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通勤リハビリ

 ご存知の通り東京の満員電車の凄まじさは異常です。その生活から一時的に解放された日々を送ってきた私たちにも、再びあの日々が戻ってきます。

 東京の通勤電車の混雑の治安が維持されているのは、長い間順応してきた国民的努力の賜物です。他者に迷惑をかけないという教育以前の思考形式というか国民性とでもいうべきものが、異常な過密状態でも正気を保てる原因だといえます。

 ただこの性質は常に更新されなくてはすぐに消えてしまうものなのかもしれません。毎日、過密な人間関係を経験しているからこそ、保てる感覚なのかもしれないのです。すると今後数か月は非常に危機的な状況になるかもしれません。

 以前の寛容力もしくは忍耐力が回復できるのでしょうか。すでに勝手に自警団を自認して、同調圧力の先導者となっている人々がいることを考えると少し恐ろしい予感があるのです。

 冷静に大局を見られる人は実はさほど多くはありません。また、考えていても他人に引きずられずに信じることを通せる人も多くはない。かく言う私も結局長いものに巻かれる日々を過ごしています。

 とりあえずは通勤電車に乗っても動じない心の強さを取り戻すリハビリテーションをやっていこうと考えています。

生き残るのは

 非常事態宣言が今月いっぱい延長されることが決まり、いよいよ深刻な経済停滞が起きることが決定的になりました。この情勢で生き残るのはどうすればよいのか。すでにそんな議論が多くなされています。

 政府の発表によるよると非常事態宣言は地域により緩和策がとられます。北海道、東京・神奈川・千葉・茨城・埼玉、愛知・岐阜・石川、京都・大阪・兵庫、福岡は現状の継続が要請されますが、そのほかの県は上記の地域への出入を除いて外出制限をなしとしたり、イベントなども開催可能とすることとなりました。なお、講演や博物館、図書館、学校などは全国的に状況を見つつ再開可能となりましたので、今後は徐々に開いていくものと考えられます。

 今回の事態をうけて、大幅な損益を出している企業や個人は計り知れません。その中で生き残るのは本物だけだという人もいます。どんな事態でも求められる存在だけが生き残るというのです。これは言い方ですが、換言すれば厳しく余裕のない状態といえます。多様性が確保されない極めて危険な状況でもあります。本物と称されるものが挫折した時に多くは滅びてしまうわけですから。

 私は非常時こそ、大同につくだけではなく、常に他の選択肢を模索することが必要だと考えます。無駄なくやりたいという気持ちはもっともですが、それだけでは道は閉ざされてしまいます。人がやらない可能性も考えてみるべきではないでしょうか。

 行動制限が緩和された地域の皆さんはこれをチャンスと考えて、大都市の動向にとらわれない地域重視の活動をしてみてはいかがでしょうか。かつてはグローバルな考え方を重視しすぎて、日本で世界で通用しないものは意味がないなどと言われたこともありますが、どうでしょう。一週回ってローカルなものが他で受け入れられるという現象はこれまでいくつか見てきました。他に合わせて行動するだけではなく、自ら主導権をとって創作していくということが大事です。今はそのチャンスなのかもしれません。

在宅勤務

 在宅勤務を始めて分かったことは「いつでもやれるはいつまでもやらない」ということだということです。これは結構大きな問題かもしれない。少なくとも私にとっては乗り越えなくてはならない課題です。

 在宅勤務の良いところは自分のペースで仕事ができることです。途中で別の仕事が入って仕事が中断するということがほとんどありません。メールが来てもある程度は放置できます。自分のペースでできるとなると、時間配分が自己本位になり、そしてついにはやれることもできなくなる。そういうことが発生しています。

 拙速を尊ぶという考え方は仕事の世界では重要です。満点でなくても合格点を取ればいいというのは日常生活の奥義ともいえるものです。芸術の世界だとそうはいかない。いくら時間をかけても究極の作品を目指すべきなのかもしれない。しかし私は芸術家ではなく、私も仕事の受け手も完璧な仕事を求めているわけではありません。むしろ停滞することなく、仕事を続けることが求められている。

 在宅をしているとどうもそういう基本が分からなくなるようなのです。周囲の人の姿を見て仕事のやり様を調節している不断の方法が通用しないのが最大の要因です。これはぜひ改善し克服しなくてはならない。それも一人でやらなくてはならないのが困難ではあります。

精神の安定

 ステイホームの政策ほ一定の効果は発揮できているように感じられます。爆発的な死者の増加は今のところはなく、医療崩壊は最低限に抑えられています。とはいえ、感染者数の増加は指数関数的であり、一部の病院ではトリアージを行わざるを得ない状況にあることも事実です。

 もっと恐ろしいのは分断生活で失うのものがある可能性があることです。集団の団結力、協調性といった日本人のある意味最後の財産とも呼べるものが失われれば大損失と言えるでしょう。恐怖心やそこから発せられる憎悪や異種知り捨てが起きることも不安要因です。小さな疑いが不寛容な人間そして社会を作り出していきます。

