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親指

 スマホが登場するまでは親指が記述に活用されるとは思わなかった。右利きの私がこのブログの大半を左の親指で書いている。

 日本人はスマホの入力を人差し指で行なう人が多いという。パントマイムでスマホの演技をするならば、大げさに人差し指をスワイプする動作になるだろう。

 それでも簡単な入力は親指で済ます人が多い。片手で操作するにはこの指しか使えないからだ。私も右手は電車の吊り革の取っ手を握っているので、左親指しか使えないという事情がある。

 思えばこれは人類の発達史上かなり特異な出来事であるのかもしれない。身体にどのような影響が及んでいるのか興味がある。

相手にしないことは攻撃の一つ

 悪意のある相手がいる場合、現実社会ではそれを察することがある程度はできる。そして、そういう相手にはあえて近づかない。どうしても接しなくてはならない場合は最低限のコミュニケーションで済ませようとする。これは逃げではなく正当な方法だ。

 ところがこれがネット上になると誤解が生じる。悪意のある者は素知らぬふりをして近づき、いきなり暴言を浴びせる。彼らの目的は人を傷つけることによる自己確認だから、発言には大抵の場合、相手を動揺させることが第一の目的で、責任は伴わない。反論でもしようものなら嬉しくなってさらなる悪意をぶつけてくるものだ。

 こういう相手にモラルやルールを説いてもほとんど意味がない。彼らは相手にしてもらうことが目的であり、それが生甲斐である。彼らにとってもっとも辛いのは誰にも相手にされないことなのだろう。

 だからネット上の悪意は無視の一択だ。これは決して逃げではなく、自分が悪意ある者にくだす鉄槌である。そしてサイレントマジョリティーはその悪意あるものに批難のまなざしを向けていることを、場合によっては哀れみさえ覚えていることを知るべきだ。

 Z世代はことにこのことが苦手と聞く。あなたの考えるほど世界は単純ではない。

星空アプリ

 彗星の位置を知りたくて星空アプリを使用している。夜空に向けると画面上に星座の絵と名前が出る。一等星の名前も表示される。

 惑星の位置も分る。人工衛星まで表示される。そして彗星もわかるのである。

 大体の位置をアプリで確認したあと目当ての彗星を探した。5等級の明るさでは東京の夜空ではかなり見えにくい。ぼんやりとした光のようなものを見つけたのでそれを彗星にすることにした。認定トライのようなものだ。

実は少数意見

 メディアリテラシーは大切だと分かっていても見事に騙される。私自身もその一人なので自戒のために書いておこう。

 誰もが発信できるようになった情報革命は私のような世代にとっては画期的なことであった。マスメディアしか情報発信のチャンネルがなかった時代では、オピニオンリーダーという隔絶した存在がいた。その中にはとんでもない人物もいたが、大抵の場合は理論的もしくは感情的に同意できる存在であり、その人物から学ぶことが多かった。

 ソーシャルメディアが普及してさしたる実績も経験も努力もないのに、口説だけは長けている人物が台頭している。彼らの困ったことは発言はするが、その発言に責任を取らないことだ。多くの人を扇動しておいて、その内容に関しての批判は受け付けない。そういう人物を国会議員に選んでも我慢してしまう。いまの日本の民度の低下を指摘されても仕方がない。

 現場で努力している人をもっと評価しよう。彼らは失敗することも多い。だが、何もしないで他人のあら探しをしている人とどちらが尊いだろうか。そういう基本的なことを考え直したい。

 実は単なる奇抜な言説で、アクセス数を稼いで収入を得ている人を軽蔑する能力を私たちは取り戻さなくてはならないと思うのである。

短歌アプリ

 時々使っていた短歌の投稿アプリの「うたよみん」が終了するそうだ。無料で使わせていただいたので発言する権利はないのかもしれないが、残念と言うしかない。

 短歌のような短い文学はTwitterやLINEなどのソーシャルメディアでも十分に対応できる。私も短歌専用のアカウントを作ったこともあるが、どうも長続きしない。短歌を書くのは専用のノートにしたい。雑記帳に紛れ込ませるのは何か違う。うたよみんはできる機能は限られているが、短歌よみの集まるところであり、そういう人に評価されたいという思いを満たす。

 短歌は感情を乗せる器として優れている。多くは語れないが、可能性は大きい。伝統的な型の力が働いて、少々内容が不足してもそれなりに文学作品として成り立ってしまう。俳句のような約束はなく、定型の短詩に過ぎないのだ。最近私は文語だけでなく口語でも、そしてそれらを混ぜることもある。なんでもいいのだ。

 はじめはスクリーンに横書きで歌を書くことに強い違和感があった。いま私はそれは克服したが、できれば縦書きにしたい、また宇宙と書いてソラと読ませたりする当て読みも短歌にはよくある手法だ。うたよみんはそれらの欲求に答えてくれていた。終了は惜しい。とりあえずはしばらく中断してしまっている短歌専用のブログにこれまでの作品を少しずつ移すことにしようと考えている。

家でアート

 グーグルのサービスの中でもっともいいと思うのはアート・アンド・カルチャーのサービスだ。スマホのアプリにはAR(拡張現実)で美術作品がカメラのファインダーにほぼ実物大で現れるというサービスがある。これがなかなか面白い。自分の部屋が展示室になるのだ。これは面白いのでお勧めしたい。

