投稿者: Mitsuhiro

写真の中の人物

 当たり前の話ですが写真の中の人物はすでに過去の姿です。そして現在の姿との差を感じさせるものといえます。

 グーグルフォトサービスでは勝手に同一人物と思われる写真を集めてくれます。恐らくコンピュータの処理の結果なのでしょうが結構あたっていて興味深いものです。自分の写っている写真も当然ながらその中にはあって、何枚もある自分の写真が時系列ごとに並んでいるといろいろ考えさせられます。私もどんどん変わっていっているのだと。

 生物学的には細胞は生滅を繰り返し、決して固定的なものはなく変わり続けているということです。私という人間さえ実は常に変化を続けているので、写真に写っている自分は今の自分とは別の存在であるといえなくもないのです。そういうことを考えさせてくれるのが写真の役割なのでしょう。

梅雨明け間近

週間天気予報から傘のアイコンが消えました。局地的な豪雨には警戒する必要があるということですが、梅雨明け間近であることは間違いありません。

気温上昇も夏本番の様相です。これまで肌寒さを感じる陽気が続いていたために体調管理が大切になってきます。まずは身体をならすことからはじめようと思います。

眩しい夏に対する期待感は年齢とともになくなってきている気がします。ここ数年、あまりにも暑すぎる夏が続いていることもあるのでしょうが、暑さの中に飛び込んでいく勇気がなくなっていることも確かです。

ボタンクサギ

ボタンクサギ

 自宅近くにボタンクサギという花が咲いています。小さな花が房状に集まって咲き、その様が遠目では牡丹のようにも見えます。綺麗な花なのですがその葉や茎に触れると何とも言えない悪臭を発します。触れなければ臭わないのが不思議です。臭木という名の由来はこうしてすぐに分かるのです。

 実はこの花の名前を長く知り得ず何というのか気になっていました。先日、大船フラワーセンターに行き、同じ植物についていたラベルからようやく判明したという訳です。名を知るとそれ以外に見えなくなるから不思議です。

 この植物は繁殖力が強いらしく、年々株を増やしているようです。臭いが玉に瑕の感じがしますが、それがまた魅力ともいえます。

ミュシャの魅力

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで行われている「みんなのミュシャ展」を観てきました。伝統的な絵画の方法を習得したミュシャがポップアートの世界を切り拓いていく過程や、その影響を受けたアーティストたちの作品が転じされていました。

輪郭線をはっきりと描く方法は日本の浮世絵などの影響があったようです。そのミュシャの作品のモチーフは、逆に日本の画壇に影響を与えました。展示されていたのは文芸雑誌の表紙絵でしたが、それ以外でも様々な局面で影響があったようです。

ロックミュージシャンがミュシャ風の絵をレコードジャケットに用い、日本ではファンタジー系のアニメや映画のキャラクターデザインに用いられています。ミュシャの伝統はいまなお続いていることになります。

現実の混乱

 京都で起きた放火事件がアニメーションの製作現場であることと、放火犯容疑者が犯行理由として述べていることとの関係とが気になります。報道されている内容によれば容疑者は幼少期から恵まれない環境にあり、犯行歴もあったとのことです。さらに友人も少なく精神的にも満たされていなかったことが想像されます。

 身柄確保のときに自分の作品が盗用されたと述べていたとの証言もあります。これまでの報道では容疑者が小説などを投稿した形跡はなく、これは偽証と考えられています。そもそもアニメの制作現場を襲うこと自体が犯行目的とは一致せず、つじつまが合いません。

 それでもなぜ京都アニメーションが狙われたのか。どうして自分の作品が盗用されたと思うに至ったのか。などの点は解明すべきだと思います。先日の川崎市の通り魔殺人でも犯人が死んでしまったために真相が分からなくなっています。悲惨な事件が繰り返されないための対策は必要です。

休業開始

 今日から夏休みが始まりました。こどものころは先生は長い休みがあってうらやましいと思っていたのですが、自分がなってみるとまちがいであることが分かりました。結構やるべきことは多く、超多忙な日々が、普通の労働になるといっただけに過ぎないということです。ただ、部活動の顧問としての仕事や合宿の引率などの業務が加わり、一日中勤務ということになる日もあることを考えればやはり特殊な勤務体系といえるのかもしれません。

 とはいえ、授業や生徒指導(これは完全にはなくなりませんが)からは一時的に解放されることは確かであり、その分、自分の教科に関する学習や指導方法の研鑽などに使う時間ができます。なによりも趣味の時間を設けることができるのがうれしく、私の場合は読書や美術の鑑賞、スポーツ観戦などやりたいことを少しずつできるのではないかと考えています。

 生徒には計画を立てそれを実行せよと指導します。これは自身にも適応するべきですが、なかなかそれが難しい。やりたいことがたくあんありすぎて、どれも手つかずになってしまう。それが現実です。まずは、できることから始めるというのがいまの私の課題です。

メインブログ変更

 今後はこのサイトをメインに更新することにしました。毎日1回以上、何らかの記事を書いていきます。よろしければ御再訪くださいませ。

 話題は多岐にわたりますが、古典文学や国語教育に関する内容が自然に多くなりそうです。

思い出の場所

いつまでも忘れられない思い出の舞台はなぜか時間が経過するごとに美しくなっていくようです。実際には様々な苦難とか挫折とかが伴い、ありふれた空間での出来事であったはずなのに。

恐らくそれは私たちの脳の構造によるものなのでしょう。私にはこの方面で語ることはありません。ただ、こうした過去の美化が私たちを随分救ってくれていることは確かだと考えています。生々しい過去をそのまま脳裏に保存するのなら、きっと精神は耐えきれないはずです。

都合よく整えられた過去の風景の中でも、少年時代のそれは特別な輝きを放ちます。実に大したことがないエピソードでも神話のような重みを持ちます。恐らくそれがその後の人生に多大な影響を及ぼしているからなのでしょう。私にもいくつかの思い出があり、それがいまの考え方感じ方につながっていることを実感します。

思い出の場所を再訪することは脳裏に増殖した世界をある意味リセットして、新たな想像をつけ直す機会なのかもしれません。

幻覚的な小旅行

 普段歩きなれている街でも知らないところはいくらでもあります。私たちは、少なくとも私は同じ道を歩くことが圧倒的に多く、さらにその道でも見ている先はいつも同じようなものです。同じ道を歩き同じものを見ている。そんな毎日です。

 だから、ちょっと視点を変えてみるとすでに日常とは違う世界が見えてきます。さらにいつもは通らない道にあえて踏み入れればもうちょっとした小旅行の気分になれることもあります。もちろんそれには心の余裕と時間とが必要ですが。

 私はこの幻覚のような小旅行を時々楽しむことにしています。それが忙しい私にできる数少ない楽しみです。

掌の劇場

芝居を観るのは嫌いではありません。むしろ普通の人よりは劇場に足を運ぶことが多い方ではないかと思います。演劇は想像力の世界であり、演じる方も観る方もその力を働かせ、協力しあって舞台を様々な世界に変えます。またただの役者を歴史上の人物や時には神にさえしてしまいます。日常にありながらそれを忘れ、非日常の世界に遊びます。

そういう空間は大きな劇場でなくても味わえます。もちろんスマートフォンの画面上の動画は劇場の雰囲気を伝えることができます。でも、そんなハイテクでなくても、文庫本一冊で非日常の世界は十分に動き出します。そういった意味で本は掌に載る劇場といえます。

私はこの魅力的な劇場を大切にしたいと思います本を読む余裕を忘れないでいたい。ブログを書くのはそういう世界を楽しむために言葉の力を錆びさせないための手段だと考えています。