旅の意味

 先日、「旅と日々」という映画を観てきた。つげ義春の漫画を原作とする作品だが、原作の再現というより、その世界観を利用して独自の映像世界を作り出していた。

 主役のシム・ウンギョンは韓国人ながら日本の映画の脚本家として登場するが、外国人ゆえの客観性が自然に演じられており、全体的に虚構性が強いこの作品にリアルな雰囲気をうまく表出していた。

 ストーリーは前半の離島を思わせる海のシーンと、後半の雪深い辺境の宿のシーンとに分かれる。どちらもゆっくりとした時間が流れ、しかしその中にはさまざまな人間模様がある。旅の途中で出会うかもしれない一時がうまく描かれていた。

 いつもとは違う時間の流れに身を置くこと。それが旅の意味だと考える。最近は観光地に行っても効率よく観光スポットを巡ることばかりに関心が行き、結局非日常の時空に身を置くことができていない。効率性とか費用対効果とか、そういうものから解放されるために旅はあるのではないか。

 どこそこに行きましたが、有名な場所には何処にも行けませんでした。ただ、ゆっくりとのんびりと過ごすことができました。そして普段の生活を振り返ることができました。そういう経験が本当の旅なのだろう。

 最近はそういう旅の仕方をしていない。観光スポットをどれだけ踏破するのか、そこをどれだけ短時間で、安価に巡って来たのかということばかりに気を取られすぎだ。

 もっと余裕のある旅をしてみたい。そう思いながら毎日を過ごしている。

日本の資源

 中国政府が日本への渡航自粛要請を国民にしたことから、来日する中国人の数が激減しているという。観光地からはオーバーツーリズムが解消されたという歓迎の声もあるが、長期的に見ればやはり打撃になるだろう。日中関係は定期的に冷え込み、その際は経済的な事情よりは政治上の問題になるので、非常に厄介だ。

 日本の製品の大半は中国ではコモディティ化されてしまい、無理に日本に来て買う必要もない。国内に手頃で自国民好みのものがあるのだから、高い旅費と関税を払う必要がないのだ。国内で買えないものは海外の生の雰囲気であり、自然や風土、人の暮らしだ。これは金では買えない。

 日本に魅力を感じる人は、その日常に潜む自国にはない何かを漠然と探り当てている。それがアニメや映画などの創作を通じて認知されたとしても、それ以上の何かを感じ取るためにわざわざ日本に来るのだ。

 極東の島国にして、歴史的にさまざまな経緯があり、他国の文化を積極的に取り入れながらも独自の世界を作り続けているこの国のあり方こそ大きな資源と言えるのだろう。

 政治上の問題で対立が起きるのは残念だ。常に他に対しては寛容で、しかし着実に和風化を続けていくのがこの国の生命力だろう。一国でなんとかなるとか、排他的な感情が支配したときにこの国は衰退に向かうのだろう。幸いいままではその機会があっても乗り越えていけた。今後はどうだろうか。

マフラー

 マフラーを今シーズン初めてつけた。朝晩は結構冷えるので万が一の対策である。マフラーの巻き方にはいろいろあるが、なぜか首に巻いた残りを背中に回し、羽のように垂らしておくやり方を印象的に覚えている。

 それは恐らく昭和のトレンディドラマのヒロインが巻いていたやり方が私の世代で流行していたことによるのだろう。スカーフの真知子巻きではないが、メディアが流行らせたスタイルがあったのかもしれない。

 これからは最低気温が一桁で、氷点下になることもある。マフラーが活躍することになる。

寒さの実感

 寒波到来を予感するような曇天の一日だった。夜には大粒の雨が降った。北陸ならば雪になりそうな気配だ。関東は種々の条件が揃わないと雪にはならない。

 明日の予想最高気温は10℃だという。本格的な冬の陽気を感じ始める気候になるだろう。この気温はもっと寒い季節になれば、小春日和のような感覚で捉えられるはずだ。でも少なくとも今の時点では少し脅威を伴った寒さである。

 体感はいつでも相対的なもので、暑いとか寒いとかはその前の数日との体感差に過ぎない。ゆっくり寒くなるのと、急激に冷え込むのとでは同じ気温でも印象は全く異なるのだ。

 明日は急激な変化となりそうできっと凍えるように感じることだろう。でも、そんな日が続くと今度は最高気温が二桁あることが特別のことのように感じられるようになるはずだ。

文化交流は別

 日中関係に暗雲がかかり始めている。高市首相の台湾有事をめぐる発言を機に、中国政府が反日政策を展開し始めているのだ。これまでにもこのようなことは繰り返されており、大規模なデモが発生したり、日本製品の不買や、店舗や製品の破壊といった暴挙が起きたこともあった。さすがにそのような国際批判を受ける行動は今の中国の国際的立場を考えるとできないと考えているのだろう。今のところは暴動は起きていないようだ。

 ただ、中国政府がとったと思われる文化交流への弾圧はいかがなものだろう。日本人の中国での公演を禁じる策は、中国の国民にとっても疑問を抱かせるものに違いない。政治問題とは無関係な局面での統制はやり過ぎであり、両国民の感情を同時に悪くするはずだ。

