投稿者: Mitsuhiro

意識

 意識することで世界が立ち現れるとしたならば、無意識の事象は存在しないのと同じなのでしょうか。

 ベテルギウスが星としての寿命を終えつつあると言われています。明るさが極端に落ちているのだとか。ただしそれは数百年前に起きたことがいま目に見えているだけなのです。仮にこの星の最期に起きた爆発の影響が地球に及ぶとするのなら、それを意識していようが、知らないままであろうが最後の審判は突然下される訳です。

 意識するとは何なのかをもう一度考え直す必要があります。

働かざる者食うべからず

 働かざる者食うべからずというのは勤労の意味を考えさせる諺の一つです。生産こそが生存の大前提であり、労働なしの人生はありえないという訳です。

 ところが、この古諺の意味が変容しつつある。今後の社会を予測する人々の中には働かなくても生きてはいける状況を理想とし、実現可能であるという学者が多数現れているのです。AIなどのイノベーションにより、生産の効率性が高まると人が働かなくても富は蓄積される。これを広く分配することで多くの人々の生活は保証されるという訳です。

 人々は生きるために最低限やらなくてはならない勤労からは解放される。そうだとしたらそこで生まれた時間を何に使えばよいのか。より高度な知識の追求や芸術的な活動に向えばよいのですが、私利私欲、権力独占などの方面にいかないとも限らない。そういう社会をどのように運営するべきなのかを考えていかなくてはならないでしょう。

 おそらく私の人生の中では起きない事態だとは思います。ただ、考えておくことは必須のことがらです。

キャップがないサインペン

 最近購入したもので便利な文房具がキャップが要らないノック式のサインペンです。蓋をなくしてしまうことが多い私にとっては大変便利なものです。

 このサインペンのペン先は空気中の水分を吸収することで湿気を保ち乾燥を免れているのだとか。素晴らしいアイデアです。キャップレスの万年筆もありますが、こういう発明に関しては日本製品の個性が光ります。

 キャップレスサインペンの方はコンビニでも売っているものでこれからしばしば使うことになりそうです。

色のイメージ

 国旗に使われる色にはそれぞれ込められた意味があるといいます。フランスやイタリアなどのように色彩に託されている意味が深いものはそれを知ると強い説得力を示します。

 ただ色彩が惹起する印象が民族によって異なるのも確かです。欧米の一部の民族では緑に嫉妬心を読み取るのだそうです。この感覚は私にはありません。見ているものが同じでも感じることは異なるという事実はいつも意識していなくてはなりません。

 色の分節についても共通していると思いこんではいけないようです。日本の古代では青の指す範囲はいまより広いようですし、虹が何色かという国際比較にも興味深い結果が出ています。通時的にも共時的にも色彩の区分は様々です。細かいことを言えば色覚の個人差も考える必要があります。同じ世界を見ているというのは幻想なのかもしれません。

 色分けは日本語では分類そのものを表す言葉でもあります。その色分けが極めて個人的な判断によるものである事を再認識しておきたいのです。

仕事始め

 私の職場は今日が仕事始めです。今年は仕事の仕方を本格的に変えていかなくてはならなくなる事態に至ります。

 効率もしくは生産性を下げることなく時間を削ることが焦眉の急である現実の中で必ず取らなくてはならないのが同僚とのコミュニケーションです。自分だけうまくやっても集団としての力が生まれなくては生産性は上がりません。連絡の時間を確保しながら、互いの時間を阻害しないことを第一の計画目標としなくてはなりません。

 私のような職の場合、相手に合わせて業務内容を変えることも重要です。すると自分のやりたいことだけをしていても無意味です。場合によっては計画変更が大きく起こることもあります。それでも対応できるように余裕と、常時計画の見直しとをしていく必要があるのです。

 これらを行なうための道具として、ノートとスマートフォン、さらにこのブログを使っていきます。ノートは思考の整理のために、スマートフォンは計画を持ち歩いて参照するため、そしてブログは反省と決意を示す手段として。もちろんそれだけではないのですが。少ない時間を活用するためにできることから始めていきます。

目標設定

 今年やるべきことの一つが目標設定からは始めるということです。いままでは降りかかってきた状況に対処することばかりをしていました。今年こそは目標を決めてから実行するという習慣をつけていこうと考えています。

 もちろんすべてを目標志向型にするつもりはありません。やっているうちに形を成してくることもたくさんあります。とくに創造的なことに関しては目標はない方がうまくいきます。ただ、私の仕事の大半は目標を実現していくことの方にある単純な仕事なのです。この方面には目標達成を意識できる方がいい。そのためにも業務の単純化をすすめたいと考えています。

 まずは授業をするためのノートづくりを変えていきます。これまでは教える内容を中心にしていましたが、これからは教える手段、方法を中心にメモしていきます。それが実際の授業では役に立つのですから。授業の目的は教えることではなく生徒に考えさせることだという目標を設定するとノートづくりも変わってくるのです。

