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スケートの思い出

 初めてアイススケートをしたのは福岡のスケートリンクだった。年の離れた従兄が小学生の中学年だった私を連れていってくれたのだ。従兄は大学生だったと思う。

 その頃は高度経済成長期で地方都市でも景気はよかったようだ。決して安くはない入場料と貸靴料を払うと、ほとんどがスケート初心者の危うい集団の仲間に入ることができた。ただ、そのなかには少数の中級者がおり、群衆の中を巧みに避けながらかなりのスピードで滑走していた。

 私はスケート初日にして転倒し、顔に小さな傷を負ってしまった。従兄がひどく恐縮して親に報告したことを覚えている。親は笑うばかりで特に管理責任を問うこともなかった。私も従兄のせいだとは少しも思わなかったが、スケートは怖いものという先入観が完成してしまったのは事実だ。

 その後、中学生になって東京で暮らすようになり、近くの代々木オリンピック体育館のリンクで何度かスケートをしたことがある。相変わらずよく滑れなかったが、転倒することはなく、周回くらいはできるようになった。

 私にとってはスケートは決して日常とはなり得ない特別な行いなのである。それがときとしてとてつもない憧憬としてあるいは辿り着けない幻想として浮かんでくるのである。

 その後、日本にもフィギュアスケートで活躍する人が出たり、スピードスケートでも日本人選手が活躍することがあってスケートへの関心は高まったが、私にとってはスケートは冬のある時期のさらに極めて偶然の動機によるものだった。

 私にとってのスケートの思い出はかくして極めて断片的で非論理的な何かの塊だった。

冬のオリンピックは

 ミラノ・コルチナオリンピックの中継を観ながら、冬季種目はつくづく自分にはできないことだと思う。もちろん例えば陸上競技でもアスリートにはとても叶わないが、まだ競技場を走ることはできるが、スキーもスケートもできない私にとってはとても真似のできないことをやっている。

 スケートは日本選手も活躍している。スノーボードもメダルを取った。ただアルペン種目やノルディック種目はほとんどがヨーロッパ選手が上位を占め、アメリカとカナダの選手がそれに混じるというのが現状だ。アジアの選手は日本を除けば中国と韓国の選手が少しだけ。明らかに欧米中心の大会だ。

 雪や氷の上で行うスポーツの性格上、競技人口は限定される。ただ、夏の大会では存在感が薄い北欧の選手が脚光を浴びるこの大会は価値があるのだろう。日本のように四季があり、さらに地域差もある国は世界的には稀であり、どちらの大会にも出場出来ることは幸運だと言うしかない。

スポーツ観戦

 最近、スポーツ観戦が以前よりも注目されている。懸命に何かに取り組む姿に共鳴することが快感をもたらすのかもしれない。

 バーチャルな体験は人工知能の発展も伴い、ますます現実に近いものに近づきつつある。いまは視覚的なものが中心だが、近いうちにより五感に訴えるものへと変わっていくはずだ。するとますますリアルな体験が遠いものになる。それ故に逆に現実であることが貴重なものになるのだ。

 スポーツ観戦は現実に行われていることへ、感情移入して、脳科学的には一種の同期を起こすことでリアル体験に近い感動を味わえる。実際に試合をしているわけでもないのに、選手の肉体や精神を内面化したような錯覚を味わえるのだ。

 しかも時間が来れば試合は終わる。日常に帰還することが予め保証されている体験なのだ。最近のスポーツ観戦にはそういう精神風景があるように感じる。

百年構想リーグの偏り

 Jリーグは来季から秋冬制になる。この移行期間に百年構想リーグが開催されるが、J1リーグの組み分けが発表された。東西に分かれることになったが、その東地区はことごとく関東地方だ東京都が3クラブ、神奈川と茨城と千葉が2クラブ、それに埼玉が1クラブだ。西地区は東海、関西、中国、九州と幅広い。

 日本の人口の34%は関東地方の住民だ。日本人の3人に1人は関東地方のどこかに住んでいるということである。どの国にも人口集中はある。アメリカ合衆国では39%の人が南部諸州に住んでいる。韓国ではソウルや仁川などのいわゆる首都圏の人口が50%近く、極端な人口集中が見られる。だからJ1リーグのうち半分が関東地方であっても無理はないのだが、北海道や東北、北陸のクラブがないのは残念であり、長期的視点ではこの興行のためにはよろしくない。