 大切なのは日本側が追随しないことだろう。政治上の主義主張と文化面の交流は別次元であり、同一化してはならない。日本には伝統的に中国文化を尊重する歴史がある。そして根本的にはそれは変わっていない。いまでも中国古典文学は学校で教えられ、大学受験の問題にさえなっている。現代の中国文化については限定的だが、知られている。映画やドラマなどは多くの人に愛されている。

 日本の中華料理など日本化が進んだものもあるが、本場中国料理は現在でも尊重される対象である。恐らく多くの中国人よりも中国古典文学の知識に詳しい日本人は多いかもしれない。それは文化として尊敬しているからだ。

 そういう尊重する気持ちを大切にして、自国について過度な虚栄心を起こさないことが、今求められることだと信じる。

寒波の前の静けさ

 明明後日くらいから寒波が関東にも流れ込むらしい。マフラーや手袋がいる段階に入る。でも今日はかなり暖かい。というよりこの程度の寒冷に順化してしまったようだ。ここから冬へ向けてのギアチェンジが要る。

 気象の常として、寒波の前には一時的な快適な期間がある。あたかも悲劇の始まる前の緩和のシーンのような感覚である。北陸に住んでいた頃はそれを痛切に感じたが、この列島に住まう以上は程度の差こそあれ、似たようなものだ。小春日和の後に猛烈な寒波が来るのかもしれない。

 私たちは暖房器具を持つ建物を有し、防寒の具も幾つか身につけている。昔の人たちはさぞ大変だっただろう。そのことを思えば、今の生活の安楽を喜ぶべきなのかもしれない。

もう終わりですか

 霜月も今日で終わり。あまりにあっけない。もちろんこの月にもいろいろなことがあり、得ることも失うことも多かった。それにしても痩せ細った秋のように、この月はあっという間に終わってしまう。

 明日からは十二月ということは年末ということになる。私の生活体系においては単なる通過点に過ぎない。でも、やはり年が変わることには特別な感情が伴うものである。

 残り1か月で何ができるのか。そういう考え方をしなくてはならない。私の基本的な考え方として、残された時間で何ができるのかという期限付きの思考がある。だから、あっけなく過ぎていく時間に対しては少し敏感にならざるを得ない。

瞬発力が衰えても

 何かを理解しようとするときに働く頭脳の瞬発力はたしかに年々遅くなっている気がする。大学の入試問題などを見ると、よくもこの量を試験時間内に解ききることができるものかと感心してしまうが、かつては自分も似たようなことをしていたのだ。知的瞬発力なるものがあるとしたら、やはり若いころには誰にでもそれがあったといえる。

 人間の場合、この即応的な能力に加えて、経験の蓄積による能力が個人の判断力を補完する。年の功が勝ることがしばしばあるのはこの経験の蓄積によるものが大きい。結果的に急激に衰えてしまうこと顕在化することは少ない。人類が長寿でいられるのはそうした脳の使い方を進化によって獲得できたらからだろう。

 同じことを考えたり行動したりする初動で若い世代には勝てない。私としてはじっくりと考えて初歩の見過ごしや見誤りを集成して堅実な知識とすることを心がけで起きたい。そのためには粘り強く考え続ける習慣を作らなくてはならないのだ。

第三世界

 トランプ大統領は第三世界諸国(the third world countries)からのアメリカへの移民を禁じ、給付や補助を行わない旨の表明をした。アフガニスタン出身の人物が州兵を殺害した事件をきっかけにしたものであり、彼の基本的な政策である移民制限の口実としては最適な事案であったことになる。発砲事件は許されることではないが、それがすぐさま拡大解釈されるのが今のアメリカの政権である。

 第三世界という言葉は冷戦時代においては東西両陣営のいずれにも属さない地域のことを言ったようであるが、冷戦後は経済的な格差を基準としたものに変わり、発展途上国とかグローバル・サウスなどと呼ばれているが、明確な定義がなく、その線引きは難しい。トランプ大統領がここにきてこの言葉を持ち出したのは、明らかな蔑視の態度の表明なのだろう。

 さまざまな未来予測があるが、現在第三世界に属する国や地域の中には急速に発展することが考えられている国や地域もある。世界情勢は常に動いていて変化を続けている。単純な世界の分類はますます分断の可能性を生み出す気がする。またあたかも第1から第nの国があるかのような単一基準のランキングを設定してしまいそうだ。この考え方は大国のリーダーだけではなく、我が国の国民にも急速に広まりつつあると私は感じている。

スマホの写真

 スマホで写真を撮ると最近はアプリがいろいろな提案をしてくる。露光を変えるとか背景とのコントラストをつけるとか、あるいは一部を動画のように動かしたりとかいろいろある。また時系列順に並べて見せたりとか、同じような構図の写真を並べてコラージュしたりもする。

 映像をパターンとして認識して分類したり合成したりするのは、人工知能の得意とする分野のようだ。便利であり、ときには楽しく使っている。

 ただ、写真を見る人の気持ちまでは推測できないらしく、過去の自分と今の自分を並べた写真を見て何を思うのかは分からないようだ。10年余りでここまで変わり果てるのか、そういう思いはコンピュータには理解してもらえないのかもしれない。