私のブログの書き方にも影響しているかもしれない。毎日何かを書くことは欠かさないようにしているが、記事相互の一貫性とかテーマとかはほとんど気にしていない。場合によっては以前書いたことと矛盾しても平気でいる。

 こうした無責任な書き方は時々の精神状態のスケッチと考えることで弁明している。

定点観測

 かなり前に同じ場所から同じ方向の写真を取り続けたことがある。定点撮影を気取って四季折々の変化を比較して楽しんでいた。

 定点観測はいろいろなことを気づかせてくれる。よく考えれば変わるのは風景の方だけではない。例えばこのブログのように毎日考えることを綴っているのは、自分という定点がある。そこから見える世界は日々刻々と変化しているが、それを見ている自分も動的平衡を保ちつつ変わりゆく存在だ。

 ブログを定点とすれば、変わりゆく世界とともに自分の変化も記録されていることになる。くだらない文章を連ねる意味があるとしたら、己の定点観測をすることにあると言える。暫く続けていきたい。

習慣化

 成功の秘訣は習慣化にあるというのはよく聞く。確かに仕事でも勉強でも金の使い方でも習慣化するとうまくいくことが多いようだ。もちろん逆もまた然り。

 大切なのは初速度だ。動機がないと長続きしない。私の場合、こんなことを書きながらも実はあまり続けられるものが少ない。このブログを除いて。そうだこのブログのように質を求め過ぎなければいい。とりあえず何でもいいから続けること、それがのちに何か大きなことに結びつく可能性がある。

 習慣化するためにどうすればいいのか。その一つが他人に宣言して、約束してしまうことなのかもしれない。私がブログを続けられているのも毎日誰かが、しかも日本以外の国(だと思うが)の方がこの文章を読んでくださっていることをWordPressのシステムが報告してくれているからだ。結局誰かに見られていないとできないのか。しかし、互いに助け合っていると考えればそれもいいのではないか。

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朝の日課

 このブログは大抵日本時間の午前7時台に書いている。実は職場に向かう電車の中でつり革につかまりながらスマートフォンで入力しているのだ。

 私がこれに使える時間はせいぜい5分程度であり、職場では私用でブログは書かない方針なので極めて限られた時間であることになる。言い訳すればそのために記事の長さは限られ、時々(いやしばしば)尻切れトンボになっている。それは降車駅に着いてしまったことによるものなのだ。

 短い時間で駄文を書くことにも何らかの効果はあると考えている。世の中に対する関心を持ち続けることや、発信力の維持という目的はある程度達成されている。

 少ないけれども暖かく記事を読んでくださっている読者の存在も文を書く動機づけになっている。WordPressは外国からのアクセスも多いので、わかりやすい日本語で書くことも目標の一つだ。翻訳ソフトにかけても誤訳されにくい文にしたいと考えている。

 この日課は自身の脳と精神の安定にも寄与している。自分勝手な文だが、時々のぞきにきていただくとありがたい。

創造心

 何かを新しく作るということには様々な魅力があります。それは希望でもあり夢でもあります。

 まったく新しいものなどは作りようもありませんが、せめて自分なりのアレンジをして結果的に少しずつ変化させ結果的に新しいものにたどりつくということを考えています。そのためにはいつも現実に向き合って妥協をしないという態度がいるでしょう。

 何になるのか分からないけれど気になることは気にとめ、場合によっては記憶しておくという習慣が必要です。その意味でノートや手帳、このブログのようなデジタルデバイスを活用すべきでしょう。

 次のためにいろいろな下積みをしておくことは新しいものをつくるためには大切なのです。

アイデアを出すための休息

 毎日、忙しく暮らしているとルーティンワークに関しては作業効率が上がってきます。一方でその仕事に集中するあまりほかが見えてこないということがあります。やはり休息はとても大切なのです。

 他の視点を持つことができるようになることはとても大切です。私は一つに入り込むと他が見えなくなってしまいがちの性格なので、常にやり方をかえることを意識して物事に取り組むようにしています。うまくいっていることでさえもきっと何か問題点があるに違いない。それを忘れないように時々方法を変えるのです。

 場合によってはこれは非効率に見えるかもしれない。出来上がったものをそのまま継続した方が楽なのです。私もこれまでずっとそう考えてきました。しかし、時宜に応じて変化することこそ持続可能な在り方だと最近気がつくようになりました。本質さえ変えなければやり方はいくらでもある。そして何か一つの方法だけでやり続ける必要はないんだと。

 ブログを書くことも私にとっては自分のやり方に変化をつける方策の一つです。今までとは違う何かを考えて文章にすることは、私にとっての変革の手段なのです。このブログは架空の別荘にある書斎をイメージしています。その空間でいつもと違うことを考えるための休息、日常と相対する時空を作ろうとしているのです。