 プロスポーツが成功するためには地域の発展や、スポンサー企業の存在が欠かせない。都市部はそれが集っているが、地方は少ない。でもスポーツクラブはそういう現実を忘れさせるような夢を売る存在であるはずだ。百年構想の中には地域振興という柱がある。大企業がなくても地方のクラブが東京のクラブを倒す、そんな醍醐味を見せてくれるのが理想だ。

 隙間を埋めるリーグの開催が地方都市の存在意義を考えるきっかけになればいいと思う。

天皇杯優勝

 FC町田ゼルビアが天皇杯で優勝したという。私が応援を始めた頃はJFLに昇格したばかりで、観客もまばら選手のほとんどはプロ契約しておらず、少年サッカーのコーチなどを兼任していた。リーグでは佐川急便や武蔵野といったアマチュア界の名門に勝つことができず、ついに優勝できなかったのである。

 J2に昇格できたと思ったら全く勝てずJFLに逆戻りして、その後始まったJ3で何とかプロクラブ扱いになった。町田の地元サポーターが少しずつ増えてくると勝てるようになっていき、J2時代の晩期にサイバーエージェント社がスポンサーになってからは選手補強が可能になって、黒田監督の抜擢もあって勝てるようになった。戦略に関してはいろいろな批判があったが、多くは既存のクラブが新入りに出し抜かれたことへの焦燥の表現だった。批判していたチームが今シーズンは同じことをやっているのだから。

 優勝はめでたいが、何か過去のクラブを知るものとしては別のチームが戦っているように思えてしまう。プロである限り仕方がないことであり、その前提を受け入れなくてはならないことは自明なのだが。かつてはそれ何と言われたクラブが説明なしに認知されるようになったことを素直に喜ぶべきなのだろう。

甲子園も二部制に

 今日から始まった全国高校野球大会は史上初の午後開会式となり、その後一試合が行われた。明日からは8時プレイボールで午前に2試合、午後4時過ぎから2試合という二部制で行うという。今日も各地で40℃越えとなった酷暑にあって、当然の処置である。

 このままの傾向が続けば8月の開催自体が無理になる。甲子園という聖地を離れるのは抵抗があるだろうが、ドーム球場や標高の高い地域や北部地域での開催も考える必要がある。もっとも今年の北海道の気温のニュースを聞くとそんなに単純な問題ではなさそうだ。

 かつては根性で解決できていたが、人間の身体的な制約に抵触するいまの事態にはもうそれは当てはまらない。今回は二部制で切り抜けようとしているが、その後には未明、早朝開催が来るのだろうか。いずれにしても人間の生活のリズムに反するものであり、スポーツの精神にそぐわないことは避けられない。

 自分の人生のスケールの中でここまで激変することを鑑みるとこの後のさらなる変化が恐ろしい。若い世代のためにもこれ以上の変化は止めなくてはならない。その方法が分からないのが何とも歯がゆいのである。

強ければいいというものでもない

 合理的なのと現実的なのは違う。自らが築いた理と、他の誰かが築いた理が異なる場合はさまざまな問題が生じる。ルールメーカーが誰なのかによって世界の状況が変わってしまう。

 柔道は世界的なスポーツになった時点で別次元に移行した。もともと体重別の概念はなく、柔よく剛を制すの理念のもとに行われていた。だから身体の大きさの違いを勝敗の言い訳にはしなかったし、小兵が大柄の相手を倒すことに理想を感じた。

 柔道がオリンピック種目になった時点で、身体的公平性が重視され、一本勝ちは勝ち方の一種になり、有効なり効果といった部分点で勝負することになった。点数の累積で勝敗が決まるのはレスリングなどと同じで、行動の数値化が勝敗の尺度となった。

日本の伝統的な勝敗観は少し違う。累積した点数の差よりは、どのように戦ったのかという質的な差違、あるいは不十分な条件の中でも戦い続けた態度なり意識が評価の対象となる。巨万の富で有能な選手を集めたチームより、独自の努力によりそれらの強敵と戦うチームの方が高評価を得るのはかようなメカニズムによる。うまく勝つのではなく、きれいに勝つことに関心があるのだ。