SNSは商業媒体

 元アメリカ大統領のトランプ氏のTwitterのアカウントが再開されるという。Twitterを買収したイーロン・マスク氏の決定による。

 マスク氏が根拠にした世論調査によると復活を望む声がわずかに多かったためだという。その数字を見ると驚く。賛成51.8%だという。有意な差と言えるのだろうか。これくらいの数字ならばいくらでも操作可能な気もする。

 この件についてもアメリカ社会は分断していることの証のようなものと見られる。トランプ氏のアカウント自体は個人の意見の発言の場としてあってもいい。ただ、これが議事堂襲撃などの暴動に結びつくならば問題になる。

 Twitterが個人のアカウントを制限するのは会社の方針による。オーナーが変わり方針が変われば扱いも変わる。この変化が企業の論理で変わっていくことになる。ソーシャルメディアは公的機関も利用するのであたかも公共のものと考えられがちだが、民営企業のものであることを思い出さなくてはならない。

 既存のテレビやラジオ、新聞や雑誌もその点は変わらない。企業の利益に反することはやらないのだ。NHKのような公共メディアですら企業の制約は免れ得ないが、広告収入にすべてを依存する媒体より多少ましだ。NHKをなくせと言う人たちはこの点を再考すべきだ。受信料の妥当性は別として。

情報の壁

検索すれば分かるだって!

 ネットでニュースをみていると次第に小さな世界に閉じ込められていく。検索によって瞬時に様々な情報にアクセスできるから、一見世界は無限大に広がる気がする。しかし、実際は逆で普段の作業で自分の居場所を少なくしている。

 You Tubeを開くとかつて見たことがある動画と関連のあるものでタイルが埋められる。私は睡眠導入のために精神安定を歌った音響動画をよく見るので大半がそれである。3分で眠れるというなぜか10時間を超える動画を数日見たらそればかりになった。

 ニュースも同じだ。教育問題のニュースを続けてみるとそればかりになるし、株式市場の今後が気になると、しばらくはそればかりがスクリーンに並ぶ。結果として自分の関心のあることばかりを見せられ、それ以外の問題は矮小化される。

 どんなに万能にみえてもネットに頼りすぎてはならないということだ。様々なものを映し出す小窓は実はかなり意図的で強い偏光レンズが組み込まれている。いかに限定的てあろうと自らの目で見るに如くはない。

通信障害から

Photo by Brett Sayles on Pexels.com

 KDDIの通信障害の回復にはかなり時間がかかっているようだ。我が家のau端末はいったんアンテナ4本を取り戻したのに、いまは「圏外」になっている。自宅のWi-Fiが頼りだ。おそらく技術者の皆さんはいま難題に立ち向かっているのだろう。障害発生には責任追及が必要だが、その前に回復のために尽力している皆さんに敬意を表しておく。

 さて、この障害から分かったことがいくつかある。まずこれが一社のサービス不調にとどまらないということだ。気象通信システムや電子決済、チケットなどのサービスが使えなくなったという。インターネットが前提となっているサービスが軒並み影響を受けたというのだ。この騒動で知ったことだが、コネクテッドカーなる自動車のICTサービスというものもあるらしい。トヨタ自動車はKDDIとの親和性が強いらしく(出資しているらしい)、トヨタの最新設備も影響を受けているようだ。IoTの時代ではもう電話ができないというだけでは済まないのである。

 何かを仮に消してみたら生活がどう変わるかという思考実験のようなものは私たちが時々試みることだ。今回のように本当にそういうことが起きたら、見えなかったものがいきなり表面化する。ついでに想像をたくましくして考えてみよう。渋谷に行くときに東横線が止まったらJRにするとか、地下鉄を使うとかはよくあることだ。通信会社はどうだろう。A社がだめなら、一時的にB社が肩代わりするといったことは通信の世界ではできないのだろうか。東横線から振り替え輸送してきた客でいっぱいになった東海道線がさらに遅くなる、最悪の場合止まってしまうということもあり得る。ならば初めから振り替えなどしない方がいいのか。9時までに渋谷につかないと大切な契約ができず、財産を失うというひとの場合はどうなのか。そういうたとえをいちいち考えておく必要を感じたのである。

 家族割のようなものを使って家族をおなじキャリアのユーザーにしてしまうのは業者にとっても、利用者にとっても価値があるものと思っていた。しかし、今回のようなことはこれで最後ではあるまい。どこかが止まったら別に切り替えるという選択肢を持っている方がいいのかもしれない。あるいは何もせずに駅のベンチで待って紙の本を読んで賢くなる方が実は一番懸命なのかもしれないが。

インフラ不調

もしもし繋がってますか?

 auの携帯電話が繋がりにくい状況が続いている。いまだ復旧作業が続いているらしい。携帯電話の通話のみならず回線を利用した各種サービスが影響を受けている。このところこうしたインフラの不調が時々表面化する。不安だ。

 技術大国を自認する日本においてインフラの不調はあってはならないことだろう。今回のような通信関係のみならず、建造物などのハードウェアに関してもメンテナンスが行き届かないことが原因で事故が起きている。

 一概に言えないが効率化を進めるあまり大切なものを切り捨ててしまったのではないか。最悪の事態に備えておくということがおろそかになってはいないだろうか。

 まずは自分の力の及ぶ範囲でインフラ不調時の対策をしておこう。できることは限られているがやらないよりはいい。