 ウイルス感染対策とともにいま大切なのは精神面の安定です。文化的な活動も止められている現在、何が支えになるのかを考えていかなくてはならないと感じています。

春なのに

 なかなか朝夕の気温が上りませんが確実に季節は進行しつつあります。春になったというのに素直に喜べない状態が続いています。

 コロナウイルスの影響によって各種の産業が停止状態にあります。この先どうなってしまうのか心配です。春の様々なイベントもキャンセルされていますが、それが今後どのような影響を及ぼすのかはまったく予測不可能です。

 5月再開と言われてそれを目標にしてきましたがどうも怪しくなってきました。こうなったら次の対応を考えておかなくてはなりません。損失を獲得に変える手立てを考えるべきなのです。私はいまだ半分リモートワークなのですが、完全に自宅勤務になってもいいように準備を進めます。

 自宅勤務の大問題は気持ちの切り替えが難しいことです。それも工夫をしていくしかありません。やるべきことはたくさんあります。やりとげることで生活のバージョンアップをはかろうと考えています。

失敗の連続

 リモートワークを始めて思うことはこれまでできなかったことがいかに多いかに気づくことです。そしていまは失敗の連続です。

 おそらくここまできてICTやアプリケーションソフトの使い方を覚える日がくるとは思いませんでした。時間があっても機会がなければやらないもの。必要は発明の母であり、スキル獲得のチャンスでもあります。ただ、やっていくうえで失敗の連続です。ネットにつながった失敗ではそれが自分だけのものにとどまらないのが大問題といえます。

 恥をかきながらも今はスキルをあげる時と割り切ることにしようと考えています。

ネット検索以上

 ある人が言っていました。今は何でもネットで検索できる。少々の知識などはそれで調べがついてしまう。情報提供者として必要なのはそうした公的な情報では勝負できない。大切なのは独自情報であり、独自の情報分析であると。全くその通りであると納得しました。

 ネットで調べる情報の信憑性も問題があります。情報発信源がだれなのかは調べてみないと分からないです。そして、ある程度権威のある人物もしくは団体が発信したものとしても、その意図がなんであるかを考えずに情報だけを利用することは危険です。情報を利用するはずが、利用されていたということは今日ごく普通に起きていることです。

 ネットで調べられないこととはなにか。それは発信者の感覚や感性による見解でしょう。多くの場合、それには根拠が希薄です。単なる思い込みかもしれない。しかし、そういう率直な考えこそが真実を判断する材料になるのです。その現場に直接かかわっている人の考えにはそれなりの価値があります。

 情報はインターネット経由できたものがすべてではありません。むしろそれは遠い世界の出来事の断片的な報告であり、本当に大切なのは自分自身の周囲にあることとの関連性を見抜くことなのです。ネットから入手する情報も発信者の身辺性の高いものを重点的に見ることが大切だと痛感しています。

 私もささやかな情報発信者として自分の目で見たことを、自分で感じたしっかりとエビデンスがとれないものも場合によっては述べていく必要を感じています。それがデマにならないよう自戒しながら。

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習慣を崩すな

 コロナウイルス感染防止のための措置が続く中で日常のルーティンが崩れています。楽な方に流れると引き戻すのは大変です。

 習慣的に物事をすることの大切さは多くの先賢の説くところです。習慣になっていれば身体がやってくれる。逆に習慣にないことを行うのにはかなりのエネルギーが必要です。私の場合は習慣から零れ落ちたものはなかなか復帰できません。悪習というものもあってこれは逆の意味で生活に害を及ぼします。

 職場に行けず、仕事ができず、同僚と仕事もできない。そんな中でかつて存在した生活の習慣が壊されてしまっています。どうすればいいのか。それを考えるべき時になっています。

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何かが見えたら

 何かに見える一瞬を逃さないことが大事なのかもしれません。それは一瞬の出来事のことが多いようです。

 日常の光景の中に時としていつもと違った輝きを見せるものがあります。違和感という言葉で処理されてしまうのですが、この違和感こそが何かを見つける糸口になるのかもしれません。細かな変化を見逃さないことが大事です。

 ただ、厄介なことにそういったものには表現すべき言葉がない。言葉がないのでそれを保存することが難しいのです。近似値でもいい。そのものではなくその状況を記すだけでも新たな何かを見つけることに繋がるかもしれない。そんなことを考えています。

泰然自若

 コロナウイルスの終息がまったく予測できない現状では様々な不安が発生します。思いきったことが何もやれないという実情は不満にもたどり着きます。

 こういうときにリーダーの果たす役割は大きい。その指示によって多くの人が影響を受けます。もちろん具体的な施策が重要なのですが、実は身ぶりやふるまいなどのメッセージの周辺にある情報が与えるものは大きい。このことを考えていただきたい。

 自らが誰かと共同作業するときにも、同じことがいえます。影響力の多少はありますが、自分の周囲に与える影響をよく考えてふるまうべきなのです。泰然自若たることもときには必要です。