 だから強ければいいという訳でない。どのように戦い、どんなドラマが展開され、何が起きたのか。日本のスポーツの伝統的な観衆はそこを期待している。

Jリーグ入れ替え悲喜こもごも

 J1リーグは神戸の優勝で終わった。天皇杯との2冠であり、昨年からの連覇でもある。初昇格で3位になった町田はいろいろな話題もあったが、批判する人の多くは初昇格のチームがこんなに強いはずがないという焦りが感じられた。他チームでも普通にやっているロングスローへの批判などはサッカー観戦初心者への訴求力はあった。資金力と指導者の個性があれば何とかなるということを町田は示したと言える。

 野球と違うのはリーグの昇降格があるということだ。リーグが変わると収入見込みが大きく変わる。本拠地の運営に危機感がある札幌などは正念場であろう。J2は集客に格差があるようで、うまくやっているクラブもある。不景気の中でいかに地元のサポーターを獲得できるかが鍵になる。昇格プレーオフで最後の一枚を掴んだ富山が来年いかに戦うのか注目したい。ただ、私の近隣には所属するクラブがなく応援に行くのは大変だ。

 J3リーグはプロとしては限界のクラブもあり、苦しい経営の中で戦っている。かつて町田が属していたときに注目していたが、チーム事情はさまざまである。ただ、不安定な状況の中で戦っている選手の純粋さには心惹かれる。そして、来年の今ごろにはこのリーグから昇格するクラブが3つもあるのだ。ライセンス問題はあるが。

 J3リーグ降格という制度は過酷だ。せめて入れ替え戦必須にすればいいのにと思うが、J3リーグを目指すクラブにとっては扉が開かれたということなのだろう。今年は2つのクラブが降格する。結果を出さなくてはならないのがプロスポーツの厳しさだ。ただ、結果に関わらず応援したいと思えるクラブがどれだけできるのか。それが大切なのだろう。

スポーツ

 最近、スポーツと呼ばれるものをやっていない。毎日、約12,000歩ほど歩き、立っている時間も同年齢の中では多い方ではないかと思う。でも、これは必要にかられてやっていることであり、自主的に行うスポーツとはかなり違うものである。

 なんのためにスポーツをするのかは、人によって違う。いわゆるプロ選手は収入のために行うのであり、その収入は他者より優れた成績を取ることで達成されることが多いから、身体をはって行う。そこに楽しみを感じられれば幸せだけれども、必ずしもそうもいかない。

 健康のためにスポーツをする人もいる。勝利よりも継続することの方を重視する。これは健康という報酬を前提とする。勝敗は無関係というが、何かしらの目標がなければ続かない。意図せずとも他人と比べることになってしまう。そして健康という勝利が実感できないと精神的に不健康になる。

 スポーツは交流の機会という側面もある。試合が終われば互いの健闘を称え合うことで輪が広がる。そういう目的があって、実はかなり大切だ。最近は一人でできるスポーツやそれを行う施設が増えてきた。そしてそれが輪を広げるというスポーツの大切な効果を無にしている。

 スポーツとは何か。そして何をしなくてはならないのかを考える1日であった。

オブスタクル

 オリンピック競技として今回注目された近代五種競技の内容が次回から変更される。馬術に変わってオブスタクルという競技になることになった。オブスタクルといってもなんのことか分からないが、競技の映像を見ればほとんどの人が見たことがあるものだ。

Obstaclesとは障害のいう意味で作り込んだ数々の障害を越えていく競技である。そしてこの発祥の一つとされているのが、テレビ番組のSASUKEであるという。確かに障害の形やその克服法はSASUKEにかなり似ている。

 日本での放送が終わったあとでも海外でこの競技はかなり注目され、さまざまな大会が行われている。加えてこの種目における馬術競技が馬に与えるダメージが大きすぎるので動物虐待ではないかという声も上がっていたらしい。

 オブスタクルが加わったことで超人的競技という位置づけは一層高まりそうだ。