 次に会議資料作成の方法も目的を明示したものにしていこうと思います。何をやるかを決める前に何を目標にするのかを提示すれば方向性も早く決まります。方向性が決まらずに迷走するよりも時間の効率が上がります。

 他にもいろいろとやるべきことがありますが、まずは身近なところから始めてみたいと思います。

ローカルバスこそ位置情報を

 先日、茨城県の路線バスに乗る機会がありました。駅前からの乗客は私を含めて2名だけでした。私の降車する一つ手前の停留所で一人乗りこみましたが、私とともに駅から同乗した一人も降りましたので、客は一人だけになってしまいました。こんな光景はどこにでもあるのでしょう。でもいかにももったいない。いわゆるロケーションシステムを普及させればもっと利用者は増えるのではないでしょうか。

 地域社会にとってバスは欠かせない交通手段なのですが、いかんせん本数が少なくいつ来るのかもわからない不安感があります。私の乗ったバスも一時間に1本の割合で朝と夕方を走るだけであとはなし。乗りたいときに乗れないのです。公共交通機関がおぼつかない地域では自家用車の利用者が多いのですが、その理由の一つがバスは当てにならないということにあります。ただ、今後急速に進む高齢化社会の中で自家用車を使えない世帯も増えてくることは確かです。やはり公共交通機関は地方社会の不可欠な生活の軸であることには変わりありません。

 バスをもっと利用しやすくするためにも今バスがどこを走っているのかが分かりやすく示される必要があります。すでにいくつかのバス会社がバスロケーションシステムを導入していますが、利用者の多い都市部での提供が大半であり、地方路線ではほとんど活用されていません。私はむしろ他に交通機関がない地域こそこのシステムを導入し、積極的に利用者を増やしていくべきだと考えます。こうした地域には高齢者が多く住んでいますが、彼らにも使いやすいシステムを考えるべきです。スマートフォンで情報提供すればいいというのは高齢者を考慮に入れていません。もっと分かりやすいインターフェースを考える必要があります。

 自宅のテレビにバスの位置を映し出すシステムは容易に実現できそうです。地域のCATVなどでは実現可能でしょう。そのほかにも何か方法があるかもしれません。また町の掲示板にバスの位置を簡易に示す情報を作ることも検討する価値があります。こういうのはいくらでも方法があるはずです。コスト面の問題もありますが、広告収入などの活用で運用する方法も考えるべきです。

 そしてやがてはバス利用の予約をすれば路線の中で発車時間を融通してくれるシステムも可能かもしれません。その際にAIが活用されるかもしれませんし方法は何でもいい。地域の動脈を生きたものにすれば首都圏などへの一極集中を避けることができるし地方経済の発展にもつながります。その一歩としてほとんど来ないしどこにいるの変わらないバスを、使える交通機関に変えていくことを提案します。

長く続けるために

 かつては55歳が定年だった時代があります。それが60になり65になり、やがては70歳もしくは定年制度そのものがなくなるかもしれないとのこと。私たちはまだ走り続けなくてはなりません。

 定年延長とはつまり扶養家族にならないということです。社会保障の対象にならずに自立しなくてはなりません。それなりの収入が必要になります。高齢者が企業にどの程度貢献できるのか。あるいは若い世代への影響を考えるとキャリアの後半は低賃金になることも覚悟しなければならない。そういう考え方に早く適応しなくては立ち行かなくなりそうです。

 こうした事態においては自分のポジションを確保しておくこと、時代の流れに敏感であることなどいくつものクリアしなくてはならない条件があります。その中でも最も重要なのは健康でいることなのでしょう。長く走り続ける選手であるためには乗り越えなくてはならないハードルがたくさんあります。今回は義務表現を何回使ったことか。こうした状況を好機と考えることにしたいと思います。

初詣の意味

 日本人は無宗教だという錯覚を見事に打ち消す習慣が初詣です。ただ、多神教の民族は一つの神だけに祈りをささげることはなく、すべての神が信仰の対象になります。私もすでに二柱の神に祈りをささげています。

 さて、初詣をすることには副次的な意味があります。それは地域の連帯を確認することです。遠方の名刹を訪れることもありますが、初詣の基本は産土の神への参拝です。そこには地域の住民が集まります。村社会でない限り、同じ地域に住んでいてもほとんどつながりがないのが現状ですが、同じ神社や寺に参拝するということで何らかのつながりを感じることができます。これは教会に通う一部の宗教ほどではないにしても、またかつての檀家のような集団にははるかに及ばないものの一定の意味があります。

 同じ地域に住む者同士が共同体の中で生活しているということを初詣を通して感じることができることは昨今の人間関係の希薄化のなかでは有意義です。同様の働きをするものとして他には地域の祭りもありますが、実施できるところとそうでないところがあるのが実態です。参拝は無意味と考えるのは合理的のようで実は大切な効用を見失っているのかもしれません。

初詣には意味がある

初売り

 昨年11月にオープンしたグランベリーパークは今日が初売りです。福袋が並ぶ中で私はスーパーの寿司を買って帰りました。

グランベリーパーク初売り