月: 2021年4月

春寒し

 ここ数日、季節が後戻りしたような寒さだ。ソメイヨシノはすでに散り、今は八重桜が見頃だ。近隣の小さな神社の境内にはあふれるほどの花が道行く人の目を惹きつけている。すでにツツジも少しだけ開き始めた。それなのにこの寒さである。

 もっとも絶対的な気温はさすがに4月のものだ。それを寒いと感じるのはそれまでの気温が高めで推移していたからに相違ない。つくづく体感とは相対的なものであると思い知る。このような過渡期を過ぎて季節は進んでいくのだ。

 

葉桜

 ソメイヨシノはあらかた散ってしまった。これからの状態を葉桜というが、実はこの方が桜の木としては普通なのだ。

 葉桜は残念なという意味がその初期には被されている。落花した後のさびしさと重ねられることも多い。しかし、この葉こそ魅力的なものだ。若葉の鮮やかさも、夏の日を遮るたくましさも、病葉も痛ましさも、花以上に鮮やかな紅葉もみなこの葉のもたらすものだ。

 かつて庭のある家を借りたとき、玄関前の桜に大量の毛虫が発生して慌てたことがある。桜はいろいろ手をかけていかなければならない樹木だ。それも含めて愛しい。

本を読むには

 読書の推進策はいろいろあるものの、なかなかうまくいかないことが多い。おそらくそれは本を手にとるあり方が人それぞれであって一律な助言では機能しないからのようだ。

 時間がないと読めないのは事実だが、それ以上に習慣がないと読書には迎えない。習慣は始めの定着前が肝心で、それを抜け出せばある程度は成功だ。

 その方法を明文化したい。近々達成したい目標だ。

しなやかに

 しなやかさは理想とする境地の一つだ。複雑な事態に自他を傷つけることなく対応できる何かを感じる。実際は容易ではないが、求めて止まない目標だ。

 変化が激しい昨今の状況において何が正解か、真実は何かを見定めることは難しい。だから当座の状況対応は必要だ。真実を探る努力は怠れないが、立ち止まることもできない。しなやかさは一時的な判断をした後にも必要になる。

 理想としてはよいがこれでは疲れてしまう。常に周囲を見渡し、身を処さなくてはならないのだから。スキー選手が複雑な地形を滑降するときのように常に神経が張り詰めていることになる。

 すると、しなやかさの持っているイメージとは程遠くなる。おそらく何かが違うのだ。合気道の達人のような脱力しながらも身をかわせる。そんなものを目指しているのだろう。

俳句

 長い間続けているものとして、俳句と短歌がある。短歌の方が長い。俳句はその面白さを理解するまで時間がかかった。

 俳句にもいろいろな考え方があるのであくまで私見だが、情をためて景で表現する文芸と心得ている。喜怒哀楽を直接表現することなく、点景を指摘することで作者の情感を表すのだ。これになれるまでには少々時間がかかった。

 超短詩形文学は常に類型化陳腐化に直面している。型に沿いながら個を守るというのも難しくもおもしろくもある。

デジタルだけでは

 スケジュール管理をグーグルやアップルのカレンダーに入力して行うようになって数年が経つ。便利な点は多いが、それゆえのデメリットもある。その補完はやはり紙のノートである。

 デジタルデバイスでのスケジュール管理は一元管理ができることに大きな利がある。同期するからどこに書いたのかを忘れることがない。他人が作成したデータをそのまま借用できるのもいい。これまで使ってきてこの恩恵に大いにあずかっている。

 同時にこれは欠点でもあり、記録に関する緊張感のようなものを奪った。だから大切なことはノートに書き出している。両棲類みたいなやり方が自分にはあっている。

減少せず

 緊急事態宣言が解除されたあとも新型コロナウイルス感染者数は減少せずむしろ漸増の傾向にある。新型株なるもののせいなのか、たんに検査数が増えてきたからなのかはわからない。大阪や宮城のように首都圏以外の地域の動向も気になる。

 このままこの傾向が続けばまた様々な制限がかけられるだろう。それにともないいろいろなことができなくなる。また変わらなくてもいいものまでが変革を迫られる。妙な言い訳がまかり通って大切なことを見失う。ワクチンの購入は国家的に進めてほしいが、同時に国内企業への開発奨励も進めてほしい。

 世界のシステムが一気に変わりつつある中で、その行く末を見極めたい。さらに、創作提案することもあきらめてはいけない。いまは変化のときだ。誰かに追随するだけでは立ち行かない。

逆算の発想

 結果からさかぼってやり方を考え直すことを始めようとしている。何かを伝えるとき、伝え方の方を考えてしまいがちだが、実は大切なのはどう伝わるかということだ。それを見直してみたい。

 何かを伝えるとき、どのようにしたら効果的に伝えることができるのかということばかり気が向いてしまう。これは当然の成り行きだ。だが、経験上うまくやれたと思っても効果が上がっていないことがある一方で、力を抜いてしまったときでも効果が上がることもある。つまり、意図と結果が相関していないのだ。

 これは因果関係がないというのではなく、基準としている考え方が間違っているということなのだろう。実は原因と考えているものが結果とは無関係ということもあるのだ。だから結果から逆算しなくてはならない。現状がどのようになっているのかを冷静に見直し、考え直す必要があるのだ。発想を逆転することでおそらく今まで見えなかったなにかが分かることがある。それが改善の糸口になるはずだ。

 どんなことにも当てはまることだろうが、物事を固定的にみると閉塞感が生まれる。世界は変化に富んでいる。それをどのようにとらえるのかが大事だ。

問題点は

 問題点を洗い出す方法を考えなくてはならない。毎日、漠然と過ごしている私には難しいことだ。ただ、限られた時間内でやり遂げるには抜かしてはならない。

 典型的な状況対応型の私にとって、PDCAのような考え方は理想というより憎むべき悪習だ。偶然と寄り道をなくして何がよいのかと思う。でも、やりたくないことを早く済ませるにはいい方法だ。この方法に関心を持つようになったのは、私の仕事が自分の本心から離れたことの証だ。

 効率的に何かをしていると豪語する人や、やたらと片付け好きな人をみると私は気の毒に感じる。それをやらなければならないと考え出しているのは自分もその状態にあるのだということなのだろう。

新年度

 日本では年度の始めは4月である。つまり今日が2021年度の最初の日だ。桜の咲くこの時期に区切れ目を設けたのは日本人の感性としてはふさわしい。もっともこれは後付の理由説明であろう。

 不断の時間に切れ目を入れて新しい何かを実感しようとするのは人類の叡智の一つだ。意識が変われば実感も変わる。だから世界が変化するのだ。変化は緊張ももたらす。ストレスを感じるのもこの時期の特徴だ。過ぎてしまえばどうということもない。

 私自身、年度という単位を特に重視する立場にあるため、過大な意識を持ちやすい。それを自己変革の機会に使いたい。